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カンボジア強制収容所でポルポト(クメール・ルージュ)による200万人大虐殺の歴史

カンボジアでは、1973年頃から4年にわたってポルポト派(クメール・ルージュ)というグループが国内を掌握しており、大虐殺が行われました。少年兵などが活用されて国内の知識階級をほぼ全て処刑した上で、反対派とみなされるとすぐに処刑されました。

更新日: 2018年09月11日

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misukiruさん

旧フランスの植民地だったカンボジア

カンボジアは、ベトナムとタイに挟まれた場所に位置しています。首都はプノンペンです。

カンボジアという国は戦前はフランスによって植民地化されており、フランスの植民地政府が統治

日本軍がやってきてフランスを追っ払います。しかし、日本が敗戦すると、再びフランスが植民地にしようとやってきました。

戦後にシアヌークが国王に就任

カンボジア王族ノロドム・スラマリットとシソワット・コサマック妃の息子で、後にカンボジアの国王となりました。

カンボジアはフランスからの完全独立を1953年に果たします。シアヌークは国王に就任し、ここにカンボジア王国が建国

1970年代からポル・ポト派が台頭

1975年から79年にかけてのカンボジアはポル・ポト派(クメール・ルージュ)の支配下にあった。

総人口800万足らずのこの小さな国で、実に、200万から300万近くの人間が虐殺されたのである。

知的階層の虐殺と子供の活用

何も分からない農村部の貧困層が少年兵となって、大規模な虐殺に関与していきました。

クメール・ルージュの兵士たち、ほとんどが、13才程度の子供ばかりだった。

子供は、大人よりも重大な仕事につくことになり、子供兵士、子供看守、子供医師という特異な存在が次々と生み出されていったのである。

彼らはほとんどが13才程度の子供で、徹底的な洗脳によってポル・ポトを神とあがなう狂信的集団に変化していた。

◆子供たちに対する洗脳教育

何も知らない子供は「悪い考えに染まっていない」とされました。その子供たちを洗脳し、ポル・ポト思想の少年兵士を多数生み出していったのです。

うっかり漏らした不平や不満、それを聞いた子供が、組織に通報しようものなら、例え、身に覚えがなくても一巻の終わり

毛沢東が中国革命で行ったように、地主や金持ちは殺し、銀行を廃止。それまでの教育を受けたもの、特に高学歴者は資本主義に染まっている可能性があるので処刑

フランスに留学していたポルポト

フランスには1949年9月に到着した。留学中にポル・ポトは共産主義者になり、新生のクメール共産主義グループに参加した。

ポル・ポトは試験に3年連続失敗し奨学金を打ち切られたため1952年12月に船でフランスを後にし、1953年1月14日にカンボジアに到着した。

アメリカによるカンボジア爆撃

国土の半数ほどが爆撃を受けました。

1973年1月に調印された「ベトナム戦争終結に関するパリ和平協定」の直後2月から8月までの半年にわたって、カンボジア全土が米軍によって爆撃されました。

アメリカは、親米派のロンノル将軍に巨額の軍資金を提供し、バックアップをすることを約束して、シアヌークを追い出すことを画策したのである。

アメリカ政府がカンボジアに対して大規模な空爆を始めたのは1969年3月のこと。戦争状態にない国を秘密裏に爆撃したのである。

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