我が国の記録においては、「鋸挽」と記すことが多い。
「鋸引刑」は普通の磔刑よりさらに重い罪科、主として「弑逆」(しいぎゃく-自分の主君や父を殺すこと。)の大罪、つまり「主殺し」「親殺し」のような極悪な罪に対して科した極刑である。
日本では、体を切断することはまれで、主に首に対して鋸引きが行われた。

日本の鋸引刑には、属刑として必ず「引き廻し」「晒し」「磔」が附加されていた。
具体的には、「鋸引刑」に処されることになった囚人は、二日間「晒し」の上、鈴が森か、小塚原に「引き廻し」ののち「磔」にかけられた。

平安時代にはすでに「鋸引刑」が行われていたようで、「平治物語」「源平盛衰記」「陰徳太平記」などにその記録が見られる。

その後、鎌倉、室町時代には行われなかったのか、戦国時代の天文13年(1544)、武家の囚人「和田新五郎」に対する「鋸引刑」が施行された際は、「前代未聞の処刑方法である。」(言継卿記より)と記されており、この時、何百年ぶりに「鋸引刑」が行われたと思われる。

http://ura.sakuraweb.com/ura/gomon_11_01.htm

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処刑方法【鋸挽き】とは

鋸挽き(のこぎりびき)は、死刑の一で、罪人の体を鋸で挽く刑罰である。中世および近世の日本で行われた。

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