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荒木 浩(あらき ひろし、1968年5月1日 - )は、日本の宗教団体オウム真理教(2000年「宗教団体・アレフ」、2003年「アーレフ」、2008年「Aleph」に改称)の人物。教団の広報を担当する幹部として活動。京都大学卒業。京都大学大学院中退。

豊田亨 (国立)東京大学理学部物理学科→東京大学大学院理学研究科

豊田 亨(とよた とおる、1968年1月23日 - )は、オウム真理教元幹部。確定死刑囚。兵庫県加古川市出身。ホーリーネームはヴァジラパーニ。

白陵高等学校を経て、東京大学理学部物理学科卒業。素粒子理論を専攻し、東京大学大学院理学研究科物理学専攻修士課程修了。

2018年現在、東京拘置所に収監されている。東京大学出身者の死刑が確定したのは日本国憲法下では初めてであり、旧帝国大学出身者としては下関通り魔殺人事件の犯人(九州大学)についで2人目である。

村井秀夫 (国立)大阪大学理学部物理学科→大阪大学大学院理学研究科

村井 秀夫(むらい ひでお、1958年12月5日 - 1995年4月24日[1])は、オウム真理教幹部。大阪府出身。ホーリーネームはマンジュシュリー・ミトラ、ステージは正大師。省庁制が採用された後は科学技術省大臣だった。教団では麻原に次ぐナンバー2、科学技術部門最高幹部と見られていた。

大阪府立千里高等学校を経て、1977年、大阪大学理学部物理学科卒業、大阪大学大学院理学研究科修士課程修了、理学修士。

中川智正 京都府立医科大学医学部医学科

中川智正(なかがわ ともまさ、1962年10月25日 - )は、元オウム真理教幹部。確定死刑囚。岡山県出身。ホーリーネームはヴァジラ・ティッサ。中学校時代のあだ名はケツ。麻原彰晃の主治医。

1977年3月岡山大学教育学部附属中学校、1980年3月岡山県立岡山朝日高等学校、1988年3月京都府立医科大学医学部医学科卒業。

渡部和実 (国立)東京工業大学

渡部和実(わたべ かずみ)は元オウム真理教幹部。神奈川県出身。教団が省庁制を採用した後は、複数いる科学技術省次官の筆頭となり、村井秀夫につぐナンバー2となった。

東京工業大学生産機械工学科を1981年に卒業後、都内の大手電機メーカーに7年間勤務する。オウム真理教に入信し1988年に出家。

富永昌宏 (国立)東京大学医学部

富永 昌宏(とみなが まさひろ 1969年2月25日 - )は大阪府出身のオウム真理教元出家信者。元医師。

大阪府泉大津市の公立中学校から灘高等学校に進学。高校時代は『大学への数学』誌の学力コンテストで3期連続全国1位を記録。1987年3月に同校を卒業し、同年4月、東京大学理科三類に入学。1992年6月、東京大学医学部医学科6年在学中、高校から大学を通じての友人石川公一の影響によってオウム真理教に入信。

遠藤誠一 (国立)帯広畜産大学畜産学部獣医学科→京都大学大学院医学研究科

遠藤誠一(えんどう せいいち、1960年6月5日 - )は元オウム真理教幹部。確定死刑囚。北海道札幌市出身。ホーリーネームはジーヴァカ。教団内でのステージは正悟師で、1994年6月に教団に省庁制が採用されてからは厚生省大臣になり、後に第一厚生省大臣となった(第二厚生省大臣は土谷正実)[1]。教団内では薬物購入の責任者であった[2]。

北海道札幌北高等学校卒業の後帯広畜産大学畜産学部獣医学科卒業。1986年、同大学院畜産学研究科獣医学専攻修了と同時に獣医師の資格を取得。京都大学大学院医学研究科博士課程に進学。専攻は遺伝子工学、ウイルス学。1987年3月にオウム神仙の会に入信。1988年11月9日、博士課程中退とともにオウム真理教に出家した。

土谷正実 (国立)筑波大学農林学類→筑波大学大学院

土谷 正実(つちや まさみ、1965年1月6日 - )は元オウム真理教幹部。東京都出身。筑波大学大学院化学研究科修士課程修了。有機物理化学を専攻。ホーリーネームはクシティガルバ。

東京都立狛江高等学校から筑波大学第二学群農林学類へ進学。卒業後は同大学院化学研究科へ進学。修士課程2年の1989年4月に入信。 修士論文は「片道異性化に関する研究」であった。その後、博士課程に進んだがオウムの修行を優先させ中退した。

林郁夫 慶應義塾大学医学部

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