1. まとめトップ

ベルリンの壁崩壊25年式典!光の風船・ブランデンブルク門に推定100万人が集まる

ベルリンの壁崩壊25年式典「一連の記念行事が3日間開催されており、風船飛ばし」「ブランデンブルク門で行われた式典には推定100万人が集まった。」

更新日: 2014年11月10日

4 お気に入り 4996 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

hidechan2012さん

冷戦による欧州分断の象徴だった「ベルリンの壁(Berlin Wall)」崩壊から25年となった9日、ドイツの首都ベルリン(Berlin)市内で記念式典が開かれ、かつて壁があった場所に沿って並べられた数千の光輝く風船が、夜空へと放たれた。東ドイツで育ったアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)独首相(60)は、25年前の壁崩壊は「夢はかなう」ことを証明したと語った。

ドイツの首都ベルリン(Berlin)のブランデンブルク門(Brandenburg Gate)前で行われた「ベルリンの壁(Berlin Wall)」崩壊25年の記念式典で、夜空に放たれる風船を見る人々

ドイツの首都ベルリン(Berlin)のブランデンブルク門(Brandenburg Gate)前で行われた「ベルリンの壁(Berlin Wall)」崩壊25年の記念式典で、風船飛ばしの後に打ち上げられた花火を見る人々(2014年11月9日撮影)。(c)AFP/ODD ANDERSEN

ベルリンの壁とは

ベルリンの壁(ベルリンのかべ、ドイツ語: Berliner Mauer)とは、冷戦の真っ只中にあった1961年8月13日にドイツ民主共和国(東ドイツ)政府によって建設された、西ベルリンを包囲する壁である。1989年11月10日に破壊され、1990年10月3日に東西ドイツが再統一されるまで、この壁がドイツ分断や冷戦の象徴となった。

分割後まもなく米・英・仏など資本主義陣営(西側諸国)とソ連など共産主義陣営(東側諸国)が対立する冷戦に突入し、1948年6月からベルリンへの生活物資の搬入も遮断された(ベルリン封鎖)。西側諸国は輸送機を総動員し、燃料・食料を始めとする生活物資を空輸し西ベルリン市民を支えたため(空中架橋作戦)、翌1949年5月に封鎖は解除された。

なお、ドイツが分断されて東西で別の国家が誕生すると東ベルリンは(東ドイツを統治していた)旧ドイツ民主共和国の首都となったが西ベルリンは地理的に西ドイツと離れていたことから形式上「(西ドイツを統治していた)ドイツ連邦共和国民が暮らす、米・英・仏3か国の信託統治領」となり西ドイツ領とはならなかった。
そのためドイツ連邦共和国の航空会社であるルフトハンザの西ベルリンの空港への乗り入れが禁止となるなどの制限はあったが、事実上はドイツ連邦共和国が実効支配する飛び地であった。西ベルリンと西ドイツとの往来は指定されたアウトバーン、直通列車(東ドイツ領内では国境駅以外停まらない回廊列車)と空路により可能であった。東ドイツを横切る際の安全は協定で保証されたが上記のように西ベルリンに入れる航空機は米・英・仏のものに限られ、西ドイツのルフトハンザは入れなかった。

ベルリンの壁崩壊

世界の他のハフポスト各国版の編集長とともに執筆に加わりました。【New!】ベルリンの壁崩壊から25年、世界の政治家たちよ、現存する「壁」をぶち壊せ huff.to/1qyI2jk pic.twitter.com/q82Fi7ZGfz

ベルリンの壁崩壊(ベルリンのかべほうかい)とは、ベルリンの壁が1989年11月10日に東西ベルリン市民によって破壊開始された事件である。略称として壁崩壊(ドイツ語: Mauerfall)という。東欧革命を象徴する事件として有名である。
1989年11月9日に東ドイツ政府が東ドイツ市民に対して、旅行許可書発行の大幅な規制緩和を「事実上の旅行自由化」と受け取れる表現で誤発表した事によって生じた。実際に壁の人為的・物理的破壊が始まったのは11月10日であるが、崩壊の日付は、その起源であるゲート開放(後述)が行われた11月9日とされる場合がある。

ベルリンの壁の歴史を6秒で!RT@TwitterDE Die Geschichte der Berliner Mauer in 6 Sekunden von dem @vineapp-Künstler @koelnkomm. vine.co/v/OeQuvMhX3Og

そして2014年11月9日ベルリンの壁崩壊から25年!壁崩壊25年式典

ベルリンの壁崩壊から25年、写真で比べる当時と今 ift.tt/1qxnHKY 世界の最新ニュースはこちら→ ift.tt/1yk8O3X :写真 pic.twitter.com/FWIhZiYMs5

ポスト・クラシカル【 @NilsFrahm】が、今日のGoogleトップ『ベルリンの壁崩壊25周年』動画の音楽を担当しだそう。 google.com 映像→youtu.be/2D9WXF3Mpbo (via @ErasedTapes)

Germany: Watch as 8,000 balloons are released into Berlin’s sky: youtu.be/Lyb-OEc_9lQ?li… @YouTubeさんから ううううあああああ;;;;;ω;

LIVE - Commemorative ceremony of 25th anniversary of Berlin Wall fall: youtu.be/z6wli5Jf4vs @YouTubeさんから こっちのLIVEは息してるのか!!

壁崩壊から25年、8000個の風船型照明がベルリンの壁跡をトレース RT @urbanphoto_blog: 8000 lighted balloons tracing the path of the Berlin Wall... pic.twitter.com/hqIKEdzAmr

「ベルリンの壁(Berlin Wall)を開放した男」

ドイツの首都ベルリン(Berlin)北方のベルノイシン(Werneuchen)にある小さなアパートで暮らすハラルト・イエーガー(Harald Jaeger)氏(71)は、本人は否定するものの、「ベルリンの壁(Berlin Wall)を開放した男」と呼ばれている。

かつて東ドイツの共産主義体制に忠誠を尽くす国境警察の隊員だったイエーガー氏は、それでも「壁を開いたのは私ではない。あの夜に集まった東ドイツの人々だ」と謙遜する。

1989年11月9日の夜、東西ベルリンを隔てるボルンホルマー通り(Bornholmer Strasse)の検問所は、上司からの明確な指令もなく、完全な混乱状態に陥っていた。そんな中、とっさの判断でゲートを開いたのがイエーガー氏だった。

■あのとき何が起きたのか

 軍の中佐であり、秘密警察シュタージ(Stasi)にも所属していた彼は当時、28年にわたって国境警察で勤務し、ボルンホルマー通り検問所の副所長を務めていた。

 25年が経った今もイエーガー氏は、群衆が集まるきっかけとなった言葉を耳にした時の衝撃を思い出すという。

 共産党の高官が突然、東ドイツの国民は「すぐさま、滞りなく」外国を訪れることができるとテレビ放送で宣言したのだ。

 AFPのインタビューに対して「パンがのどに詰まりそうになったよ」と話す彼は、「自分の耳が信じられず、『いま一体、どんなばかげた話が発表されたんだ?』とつぶやいた」と話す。

■何の指令もなし

 東ドイツ国民による抗議行動はそれまで数週間にわたって続いており、その規模は膨れあがりつつあった。11月9日の夜も、検問所は警戒態勢にあった。しかしイエーガー氏は、新たな歴史が作られる夜になるという兆候は何もなかったと話す。

 午後6時に、仕事を終わらせて帰宅する上司から14人の部下を引き継いだ彼は、普段通りの勤務になるものと思っていたという。

 だが、食堂で夕食を取りながらテレビを見ていると、事態は急速に変化した。西側への旅行を許可する声明が唐突にテレビから流れたのだ。

 イエーガー氏が急いで持ち場に戻って事態を説明すると、同僚たちは最初、聞き間違いではないかと疑った。彼は、状況が明確になることを願って上司に電話をかけた。

 だが上司は「そんな馬鹿げたことのために電話してきたのか?」とぼやいて、国境を通過するために必要な旅行許可証を持っていない者は追い返すよう、命令を出した。

 検問所の外では、最初は少しずつ集まって来た人々の集団が徐々に膨らみ、「通せ!」との叫び声が上がり始めた。

 パニックになったイエーガー氏は再度上司に電話したが、「上から何の命令も受け取ってない。君に与える指示はない」と言われただけだったという。

 その後も群衆は膨らみ続け、午後9時ごろまでには国境検問所へと続く道が人で埋め尽くされた。

 イエーガー氏は再び電話を取り、「何かしなければ」と叫んだという。

1 2