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【切腹】とは

切腹(せっぷく)は、自分の腹部を短刀で切り裂いて死ぬ自殺の一方法。主に武士などが行った日本独特の習俗。

更新日: 2014年11月15日

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win-winさん

切腹

切腹(せっぷく)は、自分の腹部を短刀で切り裂いて死ぬ自殺の一方法。主に武士などが行った日本独特の習俗。(目的を果たせなかった場合などの)自身や臣下の責任をとり、自身の身を以て集団及び家の存続を保とうとする行為。近世からは、自死のみならず処刑の方法としても採用された。腹切り(はらきり)・割腹(かっぷく)・屠腹(とふく)ともいう。

行われた地域:日本
期間:1170 年(嘉応2年)~1873年(明治6年)

概念

切腹が習俗として定着した理由には、新渡戸稲造が『武士道』(Bushido: The Soul of Japan、1900年刊)の中で指摘した、「腹部には、人間の霊魂と愛情が宿っているという古代の解剖学的信仰」から、勇壮に腹を切ることが武士道を貫く自死方法として適切とされたとの説が唱えられているとされる。
切腹の動機としては、主君に殉ずる「追腹」(おいばら)、職務上の責任や義理を通すための「詰腹」(つめばら)、無念のあまり行う「無念腹」、また、敗軍の将が敵方の捕虜となる恥辱を避けるためや、籠城軍の将が城兵や家族の助命と引き換えに行うことがある。また、合戦における下知なき行動(抜駆け)を行った者に対し、刑罰的な意味を込めて切腹を命じる場合もあった。中でも徳川家康は抜駆け行為に対し、一族郎党全員の切腹という、特に厳しい軍律を設けていた。
切腹は、安土桃山時代や江戸時代初期からは自死のほかに、処刑(死刑)の方法の一部としても採用されているが、この場合、自分の不始末を自力で処理するため、主君より「死を賜る」という考えから、誉ある死とされた。江戸時代になると形式的なものとされたが、事例自体は多いとはいえず、割合でも刑罰等での切腹が多くを占めるようになった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%85%B9

日本における歴史

切腹は、平安時代末期の武士である源為朝(1139年(保延5 年) - 1170 年(嘉応2年))が最初に行ったと言われている。これとは別に藤原保輔(ふじわらのやすすけ)が988年(永延2 年)に事件を起こして逮捕された時に自分の腹を切り裂き自殺をはかり翌日になって獄中で死亡したという記錰が残っているが、彼の場合は切腹の趣旨である「己の 責任を取るために自ら命を絶つ」という意図で切腹したか明確ではなく「切腹ではない」という解釈も可能なので、その意味では最初の切腹を行ったと断定できる人物は源為朝である。

また、一般的に、鎌倉時代に武士の習慣と武士道が広まるに従って定着し、中世から近世を通じて行われたと思われている。
近世以前の事例を見ると、一部の例外を除いて、切腹は敵に捕縛され、斬首されることを避けるための自決に限られている。[要出典]戦に敗れたから即自決と言うわけではなく、地下に潜り(逃亡し、本当の身分を伏せて生きること)再起を図ろうとする武士も大勢いた。また、壮絶な切腹は畏敬の念を持たれることもあるが、切腹自体は自決のひとつに過ぎず、特に名誉と見られることもなかった。武士の処刑も全て斬首刑で、身分ある武士と言えども敵に捕縛されれば斬首刑か、監禁後の謀殺であった。

安土桃山時代の頃に切腹の概念が変わってきたと言われ、豊臣秀吉によって豊臣秀次、千利休らは刑罰として切腹を命じられている。それに対し、関ヶ原の戦い、大坂の役での敗軍武将への処刑は全て斬首刑であるが、古田織部、細川興秋など、豊臣方与力と看做された者は切腹させられている。

その後も、江戸時代に改易された大名(家取り潰し)が切腹させられた例は殺傷事件を起こした浅野長矩、前田利昌など極めて例外的であることは注目に値する。処刑方法としての切腹は、1873年(明治6 年)に廃止され、以後、日本における死刑では絞首刑が用いられているが、切腹を自殺の方法として用いる例は、明治時代以降も軍人や右翼の間に見られる。切腹を武人らしい名誉ある自決とする思想は残った。このため、軍人や右翼も自決方法として、しばしば切腹を用いる。

http://blog.tuad.ac.jp/gakugeiin/wp-content/uploads/2013/02/1390586026.pdf

切腹の手順

まず、切腹の小刀は柄を取り去り、刃先四、五分を残して白紙を巻き、紙縒りで結んでおきます。三宝は祝儀の時とは反対に据えますが、角の一端を欠き取りその欠けた所に小刀を刃を切腹人の方に向けておきます。介錯人は切腹する人の左後ろに立ちますが、裃の右肩を脱ぎ、切腹人が高位なら右肩に立てた刀のつばが耳の辺りに来るように高く上げ、同輩の時はそれよりも下に、目下ならばもっと低くします。

介錯については四段階あって、切腹人が肌を脱ぎ終わった時、三宝を引き寄せるために体が前に傾いた時、刀を取り上げた時、切っ先を突き立てた時と「時代考証事典」には有りますが、父の話はすさまじいもので、こうして刀に手をかけるときなどに首を落とすのは切腹人を辱めるものだったと言います。

切腹はまず着物の襟をはだけて左手で腹を右に撫でて肉を押しやり、その押した後ろに刀を突き立てます。こうすると押されていた肉が戻ってたやすく刀が腹に突き立つそうで、ここから右のほうに引き切り、一度刀を抜き、続いて鳩尾に突き立てて下に切り下げます。十文字に切る訳です。ここまですんだら刀を抜き膝の脇に置いた白紙で刀の切っ先をぬぐい元の通りに置いて両手を前につき首を差し出すようにして介錯されると言うのです。かなりの剛胆さと落ち着きが無いとこれは出来ないと思います。それでだんだんと形式化して、前記の様に早く介錯する様になったようです。

介錯人は普通の斬首刑と区別するために、首の皮一枚残して落としますが、これまた余程の腕でないと出来ない事で、滅多になかったと言います。一説には首を切り落とすとその反動で切腹人の体が後ろに倒れて醜態をさらすので、皮一枚残しその重みで前に倒れるようにしたとも聞きました。そして切腹人はその場所までは履物を履かずに行きます。これも履物を脱いだりする時に、気が動転してよろめいたりする無様をせぬようにとの心からだそうです。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1020334530

切腹したらどのぐらいで死ぬの?

【5日以内】

腹部を切り裂いて速やかに死に至るのは、素人にはかなりむずかしい技術のようです。によれば、背骨の脇を通っている腹部大動脈を切断すれば、わりと早く死ねるらしい。ただし、背中に近いところにありますので、素人がヘソの下に刃物を突き立てても、傷つけることはできないらしい。とくに肥満体型の場合には不可能といってもいいようです。

■腎臓を派手に傷つけるとショックで死んでしまうという噂もあります。ただし、腎臓もまた背中側にあります。背後からナイフで刺されたりすると、ショック死するのかもしれません。でも正面からではむずかしいようです。位置もわかりませんよね。

■浅くしか刺せなかった場合、すぐには死ねないそうです。腹の傷が痛むばかりだそうです。多くの場合、腹膜が破れています。腸にも穴があいているでしょう。腸の内容物から感染し、急性腹膜炎を起こし、2~3日後に亡くなるようです。傷の痛みと感染症の苦しみ。想像したくありませんね。

■腸自体は傷がついていなくても、腹膜が切れていると、腸はそこから体の外に飛び出してくるそうです。突然に気が変わり、この世に未練が生まれ、慌てて腸を押し込んだりします。当然ながら雑菌も一緒に腹膜の内部に入り込みます。この場合にも腹膜炎の可能性がありそうですね。

■こうした苦しみが経験として理解されていたため、切腹の際には介錯をする例が多かったそうです。首をちょん切ってしまえば、一瞬の激痛はあるでしょう。でも、数秒~十数秒後には脳は失血のために機能しなくなるようです。つまり痛みも感じなくなるらしい。これなら急性腹膜炎も恐くありません。

http://blog.q-q.jp/201309/article_13.html

その他、切腹にまつわる話

相撲の行司は常時懐に脇差を備えており、『差し違えたら切腹を行う』という覚悟を示している。(テレビ番組「トリビアの泉」でも紹介された事がある。)
もっとも2012年現在、判定を誤ったなどから本当に脇差で切腹を行った行司は存在しないが。

切腹人が腹に巻いている白い布の意味は?

ずばり切りやすくするためです。
皮膚の下には誰でも必ず皮下脂肪があります。
また、刺す時、皮膚がへこんで刺さりにくくなるのを防ぐためです。

薄く巻いたサラシ腹は良く切れるというのも事実のようです。
ちなみに、お肉を切る時ふきんやサラシできつく巻くと
簡単に切れるのはお料理のコツで使われています。
お寿司の海苔巻みたいな感じの形の物を手早く作る時に使われる方法です。

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