1. まとめトップ

処刑方法【鋸挽き】とは

鋸挽き(のこぎりびき)は、死刑の一で、罪人の体を鋸で挽く刑罰である。中世および近世の日本で行われた。

更新日: 2014年11月25日

1 お気に入り 47018 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

win-winさん

鋸挽き

戦国~江戸時代の刑罰の一つ。死刑のなかでも極刑とされ,江戸時代には主殺に対して科せられた。『公事方御定書』には,「1日引廻のうえ,両肩に刀目を入れ,竹のこぎりにその血をつけ,そばに立てたまま2日間さらし,ひくことを希望する者があればひかせる」とあり,最終的には磔によって処刑する。

鋸挽き(のこぎりびき)は、死刑の一で、罪人の体を鋸で挽く刑罰である。中世および近世の日本で行われた。また、ヨーロッパや中国(「五車韻瑞」、「塵添壒嚢鈔」11)でも行なわれた。この項では、かつて日本で行われていた鋸挽きについて説明する。

天暦年間、厨子王丸(対王丸とも)が丹後の領主となって、由良の湊の山椒大夫を捕らえ、竹鋸でその首を断たせたという伝説がある。

復讐刑としての意味合いも強く、縛り付けた罪人の首に浅く傷をつけ、その血をつけた鋸を近くに置いて、被害者親族や通行人に一回か二回ずつ挽かせ、ゆっくりと死なせる刑罰であり、江戸時代より以前には実際に首を鋸で挽かせていた。 さらには罪人を逆さに固定し、股から逆に身体を挽くことでさらに苦痛を長引かせることもあった。

だが、江戸時代になると形式的なものになり、「御定書百箇条」において正刑のひとつ、且つ最も重い死刑として掲げられた。すなわち、その七十一に、

人殺竝疵附御仕置之事、一、主殺。二日晒一日引廻、鋸挽之上磔。同百三、御仕置仕形之事、従前々之例、一、鋸挽、享保六年極、一日引廻。両之肩に刀目を入。竹鋸に血を附、そばに立置。二日晒。挽可レ申もの有レ之時は為挽候事。但田畑家屋敷家財共欠所

— (レは返り点)

とある。日本橋の南の広場に、方3尺、深さ2尺5寸の穴晒箱という箱をなかば土中に埋め、箱に罪人を入れ、首だけが地面から出るようにした上で3日間(2晩)見せ物として晒した(穴晒)。その際、罪人の首の左右にタケの鋸と鉄の鋸を立てかけておいたが実際に鋸で首を挽くことはなく、晒した後は市中引き回しをしたうえで磔とした。元禄時代に罪人の横に置かれた鋸を挽く者がおり、慌てた幕府はその後、監視の役人を置くようにしたという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8B%B8%E6%8C%BD%E3%81%8D

中国

この刑罰が行われた記録はほとんど存在しないが、三国時代の呉の死刑に、「鋸頭」という刑種の記録を見る。(詳細不明)

http://ura.sakuraweb.com/ura/gomon_11_01.htm

日本

我が国の記録においては、「鋸挽」と記すことが多い。
「鋸引刑」は普通の磔刑よりさらに重い罪科、主として「弑逆」(しいぎゃく-自分の主君や父を殺すこと。)の大罪、つまり「主殺し」「親殺し」のような極悪な罪に対して科した極刑である。
日本では、体を切断することはまれで、主に首に対して鋸引きが行われた。

日本の鋸引刑には、属刑として必ず「引き廻し」「晒し」「磔」が附加されていた。
具体的には、「鋸引刑」に処されることになった囚人は、二日間「晒し」の上、鈴が森か、小塚原に「引き廻し」ののち「磔」にかけられた。

平安時代にはすでに「鋸引刑」が行われていたようで、「平治物語」「源平盛衰記」「陰徳太平記」などにその記録が見られる。

その後、鎌倉、室町時代には行われなかったのか、戦国時代の天文13年(1544)、武家の囚人「和田新五郎」に対する「鋸引刑」が施行された際は、「前代未聞の処刑方法である。」(言継卿記より)と記されており、この時、何百年ぶりに「鋸引刑」が行われたと思われる。

http://ura.sakuraweb.com/ura/gomon_11_01.htm

反儒教的犯罪である尊属・主人等への殺人罪に適用。罪人を首だけ出して土に埋め、希望者に鋸で首を挽かせた。しかしながら後年形式化し、日本橋南の晒(さら)し場で2日間さらし、江戸市中を1日引廻(ひきまわ)し、刑場で磔(はりつけ)にした。

西洋

古今、謀反、魔術を用いた嫌疑、兵役拒否など、さまざまな犯罪に対して「のこぎり」刑が適用されていた。
フランスでは、悪魔と通じて妊娠した魔女が、のこぎり刑に処せられた。
ドイツでは、謀反を起した農民(農民一揆の首謀者)に対して、鋸引き刑が適用された。
スペインでは、18世紀末まで、軍隊における処刑手段として鋸引きが用いられていた。

刑罰用の「のこぎり」は、歯が粗く、取っ手が両側に付いた物なら何でも良く、森番などが普通に木を切っていたのこぎりをそのまま使うこともあった。
「のこぎり」は、ヨーロッパ全域において最も広く用いられた刑具のひとつである。

ヨーロッパでは、囚人を木や鉄棒に吊るし、上から下へ鋸引きしたが、次の2つの方法がある。
A、地面に立てた棒、または椅子に固定された囚人の頭からの縦に鋸引きする。
B、両足を広げて吊るされた囚人の股間から縦に鋸引きする。

1400年代、ドイツ、2本柱に渡した横木に犠牲者を足から逆さ釣りして、股間から鋸引刑

頭から鋸引きするほうが、刑として苛烈のように思われるが、実はそれは囚人への思いやりとも言えた。
というのも、頭から引き始めれば、囚人はすぐに絶命することが出来たが、股間から引き始めた場合はそうではなかったからである。

http://ura.sakuraweb.com/ura/gomon_11_04.htm

執行方法(江戸時代)

「鋸引刑」の執行方法(公事方御定書より)

1,朝五つ時、牢屋敷から刑吏が付き添って囚人を出し、その後、非人が囚人をもっこにのせて担ぎ、晒し場に向かう。

2,囚人を「穴晒し箱」に入れ、逃亡を防ぐために、首枷板をはめ、その板の上に俵6個を置く。

3,刑吏が、囚人の両肩に浅い刀目(刀傷)を入れ、流れる血を用意された竹製の鋸に塗りつけ、立てかけておく。

4,夕七つ時になると、再び囚人を非人が担いで牢屋敷に戻す、という晒しを二日間行う。

5,引き廻しの上、刑場にて「磔」を行う。

http://ura.sakuraweb.com/ura/gomon_11_02.htm

通行人参加型処刑

この処刑方法は、その場を通りかかる民衆たちの手によって行われる。社会的制裁の意味が強かった。

受刑者をしばりつけるか、地中に埋めて、身動きができない状態にする。そして、街通りに放置し、その傍らに鋸を置いておくのだ。

そこを通りがかった人々が、こののこぎりで、受刑者の首を引くのである。一人あたり1回か2回だけと鋸をひく回数は決められていた。

http://shichikasha.info/stories/16/chapters/668

受刑者は狂う

受刑者は、朝夜を問わず常に群衆の目に晒される。いつ鋸をひかれるのかという恐怖におびえながら、じわじわと苦しみを与えられて殺されていく。

鋸は切れ味が悪いものが多く、絶命までには相当時間がかかった。虫が首の傷を蝕むことも多く、多くの者は処刑の途中で気が狂ったそうだ。

http://shichikasha.info/stories/16/chapters/668

如何にして廃止されたか

日本では江戸時代以前は、実際に執行されていた。江戸時代からは形式的に鋸は在任の隣に置かれるが、実際にひかれることはなかった。

それどころか、罪人の首を本当に鋸でひく通行人が現れた為、それをとめるための監視役の役人が置かれるようになった。

日本ではこの方法は重い罪、例えば反逆や虐殺、親殺しなどの罪を行った者が対象であり、当時、一番重い刑罰として行われていた。

明治元年の刑法改正の際、火刑とともに廃止された。

http://shichikasha.info/stories/16/chapters/668

1