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【日本代表】歴代監督まとめ【サッカー】

2050年までのW杯優勝を目指すサッカー日本代表の歴代監督。※Jリーグ誕生以降の監督のみ。※JFA=日本サッカー協会

更新日: 2018年09月25日

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Lhendersonさん

ハンス・オフト(オランダ)

主な参加大会/1992AFCアジアカップ、1993〜4FIFAワールドカップ予選

対戦成績/33試合 16勝9敗8分

プロリーグ誕生後、最初の代表監督。

AFCアジアカップ1992、東アジア選手権1993でタイトルを獲得するなど好成績を収めたが、1994W杯予選で惜しくも敗退し(ドーハの悲劇)、解任となった。

主要メンバーは、ラモス瑠偉、中山雅史、三浦知良など。
他にも多数が解説者・指導者として現在活躍している。

最終節後半ロスタイムに失点を喫しW杯出場を逃した”ドーハの悲劇”。

パウロ・ロベルト・ファルカン(ブラジル)

主な参加大会/1994年アジア競技大会

対戦成績/9試合 3勝2敗4分

オフト(欧州路線)とは違う南米路線の監督を、ということで選ばれ、小倉隆史や前園真聖ら多くの若手選手を代表に抜擢した。

しかしアジア大会でのノルマ(ベスト4以上もしくは韓国より上の成績)をクリアできず、短期間で解任された。

現役時代はブラジル代表”黄金のカルテット”の1人として活躍。「走る指揮官」と呼ばれ世界を代表するボランチであった。

加茂周(日本)

主な参加大会/1995キング・ファハド・カップ、1996AFCアジアカップ、1998 FIFAワールドカップ予選

対戦成績/51試合 27勝14敗10分

やはり日本人同士でなければコミュニケーションが採れない、ということで最も実績のある日本人監督として選ばれた。

当時最先端であったゾーンプレスを採用。
個ではなく組織で戦うようになったのは加茂監督以降だという意見もある。


フランスW杯予選の成績不振で1997年10月のカザフスタン戦後、現地で更迭された。

ベテラン選手を外し若手を登用したが、結果が出なかった。

ちなみに、あの「サッカーショップKAMO」は加茂周さんの弟が経営。

岡田武史(日本)

主な参加大会/1998 FIFAワールドカップ予選、1998 FIFAワールドカップ

対戦成績/19試合 9勝6敗4分

加茂監督の更迭をうけ、ヘッドコーチから昇格。
代表から外されていた中山雅史らをチームに再招集するなどのテコ入れも功を奏し、日本代表初のW杯本選出場(ジョホールバルの歓喜)を果たした。

本大会では3戦全敗でグループリーグ敗退。大会終了後に退任。

延長の末勝利し掴んだ日本代表初のW杯。

「圧倒的な力の差がある日本に対して、アルゼンチンのスター選手達が万全を期して守備的に戦ってくるのを見て、W杯とはどういう場所なのか思い知らされた」
(2014年、テレビ東京『Foot×Brain』にて)

フィリップ・トルシエ(フランス)

主な参加大会/1999コパ・アメリカ1999、2000AFCアジアカップ、2001FIFAコンフェデレーションズカップ、2002 FIFAワールドカップ

対戦成績/52試合 24勝11敗17分

フランスリーグで指揮を執った後アフリカで優秀な成績を収めていたトルシェが、当時名古屋グランパスの監督であったアーセン・ベンゲルの推薦で、5年ぶり3人目の外国人監督として就任。

1999年ワールド・ユース選手権で準優勝、2000年アジア・カップ優勝、2001年コンフェデレーションカップ準優勝。

W杯本大会にて、日本代表初のグループリーグ突破。ベスト16進出を果たした。

厳格な規律・率直な物言い・斬新なフラット3の採用により、本大会までは多くの批判があった。

グループ抽選にも恵まれ、自国開催の重圧の中で初のグループリーグ突破という結果を残した。

ジーコ(ブラジル)

主な参加大会/2003年東アジアサッカー選手権、2004年AFCアジアカップ優勝、コンフェデレーションズカップ、東アジアサッカー選手権、2006FIFAワールドカップ

対戦成績/72試合 38勝19敗15分


監督経験は無かったものの、ブラジル代表のスタッフを務めた経験・鹿島のTDとしての経験から、川淵会長の意向で就任。


アジアカップ優勝を果たすも、本大会では2敗1分のグループリーグ最下位で敗退。

中田英、中村俊輔、高原、小野など”黄金世代”と呼ばれる才能のある選手が揃っていた。

選手に自由を与え、個人技で攻撃的に戦うスタイルを取ったが、本大会では惨敗した。


これ以降、監督選びにおいて”国際舞台での経験”が重要視されるようになった。

ジーコはJリーグの来日外国人の先駆けとして活躍し、そのプレイやプロフェッショナルな姿勢は日本サッカーの発展に計り知れない影響を与えたが、監督としては結果を残せなかった。

イビチャ・オシム(ユーゴスラビア、現ボスニア・ヘルツェゴビナ)

主な参加大会/AFCアジアカップ2007・予選、AFCアジアカップ2007

対戦成績/20試合 12勝3敗5分

ユーゴスラビア代表監督の経験、ジェフ千葉の監督としてチームに初のタイトルをもたらした手腕を買われ、Jリーグの監督をシーズン中に引き抜くという異例の形での就任。

「考えて走るサッカー」を標榜。
アジアカップはベスト4に終わった。

2007年11月、自宅で脳梗塞で倒れ一時危篤状態に陥ったが一命を取り留め意識も回復。しかし、監督を続けられる状況ではなくなったため退任。

"黄金世代"でのW杯の敗退により日本サッカーの停滞が予想される閉塞感の中での就任となった。

就任後「日本のサッカーとはどのようなサッカーか?」と問いかけ議論を巻き起こし、日本サッカー界に対する多くの提言を残した。

日本人には敏捷性・運動量・献身性などの長所があるとして、それらを活かしたパスサッカーを提案。その後の日本代表のスタイルの基礎を作った。


記者会見での独特の言い回しも有名で、”オシム語録”はサッカー界を超えた社会現象になった。

岡田武史(日本)

主な参加大会/2008東アジアサッカー選手権、2010 FIFAワールドカップ予選、2010東アジアサッカー選手権、2011AFCアジアカップ、2010 FIFAワールドカップ

対戦成績/50試合 26勝11敗13分

オシム監督の退任後、日本サッカー協会の小野剛から打診を受け就任。

本大会前には選手の起用法や戦術に批判が噴出、サポーターから解任要求の署名が提出された。
しかし、本大会ではグループリーグを2勝1敗で勝ち抜け、国外開催大会で初めて決勝トーナメント進出を果たした。

パラグアイにPKで敗れてベスト16に終わり、大会終了後に退任。

就任後オシムのパスサッカーを引き継いだが、本大会直前に「接近・展開・連続」をキーワードとした守備寄りのサッカーへ方向転換。


アンカーの配置や本田を最前線に置いた0トップに近い戦術が的中し、勝ち点6・国外大会での初のベスト16という大きな成果を残した。



本大会後のサポーターの掌返しを表す「岡ちゃん、ごめんね」は流行語大賞の候補にもなった。

現在もたびたび待望論が起こる監督であるが、既にS級ライセンス(代表監督に必要な資格)を返納しており、現在はクラブ経営に専念している。

アルベルト・ザッケローニ(イタリア)

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