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mototchenさん

大学の始まりについて

現在ユニヴァーシティと言えば総合大学のことを、カレッジと言えば単科大学のことを主に指すが、ユニヴァーシティの語源であるウニヴェルシタスもカレッジの語源であるコレギウムも組合つまりギルドに近いものである…

 法律の解釈書、教科書が現れたイタリアのボローニャでは各国から学生が集まった。そうした学生たちは消費集団として商人などに足元を見られ始めることになるが、そうしたものから身を守るために学生組合を結成、その後同郷団を編成することで市民や都市に要求を通すようになる。こうした形で生まれた大学では学生が教授の雇用主として強い力を持っていることが多かった。

 逆に教会付属学校から出たパリ大学では教授の力が強く、学生は教授たちに弟子入りに近い形をとる。パリ大学には人文学部、神学部、医学部、法学部の四学部があり、これは中世大学の基礎となった。学生たちはまず人文学部において学士を取得することが義務付けられており、その後他の課程のマスターやドクターへと進むこととなった

プロフェッショナルは専門馬鹿とならないよう世界を全学問=自由7科=フィロソフィー=リベラルアーツで掌握

弁護士や医師のあり方に変化が現れたのは,12,13 世紀のヨーロッパで繁栄したギルドの登場である(石村,1969,52 頁)。聖職者や弁護士,医師,教職者たちは他の職業と同様,プロフェッショナルの初期の団体とも言えるギルドを結成した(Carr-Saunders and Wilson,1933,p.289)。そして,大学が大きな役割を果たすことになる。「当時の大学の組織はかなりに画一的なものであり,一般に神学(Theology),法学(Law),医学(Medicine)の 3 つの学部から成っていた。これらの課程を終えたものは,あるものは法の,あるものは医術の,専門家であり,それと同時に社会の知識階層に属することになる」(石村,1969,52 頁)とあるように,「中世ヨーロッパの大学は,それゆえにプロフェッションのための訓練所であった」(石村,1969,53 頁)

大学は神学部・法学部・医学部が中心であったが、学生はこれら専門学部で学ぶにあたって先ず最初に、すべての技芸=知識の基礎であり、あらゆる専門的技芸=知識の前提・土台となる自由七科を哲学部において習得することが求められた。これが大学における教養課程のルーツである。
ところで当時「哲学」という学科がもっていた意味合いは、現在とは大いに異なる。哲学は英語で philosophy、ドイツ語で Philosophie[フィロゾフィー]、ラテン語では philosophia[ピロソピア]というが、これは周知のように「知を愛する」という意味である。古典古代・ヨーロッパ中世にあっては、philosophia はまさしく知を愛するということそのものを指しており、つまりは「知識・学問」と同義なのである。

下に自由七科のリストを挙げてあるが、これを見ると、ここには哲学は入っていない。なぜなら自由七科すべてが哲学だからである。ところで哲学はその根本的語義からいえば、すべての学問を包括する概念

リベラルアーツは古代ギリシアの市民教育にまで遡るといわれ、例えばプラトンは雑然とした学びの総合、諸学相互の内的な結びつきの把握が重要だと指摘しています。その際に念頭にあった分野は数学や天文学でしたが、中世ヨーロッパではいわゆる自由七科(算術・幾何・天文・音楽・文法・修辞・論理)がリベラルアーツに相当

「プロフェッショナル」というのは神の宣託を受けた者という意味で、歴史的に見ても最初に「プロフェッショナル」と呼ばれた人たちは牧師…
たとえばイギリスのオックスフォード大学、ケンブリッジ大学は非常に長い歴史を持っていますが、18 世紀まではほとんどの卒業生は牧師になったのです。アメリカで言いますとハーバード大学が最も古く 1637 年に創立されましたが、その目的は牧師の養成にありました。中世の大学は、基本的には牧師養成を目的…
牧師の次に「プロフェッショナル」と呼ばれたのは「プロフェッサー」つまり大学教授です。大学では今でも口頭試問をやりますが、博士課程の試験では、講義ができるかどうか、ちゃんとしゃべれるかどうかを口頭試問でチェックをしたわけです。いまは論文審査になっていますが。学位の授与はプロフェッサーシップという権限権利を与えるための儀式であった...
その次に「プロフェッショナル」と呼ばれたのが医者です。それから弁護士です。医者と弁護士が「プロフェッショナル」と呼ばれだしたのは 18 世紀から 19 世紀にかけてであり、この二つは近代の専門家の概念を象徴する典型

大学は職業教育の場ではありません。大学は、生計を得るためのある特定の手段に人びとを適応させるのに必要な知識を教えることを目的とはしていないのです。大学の目的は、熟練した法律家、医師、または技術者を養成することではなく、有能で教養ある人間を育成することにあります。

明治の大学

明治維新直後の大学は教科・法科・理科・医科・文科の五分科。法科は、国法・民法・商法・刑法・利用厚生学(経済学)・施政学(政治学)等。理科は、格致学(物理学)・星学(天文学)・動物学・植物学・化学・数学・器械学・築造学等。文科はレトリック・ロジック・羅甸語・各国史・ヒロソヒー。

戦後日本の大学

日本の大学と大学院は、基本的にヨーロッパ型とアメリカ型の折衷型です。第二次世界大戦後、ヨーロッパ型大学のシステムである講座制の旧制大学のシステムを引き継ぎました。アメリカ型の大学の場合は、教員組織はカリキュラム組織によって組織されます。日本の教員人事の一番困難な点は、教養教育や専門家教育を考える場合、講座制をとっていることでしょう。ヨーロッパ型を取りながら、違ったものに対応しようとしているのです。
つまりカリキュラムに対応しようとしていますから、講座制ですと専門のディシプリンでとりますよね、だけど教育で担当するところが違うわけじゃないですか。そこにズレが生じたりするわけです

、戦後すぐ日本の大学は2年制の一般教育の課程をおきました。これが「一般教育」だったということが重要で、「リベラル・アーツ」ではありません。英語では「ジェネラル・エデュケーション」です。アメリカで 4 年かけてやる教養教育を 2 年に短縮して入れたのです。そして旧来のヨーロッパ型の専門教育の 4 年のコースを3・4年に残したのです。
アメリカ型とヨーロッパ型の接ぎ木ですね。ここにヨーロッパ型でもないアメリカ型でもない日本の特殊な大学教育が成立

戦後日本の教師教育の大学化とその内容が師範学校の体制のまであったこと

アメリカとヨーロッパの大学の状況

アメリカ型はそれほど変化していません。つまり学部教育は教養教育、大学院教育は「プロフェッショナル・スクール」プラスいわゆる学術的な純粋アカデミックな研究者養成の少数精鋭の大学院という構造

ヨーロッパ型は大きく変わっています。なぜかと申しますと2つの理由があります。
一つは中等教育がエリート教育ではなくなってしまったのです。昔の旧制高校に行けたのは同世代の 5%割っていますから、大学行った人間は優秀な学生たちで、高校ではエリート教育を受けて大学に入ってくるから、大学は専門教育をやればよかった。今はそんな状況では全くなくなっています。もはや中等教育の進学率は 100%近く…
一方、高等教育のほうはどうかというと、大学教育も 70 年代までは 10%程度の進学率でしたが、現在ではドイツもフランスもイギリスも…もはや 40%になろうとしている…ヨーロッパの大学というのはほぼ全てが国立大学であり授業料は取らない。これは優秀な社会的エリートを養成するという性格を持っていたわけだからです。これが崩れざるを得ないわけです。授業料は取らなきゃいけない。社会的エリートの教育だけを目的とすることはできなくなってくる。
…学部教育において教養教育の性格を強め…社会的な専門家であるプロフェッショナルの養成も含めた大学院へと移行

アメリカでの不満

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