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【マッサン】"ニッカウヰスキー"の原点は「竹鶴酒造」にあった

ウイスキーの父、亀山政春こと竹鶴政孝の生家、亀山酒造のモデル・竹鶴酒造は広島竹原市にある。竹原市は兵庫と並んで江戸時代から続く酒造りの街。多くの蔵元が最高の日本酒を造るため、酒造技術を磨いていきました。そんな町で育ったためか、竹原市の酒造り精神は政孝のウイスキーづくりに影響を与えていたようです。

更新日: 2014年10月09日

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maaageeeさん

ウイスキーの父を育てた広島・竹原市

室町時代より港町として知られ、江戸時代後期は製塩業で栄えた。現在は 『安芸の小京都』 と呼ばれ、2000年に国土交通省によって、町並地区が「都市景観100選」に選定された。

竹原は製塩と同時に酒造業が盛んな街で、大正時代には竹原には50件の酒蔵が存在し西条を凌ぐ酒の産地でした。

現在、竹原には3社の酒蔵が稼動しています。
その中で最も長い歴史を持つ蔵が竹鶴酒造株式会社です。

現在、広島県竹原市には竹鶴酒造株式会社として営業。今でも江戸時代に作られた家屋が形を残しているため、ドラマ『マッサン』では実際にロケ地になったんだとか。

竹原では酒造りのノウハウが洗練されていた

広島の水は、県内のほとんどの井戸で硬度3~6の「軟水」でした。そのため、当時の広島の酒は甘口で日持ちもよくない悪い酒になりやすかったと言われています。

ちょうど政孝が生まれた頃、広島の酒造業界では「吟醸酒の父」といわれる三浦仙三郎をリーダーに、当時抜群のブランドを持っていた灘酒に負けぬ酒をつくろうと、蔵元たちが酒づくりの改良に意欲的に取り組んでいたといいます。

兵庫・灘で酒造に使われていた水は「宮水」と呼ばれる上質な硬水だった。

お酒造りにおける、そんな軟水の弱点を、逆に広島酒の個性にしようとしたのが、安芸津の醸造家 三浦仙三郎氏(1847~1908)です。

三浦氏は、明治20年代、軟水醸造法と呼ばれる醸造法を開発

広島のお酒は、灘の「男酒」に対して、広島の「女酒」と呼ばれるようになった

父・竹鶴敬次郎の姿を見て育った政孝

竹鶴政孝の父・敬次郎は分家の生まれでしたが、本家の主人夫婦が相次いで亡くなったため、本家に入り、酒造業を受け継いでいました。

そのため政孝は分家ながらも三男として竹鶴の本家で生まれ、酒造業という環境のなかで少年時代を過ごしました。

「酒は、つくる人の心が移るもんじゃ」、「酒は、一度死んだ米を、また生き返らせてつくるのだ」

本家で生まれ育った政孝は、厳しい姿勢で酒造りに挑む敬次郎の背中を見ながら育ちます。

「父の酒づくりの態度はきびしかった。神聖な気持ちとからだで、酒づくりにぶつかっていった」

「酒づくりのきびしさは、いつのまにか父を通して、私の血や肉になっていたようである」と振り返っている

広島で培われた酒造りの心得をウイスキーづくりにも生かす

安芸津の三津杜氏さんたちが、竹鶴さんのウイスキー造りに貢献したというのは想像に難くないと思います。

後年見せる政孝の仕事に対する探究心、品質に対する厳しい態度は、こうした環境が育んだと言えるでしょう。

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