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人種差別によりノーベル賞を受賞出来なかった日本人

北里柴三郎 野口英世 高峰譲吉 鈴木梅太郎 山際勝三郎 武井武 小林六造

更新日: 2014年10月12日

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akiratetsuoさん

人種差別により受賞出来なかった日本人

第1回ノーベル医学・生理学賞「ジフテリアの血清療法の研究」の決定的理由となった論文の大半の研究成果をあげた人物。受賞は共同研究者だったドイツのフォン・ベーリング

北里大学と慶應義塾大学医学部の創始者である北里柴三郎が第1回ノーベル賞の最有力候補だった

ノーベル賞が創設された1901年の第1回ノーベル医学・生理学賞は、ドイツのフォン・ベーリングの頭上に輝きました。受賞理由は「ジフテリアの血清療法の研究」です。
このベーリングの業績は、北里と共同で行われた研究であり、受賞の決定的理由となった論文の大半は、実は北里のやった研究成果です

精神病の病理を、明らかにした医学史上最初の人物

廃棄される家畜の内臓物を用いてアドレナリンの抽出研究をはじめ、1900年に結晶抽出に成功。世界ではじめてホルモンを抽出した例となった。アドレナリンは止血剤としてあらゆる手術に用いられ、医学の発展に大きく貢献した

副腎皮質ホルモンを世界で始めて結晶化し、アドレナリンと名付けた
しかし、米国人のJ・アクセルロッドが、アドレナリンを脳伝達物質として理論付けノーベル賞を取った

その後、野口英世が1911年に梅毒の病原体スピロヘータを、マヒ性痴呆患者の大脳の中から発見して世界に示しました

厳密な意味で、精神病を医学の対象にした最初の人物でもあるわけです

つまり、彼の業績は、精神病の病理を、明らかにした医学史上最初の成果でもあったわけです。彼もノーベル賞候補に2回推薦されますが、最終候補にも残りましたが結局、受賞には到っていません

ビタミンB1(オリザニン)の発見者
歴史上初めてビタミン類を発見した人物

ビタミンB1(オリザニン)の発見者の鈴木梅太郎
人類を脚気(かっけ)から解放した大偉業だが、これまた米国人のC・フンクがビタミンと言い換えて発表した。
まず、日本人が名付けた名を消し、次に業績も
「米糠(こめぬか)に脚気の治癒効果がある」
と予言したオランダ人のC・エイクマンがノーベル賞を受賞した

人工癌研究のパイオニア
人工癌の研究以前に胃癌の発生、および肝臓細胞癌についての研究を行う
「環境、とくに繰り返される刺激がガン細胞を作る」との仮説を立て、実験を開始
実に3年以上に渡って反復実験を行い、1915年ついに人工癌の発生に成功します

山極勝三郎の「コールタールによる発ガン説」に対しては、「寄生虫による発ガン説」のフィビガーがノーベル賞を受賞しています。しかも、山極勝三郎が正しく、フィビガーが間違っていたにもかかわらずです

ビデオからステルス性能まで生み出したフェライトの父と呼ばれる

ビデオからステルス性能まで生み出したフェライトは昭和五年にTDK創姶者の武井武が発明した。
オランダのフイリップス社がこれに興味を持ちサンプルを求めてきた。
武井が親切にサンプルを送ると、同社はギャロと同じことをした。サンプルを分解し、理論を突き止めて世界に特許を申請した。
戦後、GHQの命令で日本はフィリップス社の特許を飲まされた。武井武の名は消しさられた。
さすがに同社はノーベル賞までは言い出さなかったが、それを見た仏物理学者ルイ・ネールが武井理論を自分名で出してノーベル賞を受賞した

慶応医学部の小林六造は猫の胃から螺旋菌を見つけた。あの強い胃酸の中に菌がいる。大
いなる発見だが、小林はさらにその菌をウサギに接種してみた。ウサギは胃潰瘍を起こした。
彼はそれをヘリコバクタ菌と命名した。
オーストラリアのバリー・マーシャルはその螺旋菌を自らの胃に接種した。胃潰瘍が起き
た。ピロリ菌の発見だ。
彼はノーベル賞を受賞したが、小林の名と業績を語ることはなかった

このように、20世紀初頭、何故か日本人の業績は海外では認められていません。というのも、当時は現在とは比較になぬほど人種差別(いわば、白人の優越感)が強く、しかも人種差別への声もほとんど聞かれず、今日では想像も出来ませんが、それが美徳ですらあった時代でした。
つまり、ノーベル賞候補であった北里らが、遠い異国の日本人であり、文明程度の低い日本人にノーベル賞を与えるよりも、同じヨーロッパ人に受賞させたいとする人種的偏見が奥深く働いたのでしょう。
欧米人が、白人にしかできないと思い込んでいた自然科学の分野で、日本人も多くの業績を残すようになりました。この時期、自然科学を「欧米人と肩を並べて研究出来る」と確信した有色人種は日本人だけだったわけです。したがって、その後有色人種の活躍が始まるようになったのも、日本人のこの分野への貢献が大きく影響したと考えてよいでしょう。
いずれにしても、当時の感覚では、下世話に言えば「日本人は業績はいいが、顔色が悪い」ということだったのでしょう。

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