1. まとめトップ

ひど過ぎるハワイ併合の歴史【民主主義の侵略】

19世紀の終わり、ハワイは一つの主権国家だった。それがアメリカ合衆国に民主主義の名の下に武力によって乗っ取られたというあまりにも酷い、暗い歴史がある。

更新日: 2015年07月14日

palezioさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
29 お気に入り 72509 view
お気に入り追加

19世紀の終わり、ハワイは一つの主権国家だった。それがアメリカ合衆国に民主主義の名の下に武力によって乗っ取られたという暗い歴史がある。

アメリカ合衆国のリゾート地になってしまったハワイ。しかしそこにはもともと近代的な主権国家が存在していた。

近代国家としてのハワイ王国

彼は、ハワイ経済のためアメリカ合衆国との交渉を積極的に行い、1874年11月には自らワシントンに出向きアメリカ合衆国のグラント大統領とも会いました。日本を訪問した世界最初の国家元首カラカウア王は、明治天皇と会見したハワイ国王でした。

国王といっても、選挙によって選ばれ、自ら足を運ぶ行動的な政治家でした。19世紀の終わり、アメリカ合衆国の侵略に遭うまで、ハワイには主権のある近代国家が存在していたのです。

1840年にはハワイ王国には憲法が制定されていた。

日本と同様に島国ではあるハワイでは、大日本帝国憲法よりも50年も先行して、ハワイでは憲法が制定されていました。

ハワイは、カメハメハ3世の治世の1840年に憲法が制定され、近代国家としての体裁が整っていました。各国は相次いでハワイ王国を承認し、名実ともに独立国家として認められるようになっていたのです。

しかし、ハワイの土地は、アメリカ合衆国による乗っ取りの対象となってしまいました。このときの手法は、その後のアメリカの対外侵略の典型的な手法の一つになった重要なものでした。

アメリカ合衆国の移民を受け入れてしまった

アメリカ合衆国企業がハワイ王国に進出すると、米国系入植者が増え、サトウキビ栽培や輸出などによって経済的にも力をつけはじめました。

アメリカ人企業を中心に「親米的」な政治を求める声が強くなっていくと、その動きはアメリカ本土の資本を巻き込み拡大していきます。

アメリカ移民による暴動

1887年、アメリカ系の経済人・政治家・サトウキビ農場主らが結成した政治組織「ハワイ連盟」を名乗る武装勢力の蜂起が発生します。

米国系白人市民たちからなる民兵部隊「ホノルル・ライフル連隊」と共謀し、カラカウア退位を迫ったハワイ連盟は、強硬にカラカウア王に退位の代わりに内務大臣のアメリカ人ロリン・A・サーストンが起草した新憲法を受け入れさせたのです。

「銃剣憲法」と呼ばれるこの憲法では、
・「国王は議会の承認無しに政治に関与できない」
・「ハワイ人・アジア人には選挙権を与えない」

ハワイの米国人による武力による奪い取りでした。

国王は議会の承認無しに政治に関与できない

ハワイ人・アジア人には選挙権を与えない

王制を強制的に廃止

白人特権の確立

武力による脅しに屈し、カラカウア国王は修正憲法の成立を承認しました。

この修正憲法には「国王は議会の承認無しに政治に関与できない」「ハワイ人・アジア人には選挙権を与えない」という条項が存在し、当時人口の1/3にすぎなかった白人に圧倒的地位が与えられることになったのです。

ハワイの王政が廃止され、「民主主義」が誕生した出来事でした。

1893年1月16日、アメリカ合衆国と関連の深いサトウキビを扱う業者らがさらに親米的な政権を打ち立てるため、国家転覆を計画しました。

アメリカ海軍艦USSボストンが、サンフォード・ドールらを保護する名目でホノルルに侵入、リリウオカラニ女王を幽閉しました。

ハワイ王国の滅亡

女王は捕らえられ、拘束したハワイ人の命と天秤にかけて王位を放棄するよう要求されたリリウオカラニ女王は、市民の命を優先し、退位してしまいます。

ハワイ王国が滅亡させられたのです。

1月17日、ドールはハワイ臨時政府を打ち立て、王政廃止を宣言。

多くの先住ハワイ人が虐殺され、リリウオカラニ女王は捕らえられた約200人のハワイ人の命と引き換えに王位請求を断念、ハワイ王国は崩壊した。

こうして1894年、ドールは一方的にハワイ共和国の成立を宣言、同国の大統領となりました。

1895年1月に王党派による最後の大規模な抵抗運動が発生しましたが、武力によって鎮圧されました。

1月16日にはリリウオカラニも『私邸から「大量の武器が発見された」』という口実で逮捕され、廃位されました。「武器発見」を名目としたキャンペーンは、現在まで続く侵略方法の一つとなりました

産業も白人のものに

ハワイの産業は、ハワイ人ではなく、アメリカ人によって行われることになった。

サンフォード・ドールの従弟であるジェームズ・ドールはオアフ島の中央部の平野に農園を開き、1901年にハワイアン・パイナップル・カンパニーを創業しました。

現在へと続くDoleブランドのはじまりとなりました。

フルーツは、大量生産しても短期間で輸送しなければ商品価値が維持できません。トロピカルフルーツはそれが栽培できない地域への大量輸送で付加価値の生じる製品です。そのため、資本による大規模農業に組み込まれやすい性質があります。

出典
news.nissyoku.co.jp
パイナップルによく貼ってあるDoleのロゴは、アメリカ合衆国によるハワイ支配を象徴しています。

ハワイ国王から政権を武力で奪った一族は現在までハワイの主要産業を保有し続けています。

ハワイのアメリカ合衆国への併合

1898年、ハワイは「憲法に基づいた民主的な議会の決定によって」アメリカ合衆国に併合されることになった。

武力により奪い取り、白人に圧倒的に有利な憲法を制定させ、その憲法の名の下に、アメリカ合衆国に併合されました。これが、アメリカ合衆国によるハワイ征服の方法です。

1 2





このまとめに参加する



  • 話題の動画をまとめよう