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清朝最後の皇帝「溥儀」の生涯。ラストエンペラーと美人妻の婉容

清朝最後の皇帝(ラストエンペラー)と言われる「溥儀」と、その妻である美人妻の婉容についてまとめました。清朝最後の皇帝から満州国の皇帝になりましたが、その後に中国の成立と共に一般人となりました。

更新日: 2019年08月20日

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misukiruさん

溥儀は、鬱屈した宮廷生活と、誰一人として自分を咎めだてしない特殊な環境の中で育ちました。

殺される危険が生じたから、ある日護衛隊の目がくらんだ隙を利用して逃げ出し、命からがら日本の公使館に転がり込んできた。

1925年2月には鄭孝胥と日本の支那駐屯軍、駐天津日本国総領事館の仲介で、溥儀一行の身柄の受け入れを表明した日本政府の勧めにより天津市の日本租界の張園に移る

清朝滅亡後に日本政府の支持のもと満洲国の執政に就任、満洲国の帝政移行後は皇帝に即位し、康徳帝と称した。

満州人の建国を支援するという口実だったので、満州人の長である旧清朝の皇帝であった不義に白羽の矢が立ったのです。

溥儀ら三人は日本租界宮島街の張園に仮寓し, 日本亡命を希望した。しかし当時の天津総領事・吉田茂の反対で、日本行きは実現しなかった。

婚姻当時、皇妃二人は共に14歳。婉容は美貌に優れ、外交的で性格のいい気さくな皇后、文綉の容貌はどちらかと言えば平凡で、閉じこもって古典を読み、筆墨の世界に慰めを見出す内向的な妃であった。

婉容には満州国皇后時代に2人の愛人がおり、娘を出産したと言われる。上記の自伝にある「許し得ない行為」とは、この事と思われる。

溥儀と婉容

婉容様、大変美しく、古い、はっきりしない画像の写真でも、すぐに見分けがつくご容貌。

2人はジョンストンに相談して英語圏風の名で呼び合うようになります。溥儀はヘンリー、婉容はエリザベスと名乗っていました。思えばこのころが、婉容にとって最も幸せな時期だったのです。

溥儀は満州国皇帝の夢にとりつかれ、婉容等をまったく省みなくなり、孤独のあまり彼女はアヘン中毒になってしまい、満州国崩壊後に悲惨というもおろかな最期をとげる

1959年、建国10周年の特赦を受け北京へ戻り、北京植物園で軽労働を始める傍ら、1962年李淑賢と結婚する。溥儀57歳、李淑賢37歳。

参考の映画

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