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[信長協奏曲]壮絶・爆死する武将 松永久秀(松永弾正)とは?[古田新太]ネタバレ注意

信長協奏曲 古田新太(ふるたあらた)松永弾正久秀(まつながだんじょうひさひで)=松永久秀(まつながひさひで) 平蜘蛛の茶釜に爆薬をつめて爆死したツワモノ。信長コンチェルト(のぶながこんちぇると) 小栗旬(おぐりしゅん)主演。戦国basaraにも登場しますね。

更新日: 2017年04月16日

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hogehogemanさん

信長協奏曲 壮絶・爆死する武将 松永久秀(松永弾正)

大和を領する武将。天下に名を響かせ始めた織田信長とは、因縁深い関係になる。

はちゃめちゃな人生を送る松永弾正久秀である( *´艸`)

出典wired.jp

何度も信長を裏切る松永久秀の最後は爆死

信長協奏曲では策略によって・・・。

信長協奏曲 松永久秀(松永弾正) 古田新太

古田 新太(ふるた あらた、1965年12月3日 - )は、日本の俳優、声優、DJ。本名、古田 岳史(ふるた たけふみ)。愛称は古ちん。
兵庫県神戸市西区出身。リコモーション所属。173cm、70kg。芸名である「新太」は亡き実父の本名に由来する。妻は元タレントの西端弥生。一女あり。

タムスリップしてきたヤクザ的なお方。

これは漫画バージョン

実際の松永久秀とは?

織田信長が義輝の弟・足利義昭を奉じて上洛してくると、一度は信長に降伏して家臣となる。

永正7年(1510年)生まれとされるが、前半生には不明な点が多く確証はない。出身については、阿波国・山城国西岡(現在の西京区)・摂津国五百住の土豪出身など諸説がある。長江正一は西岡出身の商人の生まれで、斎藤道三と同郷であったと断定している。名は、松永久秀・弾正久秀と名乗る。

あの、奈良の東大寺の大仏殿に火をかけた男

永禄10年(1567年)2月16日に再び金山信貞の手引きで三人衆のもとから義継が久秀を頼って出奔してきたため、これを契機に勢力を盛り返し、4月7日に堺から信貴山城に復帰。4月18日に三人衆が大和へ出陣、10月10日、長い対陣の末に三人衆の陣である東大寺の奇襲に成功し、久秀は畿内の主導権を得た(東大寺大仏殿の戦い)。この時久秀が大仏殿に火を放ったとも言われるが

諸説あり

あの、足利義輝を殺害した男

室町幕府第13代将軍・足利義輝を永禄の変で殺害したと一般には言われている

諸説あり

織田信長は 徳川家康に松永弾正を紹介する時に こう言ったと伝えられる・・・

信長は家康に、「全く油断ができない。彼の三悪事は天下に名を轟かせた。一つ目は三好氏への暗殺と謀略。二つ目は将軍暗殺。三つ目は東大寺大仏の焼討。」と言って久秀を紹介したと伝えられている。

実は、かなりの茶の湯に精通した茶人であった

名物 九十九髪茄子(つくもなす)や平蜘蛛の茶釜(ひらぐもの茶釜)など所有していた。

ちなみにこの絵は「へうげもの」に登場する松永久秀である。

付藻茄子は、高さ7.1cm、胴回りの直径7.4cmと抹茶の茶入としてはやや大きい。室町幕府第3代将軍・足利義満の秘蔵だった唐物茶入で、戦場に行くときも携えて行ったとされる由緒正しい伝世品である。代々足利将軍家で愛用されてきたが、15世紀末になって義政の茶道の師である村田珠光の手に渡った。このとき珠光が九十九貫で買ったことから、「つくも」という名が付いたとされている。

その後、持ち主は転々を変わり、値もつり上がったが、戦国時代には大和の松永久秀が一千貫で買って所持していた。彼はこの茶器を織田信長に献上したことで一国を安堵されたという逸話が残っている。

最後は、なんと、茶釜に爆薬をつめこみ、自ら火をつけ自爆!!!!!

織田軍の総攻撃が始まると平蜘蛛を天守で叩き割り(一説には茶釜に爆薬を仕込んでの自爆)、10月10日に爆死した。享年68。

諸説あり

出典bokete.jp

大切にしていた平蜘蛛の茶釜に爆薬を詰め込み自ら爆死した!!!

信長協奏曲 他 参考リンク

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