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太宰治の遺書「お前を誰よりも愛していました」 戦前の尾崎豊、現代のキリスト・聖書・言霊使い

太宰 治(だざい おさむ、1909年(明治42年) - 1948年(昭和23年) 本名、津島 修治(つしま しゅうじ)。1948年(昭和23年)に山崎富栄と共に玉川上水で入水自殺。主な作品に『走れメロス』『津軽』『お伽草紙』『斜陽』『人間失格』。

更新日: 2014年10月19日

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-聖少女-さん

自殺未遂を繰り返し5回目で自殺完遂に至った作家

1909‐48(明治42‐昭和23)
小説家。本名津島修治。青森県生れ。東京帝大仏文科中退。津軽屈指の大地主の六男として生まれたことが,この作家の生涯と芸術に決定的な影響を与えた。中学時代から文学に親しみ,旧制弘前高校に入って左翼思想に接し,大地主の子であることに屈折した罪意識を抱くようになった。1930年に東京帝大仏文科に進み,井伏鱒二に師事する。この年から非合法運動に関係するようになった。同年,青森の芸妓小山初代と結婚するが,その直前にバーの女給と心中をはかり女だけが死んだ。

太宰治、ダイアナ妃、尾崎豊、ウィノナ・ライダー・・・4人の共通点とは?境界性人格障害

マリリンや太宰も
激しく衝動的な行動、薬やアルコールへの依存、買い物での多額の浪費などが主な症状とされている境界性人格障害。実は“10代の代弁者”と謳われ、26歳の若さで急逝したシンガー・ソングライターの尾崎豊もこの病気だったそうだ。

太宰治は何故日本人からこうも愛されるのか 理由が知りたい

「選ばれし者の恍惚と不安二つ我にあり」

生まれ育ちが良くて(勘当になってしまったけれど)
除籍処分になったとは申せ、東大文科にパスしたという学歴をもち
上背もありルックスも悪くなく、身につけるものは一流品。
加えてウィットに富んだ会話もこなせるシャイを気取った作家となれば現代の凄腕ホストもまっさおだったのでは?

確かに人間としては最低な部分もありますが
それを自身で率先して認めて開き直られた日には抗議の仕様もありません。

「井伏さんは悪人です」。太宰が遺書に書いた言葉の意味は何だったのか?親兄弟、友人知人を騙り、窮地に陥る度に自殺未遂を起こした太宰。その太宰を冷徹に観察し、利用した井伏。二人の文士は、ともに「悪漢」であった。師弟として知られる井伏鱒二と太宰治の、人間としての素顔を赤裸々に描く傑作評伝ミステリー。

太宰が死のうとしていたのではなく、生きようとしていた

太宰治 死の理由は遺書から読み取れる?

「新潮」平成十年七月号に公開された正式な遺書の一部。(「文藝春秋」平成二十一年一月号の特集・昭和の遺書より)
http://blogs.yahoo.co.jp/jyhs0114/47326200.html

●妻に宛てた太宰の遺書(抜粋)

「美知様 誰よりもお前を愛していました」
「長居するだけみんなを苦しめこちらも苦しい、堪忍して下されたく」
「皆、子供はあまり出来ないようですけど陽気に育てて下さい。あなたを嫌いになったから死ぬのでは無いのです。小説を書くのがいやになったからです。みんな、いやしい欲張りばかり。井伏さんは悪人です。」
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/dazai.html

人間失格の太宰治こと津島修治 戦後日本人にとっての聖書 原罪と贖罪 世間とはお前の事だ

『斜陽』という作品により、太宰治は一躍流行作家になったが、戦後の人間や社会に対する彼の絶望はいよいよ深くなり、死を賭して自己の内部をえぐり、…精神の苦悩を、真実を、探求・告白する『人間失格』を書く。

『…太宰治は新進作家の栄光のさなか、昭和十年、…自殺をはかるが、未遂に終り、
  恥ずかしさからうろたえ、心の弱さから麻薬中毒にかかり、借金の不義理を重ね、
  自己否定、自己破壊へと突走って行く。…

    『斜陽』という作品により、太宰治は一躍流行作家になったが、
  戦後の人間や社会に対する彼の絶望はいよいよ深くなり、
  死を賭して自己の内部をえぐり、…精神の苦悩を、真実を、
  探求・告白する『人間失格』を書く。

太宰は、現代において真に人間的に生きようとすれば、その人間は人間の資格を剥奪され、破滅せざるを得ないというおそろしい真実を描いているのだ。

…『人間失格』は、常に読者への奉仕、読者をよろこばせ、楽しませようと努めてきた
  太宰治が、はじめて自分のためにだけ書いた作品であり、…精神的自叙伝である。

太宰治の全作品が消えても『人間失格』だけは…繰返し読まれ、感動を与え続ける、
  文学を超えた魂の告白といえよう。

 …一度愛読者になると太宰治は、その人間にとって特別の存在になるのだ。
 …それにも関わらず、太宰治の文学的評価・位置づけは未だ確定していない。
 …全否定し認めようとしない文学者、大嫌いだという読者も少なくない。
 太宰に対しては、全肯定か全否定しか許されない。

太宰治は、好きにしろ嫌いにしろ、肯定するにせよ否定するにせよ、…

 …読む者の魂に、不思議な魔力をもって…迫ってくる文学者なのである

自分の幸福の観念と、世のすべての人たちの幸福の観念とが、   まるで食いちがっているような不安…

人間、失格。
 
  もはや、自分は、完全に、人間で無くなりました。


 …いまは自分には、幸福も不幸もありません。

  ただ、一さいは過ぎて行きます。


  自分がいままで阿鼻叫喚で生きて来た所謂「人間」の世界に於いて、

  たった一つ、真理らしく思えたのは、それだけでした。

  ただ、一さいは過ぎて行きます。…

私は愛されたかった。

でもそれがこんなところで、
自分の心の中で見つけるなんて。

ずっと握りしめていた手のひらを開くとそこにあった。
そんな感じで。

おかあちゃん、これからは何が起きても怖くありません。
勇気がわいています。

この人生を二度と幸や不幸ではかりません。

なんと言うことでしょう。
人生には意味があるだけです。

ただ人生の厳粛な意味を噛みしめていけばいい。
勇気がわいてきます。

おかあちゃん、いつか会いたい。

そしておかあちゃん、
いつもあなたをお慕い申しております。

追伸、私にももうすぐ赤ちゃんが生まれます。

太宰治 人間失格 言葉の魔力に 津島修治自身が呑み込まれてしまった説

父・源右衛門は木造村の豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、多額納税による貴族院議員等をつとめた地元の名士

小説家になるために井伏鱒二に弟子入りする。この頃から本名・津島修治に変わって太宰治を名乗るようになる。

在学中に、カフェの女給で人妻である田部シメ子(1912-1930)と出会い、鎌倉・腰越の海にて入水自殺を図る。

田部 シメ子(たなべ しめこ 1912年(大正元年)12月2日 - 1930年(昭和5年)11月29日)は作家太宰治の恋人の一人。別名田部あつみ、また田辺あつみとも。太宰の短篇「道化の華」(1935年)に登場する心中事件の相手"園"のモデル。

内縁の妻・小山初代(1912-1944)とカルモチン自殺未遂

1936年(昭和11年)、前年よりのパビナール中毒が進行し治療に専念するも、処女短編集『晩年』を刊行。翌1937年(昭和12年)、内縁の妻・小山初代(1912-1944)とカルモチン自殺未遂、一年間筆を絶つ

小山 初代(おやま はつよ 1912年(明治45年)3月10日 - 1944年(昭和19年)7月23日)は作家太宰治の内縁の妻。芸妓としての名は紅子。太宰からはハツコと呼ばれていた。

「HUMAN LOST」(1937年)や「姥捨」(1938年)や「東京八景」(1941年)など多数の太宰作品に登場する一連の女性のモデルとなった。

津島 美知子 1997年(平成9年)2月1日、心不全で死去
1998年(平成10年)1月、税務署公示で課税遺産額が約9億4千万円と発表される。

NHK連続テレビ小説『純情きらり』の原案

1998年、構想から5年をかけた大作『火の山―山猿記』を完成。家族、生と死、言葉の隔たりといったそれまでのテーマを集大成し谷崎潤一郎賞・野間文芸賞を受賞。この作品は後に2006年4月から放送のNHK連続テレビ小説『純情きらり』の原案となった。

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