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変人すぎて教科書に載らなかった天才化学者、ヘンリー・キャベンディッシュ

クーロンの法則、オームの法則やシャルルの法則などを一般に発見者とされている化学者たちよりも早く発見していながら、それらを何故か発表しないまま死んでしまった変わり者の化学者、ヘンリー・キャヴェンディッシュの人生とその偉大な功績について。

更新日: 2015年02月12日

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変わり者の化学者、ヘンリー・キャヴェンディッシュの人生

1731年10月10日 – 1810年2月24日
イギリスの化学者・物理学者。

ヘンリー・キャヴェンディッシュは英国貴族の子として南フランスのニースに生まれた

1731年、イギリス貴族の子供として病弱な母の療養先のフランスで出生しました。

18歳でケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学した。大学では物理学と数学において優れた成績を収めていたが、そこでは学位をとることなく、1753年に退学した

退学の理由は、学位授与式における宗教上の問題を回避したためと推測されています。

父の死後、イギリス王室に次ぐほどの莫大な財産を継承したが、ほとんど人とつきあわず、自ら設計した高価な研究機器の詰まった屋敷で密かに研究を続け、莫大な量の未発表原稿を残して1810年2月24日78歳で死去した

1783年に父親が死去後、その莫大な遺産により生活に不自由することなく生涯研究に没頭します。

水素の発見,水の合成などの化学研究をはじめ,電気・熱の研究,地球の質量・比重の測定など,多くの業績を残した

水素を発見したことや、水が化合物であることを発見した人物として知られています。

ヘンリー・キャヴェンディッシュが使用した実験装置の図。

多くの大発見(クーロンの法則、オームの法則、ゲイ=リュサックの法則、比熱、潜熱の発見、砒素の発見等)を行っていながら全然発表しなかったという実に変わった人物

後世に“発見”された数多くの法則を、彼は先行して発見していながら、未発表のまま死去してしまいました。

他人とかかわるのを極度に嫌う性格であったため、生涯については分からない点が多い

1776年に、物質としての水素の存在を証明した最初の論文を発表した。彼はこの業績に対し、王立協会からコプリ・メダルを受けた

一般には水素の発見者として知られていますが、彼にはまだまだ知られざる発見の数々がありました。

生前発表されなかったキャヴェンディッシュによる偉大な “発見”

存命中は王立協会の『フィロソフィカル・トランザクションズ』に18報の論文を発表したにすぎないが、未発表の原稿の中にはのちに日の目を見る優れた実験記録も残された

遺稿となった論文の一部が初めて公表されたのは死後30年近くが経過した1839年のことでした。

1874年ケンブリッジ大学に実験物理学の研究所が作られた際に、ヘンリーの残した莫大な未発表原稿は研究所初代所長ジェームス・クラーク・マクスウェルに託された

この「キャヴェンディッシュ研究所」は、世界で最も多くのノーベル賞受賞者を輩出した研究所として有名で、核物理学のメッカと言われています。

マックスウェルはキャベンディッシュが1771年から1781年にかけて実験して残した膨大な記録を整理して,それらの実験器具も再現し,『ヘンリー・キャベンディッシュ電気学論文集』を執筆してマックスウェルが亡くなる直前に出版

マックスウェルはヘンリーの研究メモの解読と追実験に、亡くなる前の5年間を費やしています。

キャヴェンディッシュの死から69年後に出された同書により、キャヴェンディッシュの電気に関する研究内容の全貌が初めて明らかになり、その研究の先進性が広く知られるようになった

1879年に刊行された「ヘンリー・キャベンディッシュ電気学論文集」によって、ようやく彼の功績が日の目を見ることになりました。

荷電粒子間に働く反発し、または引き合う力がそれぞれの電荷の積に比例し、距離の2乗に反比例すること(逆2乗の法則)を示した電磁気学の基本法則。
ヘンリー・キャヴェンディッシュにより1773年に実験的に確かめられ、シャルル・ド・クーロンが1785年に法則として再発見した。

導電現象で抵抗に流れる電流とそれによって発生する電位差に関する、電気工学の重要な法則。
1781年にヘンリーが最初に発見していたが、未発表であった。1826年にドイツの物理学者であるゲオルク・オームによって再発見・公表された。

圧力が一定のとき、理想気体の体積は絶対温度に比例することを示した法則で、1787年にジャック・シャルルが発見し、1802年にジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサックによって初めて発表された。
ヘンリーはこの法則を1779年から1780年に実験により既に得ていた。

「混合気体の全体としての圧力(全圧)は、各気体成分それぞれの圧力(分圧)の和に等しい」という法則。1801年にジョン・ドルトンにより発見されたが、ヘンリーは既に1777年から1779年の間にドルトンのものより高精度な測定を行っていた。

なぜ彼は研究成果を発表しなかったのか?

全生涯を知識の獲得に捧げたが、完全に満足のいく結果のみを発表した

完璧主義者だったのでしょうか…?

寡黙であり、また大変な人間嫌いでほとんど誰とも言葉を交わすことがなかった

極度の人間嫌いで、他人と会う機会は王立協会の会合などに限られていたそうです。

生まれつき、高い社会的な地位に恵まれた彼。そのために、研究成果を発表して、名誉を求める必要はありません

名誉や金が欲しいという欲求も、その必要性も皆無。

父親からの膨大な財産に恵まれた彼。生活費の心配なく、高価な実験装置に囲まれて、研究に没頭できました

あまりに生活に余裕がありすぎて、研究は彼の趣味でしかありませんでした。

とにかく自分の楽しみのために研究を行っており、発表しなかった

生前に発表していれば、今頃は教科書に彼の名前のついた法則や単位が載っていたかもしれません。

Twitterの声

18-19世紀初に、ヘンリー・キャヴェンディッシュという科学者がいた。オームよりも先にオームの法則を発見し、クーロンよりも先にクーロンの法則を発見していたが、生前発表せず、死後遺品の調べで確認された。人嫌いで、生涯独身。私は彼を「科学者版ヘンリー・ダーガー」と呼んでいる。

オームの法則を発見したのはゲオルク・オームではなくて クーロンの法則を発見したのはシャルル・ド・クーロンではなくて それら全て彼らより先に発見としたのは 大学中退、生涯無職、独身、人見知り、引き籠もりだった ヘンリー・キャヴェンディッシュ

ヘンリー キャベンディッシュは変人で、人と話すのが好きではなく、女嫌いであった。大変な知識と資産に恵まれていたが、無駄遣いは嫌いだった。好きな研究、特に物理と化学ばかり考えていたに違いない。また、身体に電流を流して、強さを比較するなど気持ち悪い研究方法をとっていた。

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