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朝日新聞 「吉田調書」記事取り消し 木村伊量社長「進退について速やかに決断したい」

慰安婦報道に続いて今度は「吉田調書」の記事を取り消すことになった朝日新聞。木村伊量社長は社長報酬を全額返納し、今後の自分の進退についても結論を出すようです。

更新日: 2015年10月28日

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日本再生さん

木村社長 吉田調書の記事取り消しで謝罪

木村社長は、記者会見の中で「『吉田調書』の評価を誤り、多くの所員がその場から逃げ出したような印象を与える間違った記事だと判断した」などと述べ、「取材が不十分で所長の発言への評価が誤っていたことが判明した」として、記事を取り消しました。

『命令違反で撤退』という表現を使った結果、多くの東電社員らが、その場から逃げ出したかのような印象を与える、間違った記事だと判断いたしました」と誤報を認め、記事を取り消した。

木村伊量社長は「調書を読み解く過程で評価を誤った」とし、「表現を取り消すとともに、読者のみなさまとともに、東電のみなさまに深くおわび申し上げます」と謝罪。

杉浦信之取締役編集担当の職を解き、自身についても社長報酬を全額返納する方針であることを明らかにした。記事の取り消しについて詳細は明日(12日)の朝日新聞朝刊に掲載される予定。

杉浦編集担当の後任には、西村陽一取締役デジタル・国際担当(55)が12日付で就任する。

「吉田調書」について

朝日新聞は今年5月20日付の朝刊で「吉田調書を入手した」として、「第1原発にいた所員の9割にあたる約650人が吉田氏の待機命令に違反し、撤退した」と報道。

「所長命令に違反、原発撤退 福島第一、所員の9割 政府事故調の『吉田調書』入手」の見出しで、「スクープ記事」を掲載。東日本大震災後の2011年3月15日午前、原発にいた所員の9割が吉田氏の待機命令に違反して、10キロ離れた福島第二原発に避難したと報じた。

この記事では、証言記録の中で、吉田元所長が「本当は私、2F・福島第二に行けと言っていないんですよ」などと話した部分を掲載しています。

しかし、11日、政府が公開した証言記録には、この後、吉田元所長が「よく考えれば2Fに行ったほうがはるかに正しいと思った」と話したことも記されており、吉田元所長には撤退が命令違反との認識はなかったのではないかという指摘が出ていました。

政府は9月11日、福島第一原発事故の政府事故調査委員会の「ヒアリング記録」をインターネットで公開した。その中には、事故当時、東京電力・福島第一原発の所長を務めていた吉田昌郎氏のヒアリング記録――通称「吉田調書」も含まれている。

「吉田調書」公開に至る経緯

政府は当初、吉田氏の意向を理由に調書を非公開としてきたが、朝日新聞や産経新聞など複数のメディアが内容を報道したことなどを受けて方針を転換した。

吉田元所長は「撤退」という言葉を強く否定している。撤退の指示も出しておらず、所員や作業員が自らの命令に違反したとの認識もない。

菅直人元首相が「事故発生当時、東電が福島第一原発から全面撤退しようとしていた」とする発言に対し、吉田氏が「撤退』みたいな言葉を使うわけがない」と強く憤ったとされる報道があった。

今日、吉田調書と私の調書が公開されると連絡があった。両方を重ね合わせて読んでもらえば、撤退問題でもベントの問題でも海水注入の問題でも、吉田所長と私の言っている事が食い違っているのではなく、吉田所長と東電本店の清水社長や武黒フェローの言っている事や意見が食い違っていることが分かる。

菅官房長官はこの日午後の記者会見で、方針転換の理由について次のように述べた。

「吉田氏のヒアリング記録や他のヒアリング記録について、その一部のみが断片的に取り上げられた記事が複数の新聞に掲載され、独り歩きとのご本人の懸念がすでに顕在化しており、このまま非公開となることで、かえって本人の意志に反する結果になると考えられました。こうした状況の変化や吉田氏の上申書の趣旨を踏まえれば、他人に対する評価の部分などは慎重に検討した上で、公表しても差し支えない状況になると考え、ご遺族に働きかけをし、最終的に政府の判断で公開しました」

「福島フィフティーズ」を逃げ出したと報道

13日の夕刊1面のコラム「素粒子」は、原発事故を巡る吉田昌郎元所長(昨年7月死去)の調書に関し、「小欄の過剰な表現を撤回しおわびします」とした。

吉田元所長の調書に関する朝日の記事は5月20日朝刊に掲載されていたが、同日夕刊の素粒子は、「『フクシマ50』の称賛の裏に勝手に撤退した650人。傾く船から逃げだすように」などと記していた。

「普通の人が逃げるところに俺たちは行ったんだよ? そんな連中が吉田昌郎所長の命令に違反して逃げるわけがない。朝日新聞の報道は当初から誤報だと思って黙殺していた」

1号機が水素爆発した翌12日、上司から「危ないらしい」と連絡を受けて関東地方の自宅に一旦帰ったが、13日、その上司が「とにかく行ってくれ」と原発に戻るよう要請。妻と2人の幼い子供を残し、北に向かった。

福島第1原発で働いていた男性は「(朝日新聞の)朝刊を見たときには、それこそ、はらわた煮えくり返る思いでした」と話した。

英紙ガーディアンは5月21日付で「『フクシマ・フィフティーズ(福島の50人)』と呼ばれたわずかな“戦闘員”が原発に残り、ヒーローとして称えられた。しかし、朝日新聞が明らかにしたように650人が別の原発に逃げたのだ」と記した。

現場に多くの作業員が残り、事故対応に当たっていたことは、国内外で周知の事実だ。朝日新聞の報道直後から、記事内容について疑問を呈する声が出ていた。

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