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「ディズニー」歴史と作品集

これまでに公開された作品などディズニーを振り返ってみる

更新日: 2014年11月22日

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ウォルト・ディズニー

生年月日 1901年12月5日
出生地  イリノイ州シカゴ
職業 アニメーター
   映画監督
   プロデューサー
   脚本家
   声優
   実業家
   エンターテイナー

世界的に有名なアニメーション・キャラクター、ミッキーマウスの生みの親であり、ディズニーランドの創設者
カリフォルニアにあるディズニーランド・パークは、実はウォルトが自ら構想・指揮して誕生した、世界初のディズニーランド

1937∼1947

この頃は「アニメ」といえば短編が当たり前だった。
短編アニメ映画賞は1931年度の第5回から創設されている
ちなみに長編アニメ映画賞は、現存する賞の中では最も遅い2001年に創設
この時期はちょうど、ディズニーの低迷期と重なっており、ディズニー・アニメーション・スタジオの作品は長らく受賞に恵まれなかった

草創期の業績は「短編アニメ」によって築かれた
第5回アカデミー短編アニメ映画賞では「ミッキーマウス」シリーズから「ミッキーの子沢山」が、「シリー・シンフォニー」からは「花と木」がノミネートされ、「花と木」が受賞。
記念すべき第1回の受賞作品となっている

1934年より世界初のカラー長編アニメーション映画となる『白雪姫』の製作に着手する
1937年に公開され、爆発的なヒットを記録
その後のディズニーは短編映画に加え、長編映画製作にも力を注いでいくことになる

当時のディズニー

1930年には30人しかいなかったスタッフ
『花と木』が作られた1932年~1933年には100名を超えた
『白雪姫』が公開された1937年には800名超になったという記録が残っている

1940年に長編第2作となる『ピノキオ』
同年11月に『ファンタジア』
1941年10月に『ダンボ』
1942年に『バンビ』を公開する

低予算で製作された『ダンボ』を除けば、そのいずれもがアニメーションの技術的に当時の最高水準のものだったが、興行収入では『白雪姫』を超えることができず、ビジネス的には失敗作とされた

1939年にはヨーロッパで第2次世界大戦が開戦したこともあり、海外市場が打撃を受けてしまう
その後、アメリカが戦争に参戦したこともあり、長編アニメーション映画の製作はストップ
戦中から戦後にかけてはオムニバス・シリーズが6作製作された

1950~1988

、『バンビ』以来8年ぶりの長編アニメーションとして製作されたのが、シャルル・ペローの童話を原作にした『シンデレラ』
1944年に製作がスタートし、1950年の完成までに総勢750名のスタッフが投入された
『白雪姫』の約2倍となる290万ドル(2億9,000万円)が費やされた
結果的に『シンデレラ』は8,500万ドル(85億円)というディズニー最高の興行収入(当時)を記録し、ディズニーの完全復活、そして黄金期の到来を告げることとなる

『シンデレラ』の後も『ふしぎの国のアリス』、『ピーター・パン』、『眠れる森の美女』といった今なお語られることの多い名作を連発

だが、創業以来常に製作の指揮を執っていたウォルト・ディズニーが1966年末に死去すると、雲行きは途端に怪しくなる。
映画製作の第一線から退いた者もおり、一つの時代が終わりに向かいつつあった

そんな中で一人気を吐いていたのがウォルフガング・ライザーマンで、彼はウォルトの死後第1作1970年の『おしゃれキャット』から1981年の『きつねと猟犬』まで、プロデューサーとして製作の指揮を執り、スタジオを支えていた

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