1. まとめトップ

カンボジア ポル・ポト政権の闇

医者や教師を含む知識階級は見つかれば「再教育」という名目で呼び出され殺害された。

更新日: 2015年02月08日

9 お気に入り 148303 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

inevergiveupさん

ポル・ポト(クメール語: ប៉ុល ពត, ラテン文字転写: Pol Pot、1928年5月19日 - 1998年4月15日)は、カンボジアの政治家。民主カンプチア首相、クメール・ルージュ(カンボジア共産党)書記長。

1976年5月13日に、ポル・ポトは民主カンプチアの首相に正式に就任し、地方で大粛清を始め、徹底的な国家の改造を行った。ポル・ポトが目指したのは中華人民共和国の毛沢東主義を基盤にした「原始共産主義社会」であり、資本主義の要素を全て否定することであった。また、カンボジア仏教からも自我の否定、戒律、転生などいくつかの観念が援用されていた。

都市居住者を農村での食糧生産に強制的に従事させるために、「米軍の空爆があるので2、3日だけ首都から退去するよう」と都市居住者を地方の集団農場へ強制移住させた。生存者の証言によると、病人・高齢者・妊婦などの弱者に対しても全く配慮はなかったという。

ポル・ポトは自身が国家から奨学金を得て留学したにもかかわらず反体制的運動に参加した経験から、自らの政治体制の矛盾を見抜きうるインテリ階級を極度に恐れ、弾圧した。プノンペンは飢餓と疾病、農村への強制移住によってゴーストシティとなり、医者や教師を含む知識階級は見つかれば「再教育」という名目で呼び出され殺害された。始めは医師や教師、技術者を優遇するという触れ込みで自己申告させ、どこかへ連れ去った。

始めは医師や教師、技術者を優遇するという触れ込みで自己申告させ、どこかへ連れ去った。やがて連れ去られた者が全く帰ってこないことが知れるようになり教育を受けた者は事情を理解し無学文盲を装って難を逃れようとしたが、眼鏡をかけている者、文字を読もうとした者など、少しでも学識がありそうな者などは片っ端から収容所に送られ殺害された。また、無垢で知識が浅い子供が重用され、解放直後は14歳以下が国民の85%も占めていた。

カンボジアでは伝統的に上座部仏教が信仰されてきたが、仏教もまた弾圧の対象とされ、多くの僧侶が強制的に還俗させられ、寺院が破壊された。ポル・ポト政権下において、仏教は壊滅的な打撃を受けた。

ベトナムが支援するヘン・サムリン政権は1975年から1979年の間の死者数を300万とした(これはのちに下方修正された)。フランソア・ポンショー神父は230万とするが、これは内戦時代の死者を含む。イェール大学・カンボジア人大量虐殺プロジェクトは170万、アムネスティ・インターナショナルは140万、アメリカ国務省は120万と推計するがこれらの機関は内戦時代の戦闘や米軍の空爆による死者数には全く言及していない。フィンランド政府の調査団によれば内戦と空爆による死者が60万人・ポル・ポト政権奪取後の死者が100万人とする。マイケル・ヴィッカリーは内戦による死者を50万、ポル・ポト時代の死者を75万人としている。当事者による推定ではキュー・サムファンは100万人、ポル・ポトは80万人である。

1 2