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安芸の小京都 広島県竹原市の地元グルメ観光スポット

広島県竹原市は、遥か平安時代、京都下鴨神社の荘園として栄えた歴史から「安芸の小京都」と呼ばれ、特に上市・下市には、江戸時代後期に製塩そして酒造業で栄えたお屋敷や由緒あるお寺と町並みが今もそのまま保存されています。

更新日: 2015年08月12日

pharenaさん

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安芸の小京都 竹原

広島県南中部に位置する竹原市は、瀬戸内海に面した自然豊かな町。NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」のロケ地として使われた。原田知世の「時をかける少女」、アニメ「たまゆら」の舞台になった街。株主優待券で生活する桐谷広人さんの出身地。

平安時代、京都下鴨神社の荘園として栄えた歴史から「安芸の小京都」と呼ばれる竹原。特に町並み保存地区には、江戸時代後期に塩づくりや酒造業で栄えたお屋敷や由緒あるお寺と町並みが今もそのまま保存されています。この町の落ち着いた静けさと時代を超えた雰囲気は訪れる人々の心を和ませます。ゆっくりと散策しながら、竹原の歴史に触れてください。

重要伝統的建造物群保存地区

竹原の町並みにある建造物には、様々な格子を見ることができます。一階部分には出格子があり、中二階には虫籠窓や武者窓と呼ばれる塗格子等があります。ゆっくり歩きながら見て回ると、意匠を凝らした様々な格子に出会えることでしょう。
また、町並みには本町通りを中心とし、大小路、板屋小路、中ノ小路など多くの路地があり、往時の生活を感じることが出来ます。

竹鶴酒造から延びている、昔ながらの町並みが残る道。初代郵便局だった建物も残っています。この町並みをマッサンとエリーが歩く姿もドラマで見ることができます。

竹原は安芸の小京都と呼ばれ、江戸時代に製塩や酒造で栄えた町。町並み保存地区は、昔からの商家や寺院、町筋などで構成されており、特に写真のこの道に建つ建物はほとんどが商家建築で、日本の伝統的な商家町の様子をうかがうことができます。

手焼きせんべいの休憩処

本瓦葺きの旧・竹原郵便局

NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」

広島県竹原市は、NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」のモデルとなった日本ウイスキーの父・竹鶴政孝の生まれ故郷。

小笹屋酒の資料館(竹鶴酒造)DATA
住所:広島県竹原市本町3丁目10-29
電話:0846-22-2021
アクセス:(電車)JR呉線竹原駅より徒歩15分 (車)山陽自動車道河内ICから車で20分
入場料:無料
営業時間:土日祝日のみ(←注意!平日はやっていない)、時間は10:00~12:00、13:00~16:00まで

12時から13時まではお昼休憩で閉館していますのでご注意

ドラマでは政春がエリーを連れて竹原に帰る場面がありますが、この時「亀山酒造」として登場するのが実際に現存する竹鶴政孝の生家「竹鶴酒造」。この竹鶴酒造を見学しながら、竹原の町並みを散策してみましょう。

第一話で、マッサンの実家という設定で登場した亀山酒造。実在する竹鶴政孝の生家の竹鶴酒造が撮影に使われている

敷地内には江戸時代から残る蔵を改装した「小笹屋酒の資料館」(入場無料、土日祝日のみ開館)があります。

館内には竹鶴家に代々伝わる酒器、酒造りに使われた道具などが展示され、商品の直売もしています。嬉しいことに、ここでは無料で銘酒の試飲が出来ますので、是非立ち寄りましょう。

建物内では竹鶴の銘酒を購入することもできます。仕込みに使った直径2mの桶のふたがテーブルとして置かれていて、試飲をさせてもらいながらのお酒選びは男性陣に大人気。

寺山の麓、上市、中町、下市の一筋の通りの最も北に位置し、ここから直角に折れて、松原町になります。地形から見るとこの通りは、古くは寺山と川にはさまれ、しかも上・下でしばられています。このしばられた部分に、胡堂と塩浜の守護として信仰されていた地蔵堂があります。胡堂の建築は、前室付、一間社流造りで、竹原の小祠中、最大の規模を持っており、最も古く、江戸時代中期のものと考えられます。

いつから祀られたのかは定かではありませんが、中世の古市からの移行を考えれば、商業の神としてかなり早くから存在していた、と考えられます。(最古の棟札は延宝9年=1681再建)江戸時代中頃になると、三日市で三日、十三日、廿三日の市の日には、塩田用の縄、かますなどを売る人でにぎわっていました。上市の商業の守護神であり、地蔵堂と共に一種の境界神(テルミヌス神)と考えられたと言えます。通りの突き当たりに位置し、街路の見通しを妨げ、その向こうに続く殺風景な田畑を見えなくすることによって、町の雰囲気を高め、まとまりのある空間をつくり出しています。

平重盛の持念佛が祀られた寺

平重盛(清盛の長男)の持念佛である木造十一面観音立像がまつられています(一般公開は未定)。西方寺は小早川隆景が京都の清水寺の舞台を模して建てたといわれ、西方寺横の高台に立つ普明閣は、竹原の町並みを一望できる絶景スポットです。

本町通りから石段を少し上ったさきにある「お抱え地蔵」。願い事を胸に祈りながら地蔵を抱え、想像したより軽ければ願い事が叶うといわれています。長生寺にも同じ方法で願をかけるお地蔵さんがあります。

天正15年(1587)小早川軍に敗れて竹原にのがれていた伊予の河野通直が病没したのをいたみ、小早川隆景が建立し、寺領として二百石を寄進して開山。正保元年(1644)には福山の僧快辺が再興して真言宗となりました。現在の本堂は昭和37年(1962)の建築で、境内には金毘羅社、大師堂、庚申堂があります。

もとは定林寺と称し曹洞宗の禅寺で、小早川氏代々の子弟が学んだ寺です。文禄の頃(1592~1595)寺は荒廃してしまいましたが、慶長8年(1603)僧浄喜が真宗に改宗、僧恵明(獅絃)、恵範(片雲)等のすぐれた学門僧が輩出しました。江戸中期から後期にかけて竹原の文化センター的役割を果たしており、当時の文化人の遺墨も数多く残っています。

本堂は元文2年(1737)の再建で、周囲に広縁を設け、広い畳敷の三つに区画した外陣、一段と高い内陣、粽付の丸柱と組のもの、金箔押しの透かし彫の欄間など、広島県の代表的な浄土真宗本堂といえます。経蔵は享保2年(1717)の建立で、方三間堂、宝形造、本瓦葺。鐘楼門(明和3年=1766)。庫裡、裏門、水屋が配置されています。また庫裡の裏には、県下でも指折りの名園「小祇園」があります。室町期の築庭といわれる泉水を中心とした落ち着いた庭で、しっとりとした趣があります。

期日 2014年10月25日(土)26日(日)
場所 町並み保存地区一帯(本町三丁目)

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