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本当のオスカー・シンドラー。理想化された映画「シンドラーのリスト」の真実

オスカー・シンドラーは、ユダヤ人を救った人物として「シンドラーのリスト」という映画にもなりました。しかし、実際の所は、かなりのプレイボーイで、妻であるエミリー・シンドラーがユダヤ人を救うためにかなり動いた部分もあったようです。

更新日: 2017年07月30日

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misukiruさん

お金・命を人を守るために使う

オスカー・シンドラーは、事実として莫大なお金をつぎ込んでユダヤ人を救った。お金とはこうやって使うものなんですね。

出典labola.jp

第二次世界大戦中に実業家として工場を運営して、そこでユダヤ人労働者を働かせて、ガス室送りになる労働者1200人を救ったとする人物です。1994年に『シンドラーのリスト』として映画化されました。

それは、ユダヤ人たちがいなくなると工場を閉鎖しなければいけなくなるから、という経営者目線での損得感情からスタートした。それぐらい、ささいで利己的な始まりだったのだ。

プレイボーイだったオスカー・シンドラー

エミリー・シンドラーとオスカーシンドラーは、戦後1949年にアルゼンチンへ2人で移住します。しかし、1957年にオスカーのみがドイツへ帰国して、再び会う事はありませんでした。

シンドラーは、快楽主義者で遊び人で、まさにプレイボーイのライフスタイルを楽しみ、生きることをそのすべての面で享受していた。

抜け目のない実業家で、美食家で、女たらしで、一流品好みで、金遣いの荒い、快楽主義者の見本のような人間であったシンドラー

女の様に毎日違うデザインの高級スーツを着替えて仲間と飲み歩き、家には殆ど帰らず、引っ掛けた女の家を渡り歩いて遊んで暮らすという生活

エミーリエとの間に子供はできず、シンドラーは父の秘書だったアウレリエ・シュレーゲル(Aurelie Schlegel)を愛人にして、彼女との間に私生児2人をもうけている。

*1935年に生まれた長男オスカーは、ツヴィッタウをソ連が占領した際に行方不明に。

写真の一番左側がオスカーシンドラーです。

映画ではシンドラーは戦争の末期には無一文となっているが、実際には、姿を隠すときに、かなりの金をため込んでいた。

シンドラーの妻

このシンドラーのリストという映画は、Thomas Keneallyという作家の「Schindlers Ark」という原作を元に作られていますが、生存しているエミリー・シンドラーに原作者はインタビューをしていません。

主要な時期にシンドラーは留置所に居た。ユダヤ人を逃す手続きは、厳格なカトリック信者である夫人が“自分の意志”かつ“自分一人”で行った

オスカーは、工場の経営者としての力量にも欠けていて、実際は女遊びばっかりだった。会社運営、そしてユダヤ人の救出に東奔西走していたのは、この私。

*エミリー・シンドラー本人の発言であり、実際にSS隊員と仲良しのシンドラーなしには、エミリー・シンドラーだけで何も出来ませんでした。

2009年にユダヤ人801人の氏名を記したリストの原本をカーボン複写したもので13ページが、豪シドニーの図書館から偶然発見されています。

見学可能なシンドラーの工場

シンドラーの工場は、老朽化しながらも今でも大事に保存されています。内部が博物館になっています。

クラクフ・ポドグジェ地区には、そのシンドラーの工場が、今日も当時のままの姿で残されており、映画のシーンにも登場した入り口の階段やシンドラーの執務室などを見学することができます。

クラフクに残されたシンドラーの執務室に置かれた机には、当時の新聞紙などが再現されています。

1944年のピーク時には、エマリアで1,700人の工員を雇っており、1,000人以上が後にプラショフ強制収容所に移ったユダヤ人強制労働者

何を話しているか不明ですが、ユダヤ人労働者の前で映画さながらにお話をする場面が実際にあったようです。

囲ってあるZgody広場(Plac Zgody)は、各地に移送されるユダヤ人の集合場所に使われたそうです。

ドイツ当局は汚職と不当なユダヤ人援助の疑惑を抱きました。親衛隊と警察官は3度も彼を逮捕しましたが、告発することはできませんでした。

ナチスSS隊員と親密だったシンドラー

オスカー・シンドラーは、ナチス党の党員でもあり、SS隊員たちと仲良くしていました。

工場を買い取りホーロー容器工場とした。ナチスの幹部には賄賂で近づき、ゲットー(周囲から隔離されたユダヤ人居住区)に移送されていたユダヤ人の労働力を利用して経営も軌道に乗る。

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