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山口組6代目組長・司忍・日本裏社会の頂点 波乱万丈の人生まとめ

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更新日: 2017年05月29日

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akiratetsuoさん

山口組6代目組長・司忍

司 忍 (つかさ しのぶ、本名: 篠田 建市 (しのだ けんいち) 、1942年1月25日 - ) は、日本のヤクザ。指定暴力団・六代目山口組組長。身長165cm


生誕
1942年1月25日(72歳)
日本の旗 日本 大分県

出身校
大分県立水産高等学校(現・大分県立津久見高等学校海洋科学校)

職業
ヤクザ(極道)

なぜ本名でないのか?

「司忍」というのは、渡世名
渡世名というのは、博徒の渡世上の名前
本名とかけ離れたものではなく、縁起を担いで名前を変えたり、優しそうな名前を、いかつい名前にするようなものが多い
「司忍」渡世名の由来は、仲が良かった実弟の篠田司氏が、小学生の頃に病気で亡くなり、それを忍んで名付けたものと言われている

司忍六代目の人物像

1995年(平成7年)01月17日(火)に発生した阪神・淡路大震災の時、渡辺五代目の所にヘリコプターで駆けつけ、 共に被災者救援活動(救援隊を組織し、トラックの手配・物資・寝具の提供・炊き出し等)を展開した話などは、 有名なエピソードである

六代目継承と≪公平な人物≫と言われる所以

2005年07月(平成17年)当時、山口組の新しい当代に司忍若頭が決まった時、ある元関係者は次のような最大級の賛辞を口にした。「司六代目は侠客の精神を持っている。田岡三代を髣髴させる人物だ。 山口組は最良、最高の選択をした事になる。」と語っている。
≪公平な人≫だと司六代目を知る人は口をそろえてこう言う。人間観察に秀でていると言うのだ。 「だから、ハッタリ、ゴマスリは通用しない。えこひいきしないし、決して人の悪口を言わない人だ」(司六代目を知る人物)

六代目の哲学

人間に関する司六代目の哲学は≪人間には、良い所・悪い所、色々ある。悪い所はなかなか直らない。 だったら良い所をもっと伸ばすようにしたら良い。その人間は、今よりもましな人間になる。良い所を見る事を心掛けろ。≫ と言うものである。 心掛けている事の一つに、≪決断力と実行力≫がある。≪良い決断をする≫為には、広く、深く、≪様々な情報を集める≫必要がある。 その為には日常的に≪勉強や読書が欠かせない。≫

読書とスポーツ好き

ヤクザの親分は意外にも≪読書家≫が多いが、司六代目も大変な読書家として知られている。司六代目と言えば、 華々しい武勲が際立つが、≪インテリジェント≫も併せ持つ「文武両道」の親分なのだ。司六代目が率いてきた 初代弘道会の幹部達の間では ≪司会長(当時)に本を贈る事≫が1つのステータスのようになっていた時期もあると言う。

側近の関係者(引退)はこう明かす。「もともとは哲学書を好んで読んでいたが、あらかた読破してしまった様子で、 歴史書や中国故事なども読んでいた。そんな時、ある組員が1冊の本を親分に贈った。欧州の詩集だった。 これを大変お気に召したようで、それからは詩集も読み、やがて自らも書きとめるようになったようです。」
スポーツはスノボーが好きで、マリンスポーツはウェイクボードをやる。 水泳も得意で、健康維持と身体を鍛える為、スポーツでよく汗を流していると言う

信念と、質素な食生活と組員に対する想い。

食事に関しては質素なようだ。和食中心の低カロリーで栄養のバランスが良い食事を摂り、特に煮物の類が好物らしい。 このあたりは司六代目が崇拝する 田岡一雄・山口組三代目の好みと似ている。心身共に健全でなければ良い親分とは言えないという信念があるようだ。

組の為に身体を賭けた若い組員が社会復帰した時、戻れる場所がなければ可哀想だ。だから親分は病気などしてはいけないと言う信念なのだろうか? 司六代目がストイックな生活をしているのは、そんな組員達の為なのかも知れない

六代目山口組 司忍組長の人柄

「司六代目の人柄を示すエピソードとして、司親分は金銭の貸し借りを例に引いて語ったと言うのですが、 例えば、借金をしていた相手がこちらが返さないうちに亡くなってしまった場合、すぐに遺族に返しに行け。 逆に貸していた相手がこちらに返さないうちに亡くなってしまったら、それは香典としてくれてやれ。 間違っても遺族に返済を迫ったりしたらいかんぞ!と言うものです。それが極道ぞ!と言う事なのでしょう。」(司六代目を知る人物)

堅気への気配り

めったに飲酒はしないようだが、必要がありクラブなどに行く時も早めに行き、他の客がやって来たらサッと席を立って店をあとにすると言う。 これなどは堅気の人達が気持ち良く時間を過ごす事が出来るようにとの、司六代目の気配りなのだろう。このようにして見てくると、 なんとも人間味あふれる魅力的な司六代目の人物像が浮かび上がってくる

渡辺五代目政権から司忍組長側によるクーデターの真相。噂

木村勝美の『山口組若頭暗殺事件』より
本書では、実力の差が歴然としていたにもかかわらず、会津小鉄一家がなぜ山口組最大の勢力を誇っていた中野会会長を襲撃したのかについて、従来京都の利権をめぐる争い云々と言われていたが、実は「山口組が(中野襲撃を)了承しとったからですよ。あの散髪屋の(中野襲撃)事件は、宅見が会津にやらせよったんや。宅見が仕組んだんですよ。」という記述がある

宅見襲撃の司令塔だった中野会若頭補佐の吉野和利の話として、「宅見のガキは、永中とつるみやがって、カネばかり溜め込んどる。」という言葉を紹介した後で「理髪店事件は、宅見がウラで糸を引き、中野会長を消そうとしたもの、と吉野はにがにがしげにいった。」と続けて、この中野襲撃は宅見勝と会津小鉄の共謀という見方を示している。(なお、永中とは、許永中のこと)

本書によれば、五代目(渡辺)は中野が宅見を殺すのをどこかの時点で”了承”しており、弘道会はその証拠を掴んでいた。そして弘道会出身の若頭の司忍は、その(五代目による)”子殺し”の証拠を五代目につきつけた後、入江禎(二代目宅見組)の方に向き直って「親の仇は取らなあかん!」と言った。この司の一言で決着がついた。(つまりクーデターが成立した。)

左 五代目 渡辺芳則氏
右 六代目 司忍氏

司忍六代目組長側のクーデターによって、第一線から退いた渡辺前組長は、覇気や威厳の抜け殻になってしまったという

司忍組長が2011年に出所した後、渡辺前組長の住まいを訪ね、挨拶に向かったというが、その際も渡辺前組長は対面している人物が司忍組長だとは終始認識することができない程、脳の衰えが顕著だったという

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