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ノーベル賞に近かった経済学者・故宇沢弘文の偉大な業績を振り返る 成長至上主義への警鐘

経済学者で東京大学名誉教授の宇沢弘文氏が、9月18日に亡くなられました。日本を代表する経済学者であり、経済成長論、最適経済成長論への多大な貢献を果たした氏の「反経済学」「社会共通資本」とは何かをまとめてみました。

更新日: 2014年10月06日

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romero_jrさん

日本の理論経済学の第一人者で、文化勲章を受章した東京大学名誉教授の宇沢弘文(うざわ・ひろふみ)氏が18日、肺炎のため東京都内で死去していたことが明らかになった。86歳だった。

2部門成長モデル

得意の数学をいかして60年代、数理経済学の分野で数多くの先駆的な業績をあげた。経済が成長するメカニズムを研究する経済成長論の分野で、従来の単純なモデルを、消費財と投資財の2部門で構成する洗練されたモデルに改良。

理論経済学の分野で優れた業績を残した[9]。新古典派の成長理論を数学的に定式化し、二部門成長モデルや最適値問題の宇沢コンディションも彼の手による。新古典派経済成長モデルではその成長経路が安定的とされてきたが、宇沢は「安定的」なものではなくむしろ不安定なものである、また経済はケインズ的な失業を伴うという点に着目した。

70年代からは環境問題にも言及

70年代に入ってからは研究の方向性が大きく変化した。ベストセラーになった「自動車の社会的費用」(74年刊)では、交通事故や排ガス公害などを含めた自動車の社会的コストを経済学的に算出し、大きな話題を集めた。地球温暖化をはじめとする社会問題にも積極的に取り組み、発言・行動する経済学者としても知られていた。

1997年文化勲章受賞、ノーベル賞に近いともいわれた

1997年に文化勲章を受章され日本人経済学者の中ではノーベル賞に最も近い学者と言われています。

反経済学ブームにおいて大きな影響力をもつ

1970年代から80年代前半にかけて、日本には反経済学ブームというものがあった。この時に批判されていた経済学というのは、市場メカニズムを重視する新古典派経済学やミルトン・フリードマンのマネタリズムなどであった。

宇沢はこの反経済学ブームの中でも、とりわけ大きな影響力を持っていた。宇沢の反経済学的な主張は、『自動車の社会的費用』(74年)、『近代経済学の再検討』(77年、以下『再検討』)、『近代経済学の転換』(87年)、『経済学の考え方』(89年)等に集約されている。

「ベトナム戦争の経験は、一方では経済学者たちが持っていた社会的、歴史的な思想・論理体系が現実と大きく乖離し、妥当しないということを示した」

新古典派経済成長モデルの限界 ー 「安定的」ではない

簡単にいうと投資によって経済の大きさは実現し、安定的な成長経路をたどるという考え方である新古典派経済成長モデルを、宇沢はその限界まで推し進めて、新古典派経済学の限界をみようとしていた。

宇沢の功績では決して「安定的」なものではなく、むしろ不安定なもの、また経済がケインズ的な失業を伴うことにも注目するものだったという。

経済成長至上主義の限界

「高度成長の欠陥をひと言にしていえば、経済活動と環境との相克を狭義の経済的規範によって処理し、環境のはたす文化的、社会的な機能」について無配慮である、というのが宇沢思想の核心である。

成長優先に対するアンチテーゼ

統計や情報の組み合わせで経済を予測する合理的成長を目指す理論が米欧で台頭してくると、こうした成長優先の政策に批判的な視線を投げかけた。

TPPにも警鐘を鳴らす

晩年の宇沢氏は「TPPは社会的共通資本を破壊させる」と唱え、「TPPを考える国民会議」も立ち上げた。

宇沢氏こそ、アベノミクスが推し進め、竹中平蔵慶大教授が旗を振っている「新自由主義」に真っ向から反対し、猛烈な批判を浴びせていたことだ。

ミルトン・フリードマンへの批判

宇沢は市民的権利を蹂躙するイデオロギー、あるいは金儲け主義の権化としても新古典派経済学を批判していく。このような倫理面での批判は、主にミルトン・フリードマンという個人に対して強く向けられていた。

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