1. まとめトップ

最高裁まで争われた「たぬき・むじな事件」とは

法律の教科書に登場する有名な判例に「たぬき・むじな事件」というものがある。この事件は、最終的に最高裁まで争われ、ついに大審院で無罪評決がなされた。刑法の原則にかかわる大切な判例なので、ぜひ一度考えてみてほしい。

更新日: 2017年12月02日

8 お気に入り 81113 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

palezioさん

法律の教科書に登場する有名な判例に「たぬき・むじな事件」というものがある。

この事件は、最終的に最高裁まで争われ、ついに大審院で無罪評決がなされた。刑法の原則にかかわる大切な判例なので、ぜひ一度考えてみてほしい。

1924年、とても微妙な状況で、警察官がある猟師を逮捕してしまいます。猟師は最高裁まで争い、ついに無実を手に入れました。

法律に違反していたとしても、悪意がなかったり、罪だと知らなかったなら罰するべきだろうか?

刑法38条(故意)

1. 罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。
2. 重い罪に当たるべき行為をしたのに、行為の時にその重い罪に当たることとなる事実を知らなかった者は、その重い罪によって処断することはできない。
3. 法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない。ただし、情状により、その刑を減軽することができる。

原則として故意でない人を処罰してはならない。

この条文は非常にデリケートな考え方です。原則として、罪を犯す意思がない人は、故意犯とはみなされません。故意でなくても罰せられる罪は、過失致死罪のように規定されているものを除いて罰せられません。例えば、強姦罪には過失罪はありません。本当は相手はいやだと思っていたけど、受け入れていると錯誤したということなら、罰せないことになります。

「知らなかった」人を、簡単に処罰してはいけない。知らなかったでは済まされないとはいえ、裁判官は被告人に対し、寛大な措置をとることを考慮できなければならない

重罪にするときはとくに慎重に、それが重罪であると被告が認識していたかどうかを加味しなければなりません。法律を知らなかったからと言ってただちに故意を否認することはできませんが、裁判官は情状を酌量して減軽する裁量が与えられています。社会において、処罰する前に、知らなかったで済まされる範囲もあるべきなのです。

事件の経過

被告人は1924年2月29日、猟犬を連れ銃を携えて狩りに向かい、その日のうちにムジナ2匹を洞窟の中に追い込んで大石をもって洞窟唯一の出入口である洞穴を塞ぎました。

被告人はさらに奥地に向かうために直ちにムジナを仕留めずに一旦その場を立ち去ります。4日経った3月3日に改めて洞穴を開いて捕らえられていたムジナを猟犬と銃を用いて狩りました。

警察はこの行為が3月1日以後にタヌキを捕獲することを禁じた狩猟法に違反するとして被告人を逮捕した。

何が問題だったのか?

被告はムジナとタヌキを別種の動物だと認識していた。

被告が実際に捕獲したのは2月29日、法律で禁止されたのは3月1日、被告が刈り殺したのは3月3日だった。

ムジナとは、主にアナグマのことを指します。しかし、地方によってはタヌキやハクビシンを指したり、これらの種をはっきり区別することなくまとめて指している場合さえあるのです。

被告はそれをタヌキとは認識せず、捕獲してしまったというのです。

泣き寝入りせず、ついに無罪を勝ち取った被告人

下級審では、「動物学においてタヌキとムジナは同一とされている」こと、「実際の捕獲日を3月1日以後である」と判断したことにより被告人を有罪とした。

狸、貉の名称は古来併存し、我国の習俗此の二者を区別し毫も怪まざる所なるを以て、狩猟法中に於て狸なる名称中には貉をも包含することを明にし、国民をして適帰する所を知らしむるの注意を取るを当然とすべく、単に狸なる名称を掲げて其の内に当然貉を包含せしめ、我国古来の習俗上の観念に従い貉を以て狸と別物なりと思惟し之を捕獲したる者に対し刑罰の制裁を以て臨むが如きは、決して其の当を得たるものと謂うを得ず

出典最高裁判決

被告人は、タヌキの狩猟が禁止されることを認識しつつ、タヌキとムジナは別種と認識していました。古来日本人は、タヌキという語とムジナという語を用いており、別種との認識も少なからずありました。このような場合は、狩猟法の条文の中で、ムジナもタヌキも含むと明記するべきで、それを勘違いして捕獲したものに刑法の制裁を与えるという態度はやりすぎである。というのが、最高裁の考えた結論でした。

しかし、同じ年に被告人が負けた裁判もあった

むささび・もま事件

「たぬき・むじな事件」が裁判で争われていた1924年4月25日、大審院は被告人に有罪判決を下しました。この判決では、「もま」は「むささび」と同一のものであり、そのことを知らなかったのは「法律の不知」に当たるので、罪を犯す意思なしとは言えない、としていました。

被告人の住む地域ではもまと言われていた動物が、実はむささびでした。このケースでは、条文が悪いのではなく、被告人が悪いことになってしまいます。

「ムジナ」という名前自体は広く認識されていたが、事件当時の国民には「ムジナ=タヌキ」という認識が十分定着していなかったのに対し、「もま」という名前は、特定の地方だけでしか呼ばれていないから、条文が悪いのではなく被告人が悪い

「ムジナ≠タヌキ」という確信的な認識を持っていた。のに対し、「ムササビ」が禁猟である事を認識していたが、「もま=ムササビ」という事実は認識していない。しかし単に当該動物を「ムササビ」と呼称することを知らなかっただけであって「もま≠ムササビ」という確信的な認識は持っていない。

刑事裁判の「証明」は、結局のところ裁判官の感覚によって決まる部分がある。

結局のところ、通常人を代表すると考えられる裁判官の感覚を満足させれば十分である。

「疑わしきは罰せず」という言葉の意味する範囲はデリケートなものだということを認識する必要がある。

元来訴訟上の証明は、自然科学者の用いるような実験に基づくいわゆる論理的証明ではなくして、いわゆる歴史的証明である。論理的証明は『真実』そのものを目標とするに反し、歴史的証明は『真実の高度な蓋然性』をもって満足する。言い換えれば、通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいとの確信を得ることで証明ができたとするものである。

出典最高裁昭和23年8月5日判決

訴訟上の因果関係の立証は、1点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。

出典最二小判昭50・10・24 民集29巻9号1417頁

刑事裁判における有罪の認定に当たっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要である。ここに合理的な疑いを差し挟む余地がないというのは、反対事実が存在する疑いを全く残さない場合をいうものではなく、抽象的な可能性としては反対事実が存在するとの疑いをいれる余地があっても、健全な社会常識に照らして、その疑いに合理性がないと一般的に判断される場合には、有罪認定を可能とする趣旨である。

出典最高裁平成19年10月16日判決

1