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処刑方法【生き胴・生き吊り胴刑】とは

土を盛り、「土段場」というものを作り、そこに目隠しをした罪人をうつぶせに横たえ、2人の斬り手が同時に頸と胴を斬り放すものである。延宝8年と元治年間にこの刑に処せられた者がある。

更新日: 2014年11月22日

win-winさん

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生き吊り胴(いきつりどう)は、江戸時代、金沢藩の死刑のひとつである。

処刑法としての生き胴は中世から存在したが、剣術としての試し斬りは戦国乱世に端を発し、江戸開府後に発達したものである。後の世には巻藁のみが用いられるようになったが、明治維新の前後までは死罪と決まった犯罪者を対象として行われるのが常だった。死刑囚の中でも情状酌量の余地がある者の場合は執行後すぐに遺族へ亡骸が下げ渡されるが、度し難い罪を犯した極悪人は首を刎ねるだけでは済まされずに胴や手足、さらには断たれた頭部までもが試し斬りに共されたのである。残酷なことには違いないが、一種の付加刑としての措置だったといえよう。
 しかし辻斬りは許されざる罪を犯した外道に対してではなく、無辜の人々を標的に夜毎の凶行を繰り返している。なればこそ、許し難いのだ。
 何者の仕業なのかは判然としないが、太刀筋が鋭すぎる。二人の大工は、身体を三つに分断されていた。
 左内が生まれた金沢城下では、死罪が生きたまま執行される。土壇と称される盛り土の上に罪人をうつ伏せにさせて縛り付けておき、二人がかりで首と胴を同時に絶つのが『生き胴』であり、吊るした状態で刃を打ち込むのが『生き吊り胴』だ。
 どうやら、辻斬りは生き吊り胴の術の手練であるらしい。

 辻斬りの犯人は、御様御用首切り役・山田家に一度婿養子に入り廃嫡された山田源蔵と、元加賀藩士・守谷秀政。守屋は左内の兄・博之進と同年で左内が兄とも慕った剣客であった。二人は遊ぶ金欲しさに凶行に及んでいた。
 左内は山田浅右衛門と共に、二人を倒す。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kitanok/dokusho_2009/rinrin.html

死刑方法

死刑は受刑者が生きたまま執行される。土を60cmほど盛り上げ、その上に受刑者を横たわらせ、竹に手足を縛り付けて動けないようにする。二人の斬り手で首と胴を同時に絶つのが『生き胴』であり、吊るした状態で刃を打ち込むのが『生き吊り胴』である。

また、江戸でも公私ともに行なわれたといい、「大ケサ」は、右肩から左臀部へ一直線に斬り下げ、「ケサ」、また「中ケサ」は、右肩から左腋腹までを斬り下げ、「吊し胴」は、両手を頭上にして吊るし、腋腹を横に一直線に斬り放し、「放し斬」は、両手を後頭部に縛り目隠しをして罪人を歩かせながら後ろから胴体を横一文字に斬り放すことをいう。その他、斬り方には口伝があり、各流、各太刀の使い方は異なる。

雑学

盛り上げた土を土壇場といい、土壇場の語源となった死刑の方法でもある。ここから首斬り場という意味に発展していった

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