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【哲学的思考実験】"哲学的ゾンビ"は"マリーの部屋"で"スワンプマン"の夢を見るか?

「水槽の脳」「スワンプマン」「マリーの部屋」「哲学的ゾンビ」といった哲学的思考実験をご存知ですか?この4つの思考実験について分かりやすくまとめてみました。

更新日: 2018年10月09日

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この記事は私がまとめました

・そもそも思考実験って何なの?

実際に実験を行わず,用意された対象,それに加えられる条件,測定手段と測定器をいずれも理想的なものと仮想し,実験を行なって得られるであろう結果を推論すること

▼哲学的ゾンビとは?

心の哲学で使われる言葉で、デイヴィッド・チャーマーズが1990年代にクオリアの説明に用いた思考実験であり心の哲学者たちの間で有名になった。

クオリアというのは日本語では感覚質といいます。例えば火を触ったときに熱いと感じる、料理を食べた時においしいと感じる、りんごを見たときに赤いと感じる、空を見たときに青いと感じる、その「感じ」こそがクオリアなのです。
要は人間が主観的に感じる感覚のことです。

「外面的には普通の人間と全く同じように振る舞うが、その際に内面的な経験(意識やクオリア)を持たない人間」という形で定義された仮想の存在

哲学的ゾンビは人間とまったく同じような振る舞いをするため、何年一緒にいても哲学ゾンビと見分けることはできません。人間と哲学的ゾンビの違いは、「怒るという行動」、「泣くという行動」、「笑うという行動」、それらの行動に意識、つまりクオリアがないということです。行動に意識や心が伴っていない、ただあるがままに行動しているだけで、主観的意識を持って行動しているわけではない、それが哲学的ゾンビなのです。

哲学者たちも哲学的ゾンビの存在を信じているわけではなく、心の哲学の分野における議論の道具として用いているのです。心の哲学の他の問題と絡めて議論することが多いみたいです。

脳の神経細胞の状態まで含む、すべての観測可能な物理的状態に関して、普通の人間と区別する事が出来ないゾンビ。

細胞の状態まで人間と同じであるため、普通の人間と区別することは不可能に近いです。そもそも哲学的ゾンビというのは人間とまったく同一の存在であり、唯一違うのは意識を持たないということだけです。意識というのは目に見えるものではない、内面的問題であるため、存在するかどうかの確認など不可能です。そのため他者からでは普通の人間なのかそれとも哲学的ゾンビなのかの判別などできないのです。

オンラインゲームのアバターで考えると分かりやすいかもしれません。アバターは走ったり、物を持ったり、チャット機能によってはしゃべったり、ゲームの内容によっては感情を表す機能も付いています。
外面的に見るならば人間と同じような振る舞いをしていますが、アバター自身は意識を持っているわけではありません。そういう風に行動していますが、意識が伴っているわけではないのです。感情や動きなどの操作をしているのはプレイヤーであり、アバターではありません。アバターは一種の哲学的ゾンビといえるのではないでしょうか?(勝手な私の解釈です)

▼他の哲学的思考実験

マリーの部屋

マリーは聡明な科学者であるが、なんらかの事情により、白黒の部屋から白黒のテレビ画面を通してのみ世界を調査させられている。彼女の専門は視覚に関する神経生理学である。次のように想定してみよう。彼女は我々が熟したトマトや空を見るときに生じる物理的過程に関して得られる全ての物理情報を手にしており、また「赤い」や「青い」という言葉の使い方も知っている。例えば、空からの特定の波長の光の集合が網膜を刺激するということを知っており、またそれによって神経中枢を通じて声帯が収縮し、肺から空気が押し出されることで「空は青い」という文が発声される、ということをすでに知っているのである。さて、彼女が白黒の部屋から解放されたり、テレビがカラーになったとき、何が起こるだろうか。彼女はなにかを学ぶだろうか?

哲学者フランク・ジャクソンが1982年に提案したもの。色について分かっている物理的事実を全て得ているマリーは、色を見たとき何か新しいものを学ぶのか?もし学んだとしたらクオリアは実在しているということになる、そのような思考実験です。
この思考実験において議論されていることは、マリーが持っている知識とはいかなるものだったのかということです。全ての物理的事実を得ることは人間には不可能であり、マリーの知識は神の領域に程近いものになるのです。しかし人間がそこまでの知識を持つことは考えられないため、議論の対象となっています。

そもそもマリーは全ての物理的事実を知っているとなっています。色を初めて見たとしても、その色を初めて見たという物理的事実についての知識も持っていないとおかしいことになり、すると新しく何かを学ぶことはないのではないかということにもなります。もし新しく何かを学んだとすれば、全ての物理的事実を知っているという前提が崩れてしまうのではないでしょうか?

スワンプマン

ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然 雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。
この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。

アメリカの哲学者ドナルド・デイヴィッドソンが1987年に考案したもの。姿だけではなく、知識も記憶もまったく同一であるというものです。ただデイヴィッドソンの考えでは、知識というものは経験から得られるものであるため、生まれたばかりの経験を経ていないスワンプマンの知識は、知識のようで知識ではない別物だそうです。
記憶として知識は持っていても、経験として知識を得たわけではないスワンプマンは果たして、死んだ男と同一と言えるのでしょうか?

水槽の脳

あなたが体験しているこの世界は、実は水槽に浮かんだ脳が見ているバーチャルリアリティなのではないか、という仮説。1982年哲学者ヒラリー・パトナムによって定式化された。

具体的な思考実験の内容は、脳を特殊な成分で満たされた培養液の水槽に入れ、神経細胞を高性能なコンピューターに電極を通して繋ぎます。意識は脳の活動によって生じるという前提から、脳波を操り意識を生じさせ、あたかも現実世界を生きているように見せるというものです。
もしかしたら私たちが生きている世界は、水槽に入れられた無数の脳が見ているバーチャルリアリティなのかもしれません。もしくはオンラインゲームのように脳を操作しているプレイヤーがいて、この世界はゲームの中であり、自らの意思で行動していると思っていることは外部から操作されているものに過ぎず、全てはまやかしでしかないのかもしれないですね。

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