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マスコミによる吉田清治氏の慰安婦証言についての報道 時系列まとめ

朝日新聞が取り消した吉田証言の記事まとめと、他社による吉田証言報道まとめ

更新日: 2014年12月24日

雨男さん

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2014/9/17作成。

・国内メディアによる吉田清治証言についての報道を時系列にまとめた
・最後に一覧表あり

2014/12/24追加

・朝日新聞社が第三者委員会調査報告を受け、取り消し記事一覧表を作成、そのリンク追加

1977年 吉田清治氏、『朝鮮人慰安婦と日本人 -- 元下関労報動員部長の手記』(新人物往来社)を出版

朝日新聞 1980年3月7日
「連載 韓国・朝鮮人2(27) 命令忠実に実行 抵抗すれば木剣」(80年3月7日付川崎・横浜東部版)

出典朝日新聞社インフォメーション | 記事を訂正、おわびしご説明します 慰安婦報道、第三者委報告書 朝日新聞社

shimbun/3rd/2014122337.html
「この記事は、吉田氏への取材をもとに「2回ほど朝鮮半島に出かけ、“朝鮮人狩り”に携わった」などと伝えています。」

内容は、戦時中、「山口県労務法国会下関支部」の動員部長だったという吉田清治氏が9月1日夜、大阪市内で催された集会で〈悲惨な『従軍慰安婦狩り』の実態を証言した〉というもの

朝日新聞 1982年10月1日
「朝鮮人こうして連行 樺太裁判で体験を証言」(82年10月1日付社会面)

出典朝日新聞社インフォメーション | 記事を訂正、おわびしご説明します 慰安婦報道、第三者委報告書 朝日新聞社

shimbun/3rd/2014122337.html
東京地裁に証人として出廷した吉田氏が朝鮮人の連行に加わったとの証言を採録し、「朝鮮人徴用業務に直接携わった『労務報国会』の元幹部が初めて証人として出廷、『朝鮮人狩り出し』と呼んでいた強制連行の実態を証言した」などと記しています。

1983年7月 吉田清治氏が『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版

朝日新聞 1983年10月19日

1983年10月19日、「韓国の丘に謝罪の碑」という表題で同氏が韓国の「望郷の丘」に自らの行為を謝罪する記念碑を建てることを報じた

「ひと」欄で 「 朝鮮人を強制連行した謝罪碑を韓国に建てる吉田 清治さん 」 と吉田清治氏を紹介。
 〈 福岡県生まれ。法政大学卒。昭和17(1942)年から敗戦まで山口県労務報国会動員部長。5年前団体職員を退いた。著書に『 私の戦争犯罪』(三一書房刊)など。70歳 〉

朝日新聞 1983年12月24日

<『たった一人の謝罪 韓国で「碑」除幕式』吉田氏が韓国に建てた「謝罪の碑」の除幕式の様子を報じた。「私は戦前数多くのあなた方を強制連行した張本人」などの発言を紹介>

朝日新聞 1984年1月17日
「連載 うずく傷跡 朝鮮人強制連行の現在(1) 徴用に新郎奪われて」(84年1月17日付夕刊社会面〈大阪本社版〉)

出典朝日新聞社インフォメーション | 記事を訂正、おわびしご説明します 慰安婦報道、第三者委報告書 朝日新聞社

shimbun/3rd/2014122337.html
「この記事は、吉田氏が朝鮮人強制連行業務の一端に連なった、と書き、同氏が韓国・天安に建てた謝罪の碑の除幕式の様子を紹介しました。」

TBS 1984年7月

「JNNでは、吉田清治氏について、1984年7月、1991年12月、1992年8月に、あわせて5回、放送しました。しかし、証言の信ぴょう性に疑いが生じたことから、それ以降は吉田氏を取り上げていません。(12日18:10)」

朝日新聞 1986年7月9日

アジアの戦争犠牲者を追悼 8月15日、タイと大阪で集会
1986/07/09 朝日新聞 朝刊 22ページ
<第2次大戦で犠牲になったアジアの人たちを追悼する集会が、終戦記念日の8月15日、「死の鉄道」で名高い泰緬(たいめん)鉄道の要所、タイ・カンチャナブリと大阪で同時に開かれる。>
<大阪集会は、・・・日本側からは、戦争中「山口県労務報国会下関支部」動員部長として、従軍慰安婦を含む朝鮮人の強制連行の指揮に当たった吉田清治さん(72)=千葉県我孫子市=が体験を話す。>

読売新聞87年8月14日
女子挺身隊の悲劇
昭和十七年以降「女子挺身隊」の名のもとに、(略)朝鮮半島の娘たちが、多数強制的に徴発されて線上に送り込まれた。彼女たちは、砲弾の飛び交う戦場の仮設小屋やざんごうの中で、
一日に何十人もの将兵に体を任せた。

朝日新聞大阪版 1990年6月19日

1990/6/19朝刊(大阪版)26面「朝鮮人強制連行の名簿、知事の命令で焼却 元動員部長が証言」

<『朝日新聞』大阪版が「木剣ふるい無理やり動員」との見出しで吉田清治の慰安婦狩りの証言を写真入りで紹介>

1991年8月11日 朝日新聞で「元慰安婦、初の証言」の記事掲載

朝日新聞1991年8月11日
<『朝日新聞』が「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(植村隆韓国特派員・ソウル発)との見出しで記事掲載。金学順がキーセンに売られたことを知っていながら意図的にふせる。また金学順が「女子挺身隊の名で」連行されたとしていたが、東京版、縮刷版では「」内を削除している。>
http://www.ianfu.net/history/history.html

読売91年8月26日
従軍慰安婦に光を
太平洋戦争中、朝鮮人女性が「女子挺身隊」の名でかり出され、従軍慰安婦として前線に送られた。
その数は二十万ともいわれているが、実態は明らかではない。

朝日新聞大阪版 1991年10月10日

<1991/10/10朝刊(大阪版)5面「従軍慰安婦 加害者側から再び証言(女たちの太平洋戦争)」>

<『朝日新聞』大阪版が井上祐雅編集委員による吉田清治のインタビュー記事を掲載。吉田は「私が連行に関与した千人は人妻が多く、乳飲み子を別の女性に抱かせ、若い女性の腕をねじり上げて連行した」、「国が慰安所や慰安婦に関する資料の存在をごまかしている」などと述べる。>

NHK 1991年11月

「証言を取り上げたのは91年11月のニュース。元慰安婦らが補償を求め日本政府を提訴する動きを扱ったニュースで、男性のインタビューを放送した。」
「編成局の松坂千尋計画管理部長は「現時点で(証言は)事実ではないと思っている」とした上で「同じニュースの中で日本政府見解などさまざまな見方も踏まえて報じており、訂正は考えていない」と述べた。」

<1991年(平成3年)11月22日(金曜日)北海道新聞朝刊31面 第1社会
朝鮮人従軍慰安婦の強制連行 「まるで奴隷狩りだった」 日本人元責任者が痛恨の告白 千葉在住の吉田さん 殴って、子引き離し 陸軍と警察 行政一体で
関与否定する政府答弁覆す

※抜粋
北海道新聞記者に自らの体験談を生々しく語った。>


<1991年(平成3年)11月27日(水曜日)北海道新聞朝刊26面 第2社会
本紙で紹介の「従軍慰安婦連行告白」 韓国紙、異例の大々的報道 「民族の魂を汚した」 広がる衝撃>

1991年12月 韓国人元慰安婦らが日本政府に補償を求めて提訴

TBS 1991年12月

「JNNでは、吉田清治氏について、1984年7月、1991年12月、1992年8月に、あわせて5回、放送しました。しかし、証言の信ぴょう性に疑いが生じたことから、それ以降は吉田氏を取り上げていません。(12日18:10)」

共同通信 1991年12月~

「共同通信は男性の証言を91年12月以降、7回報道したが、92年8月の記事を最後に、その後は取り上げていない。」

1992年1月11日 朝日新聞「慰安所 軍関与示す資料」の一面記事

朝日新聞 1992年1月11日

「女子挺身隊」と「慰安婦」の混同

「挺身隊の名で連行」も誤り 朝日、慰安婦報道検証 | GoHoo
http://gohoo.org/alerts/140806/

読売92年1月16日
<従軍慰安婦>
戦時中、「挺身隊」の名目で強制連行された朝鮮人の従軍慰安婦は、十万とも二十万人とも言われる。

朝日新聞1992年1月23日付夕刊1面
1992/1/23夕刊1面「窓 論説委員室から 従軍慰安婦」

<1月23日『朝日新聞』夕刊「窓」欄のインタビューで、吉田清治氏の「強制連行した女性は少なくみても九百五十人」との発言を掲載>

NHK大阪 1992年2月

出典慰安婦問題:吉田氏証言 NHKも放送で使用 - 毎日新聞

「92年2月に朝鮮人の強制連行について扱った大阪ローカルの報道番組で、吉田氏の証言を取り上げたという。」

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