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知りたい?小説『流星ワゴン』【あらすじ・ネタバレ】西島秀俊 香川照之

2015冬ドラマ【出演】西島秀俊 香川照之 小説「流星ワゴン」原作者 重松清  家族小説の新境地。直木賞受賞後初の長篇。ひきこもり、暴力をふるう息子。浮気を重ねる妻。会社からはリストラ寸前…死を決意した37歳の僕は、死んだはずの父子が運転する不思議なワゴン車に乗り込んだ

更新日: 2014年11月24日

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abstracterさん

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小説 流星ワゴン

家族小説の新境地。直木賞受賞後初の長篇。ひきこもり、暴力をふるう息子。浮気を重ねる妻。会社からはリストラ寸前…死を決意した37歳の僕は、死んだはずの父子が運転する不思議なワゴン車に乗り込んだ

ストーリー

主人公の永田一雄の前に、1台のワゴン車が止まったことからこの物語は始まる。ワゴン車には橋本義明・健太親子が乗っており、彼らはなぜか永田の抱えている問題をよく知っていた。
永田の家庭は崩壊寸前。妻の美代子はテレクラで男と不倫を重ね、息子の広樹は中学受験に失敗し家庭内暴力をふるう。永田自身も会社からリストラされ、小遣いほしさに、ガンで余命いくばくもない父親を訪ねていくようになっていた。「死にたい」と漠然と考えていたとき、永田は橋本親子に出会ったのだ。橋本は彼に、自分たちは死者だと告げると、「たいせつな場所」へ連れて行くといった。そして、まるでタイムマシーンのように、永田を過去へといざなう。

小説の設定は、冒頭から荒唐無稽である。幽霊がクルマを運転し、主人公たちと会話する。ワゴン車は過去と現在とを自由に往来できるし、死に際の父親が主人公と同年齢で登場し、ともに行動したりするのだ。

過去にさかのぼるたびに、永田は美代子や広樹がつまづいてしまったきっかけを知ることになる。何とかしなければと思いながらも、2人にうまく救いの手を差し伸べられない永田。小説の非現実的な設定と比べて、永田と家族のすれ違いと衝突の様子は、いたくシビアで生々しい。

永田は時空を越えて、苦しみながらも毅然と家族の問題解決に体当たりしていく。その結果はけっきょくのところ、家族が置かれた状況のささいな改善にとどまるだけでしかない。それでも死にたがっていた男は、その現実をしっかりと認識し生きていこうとする。「僕たちはここから始めるしかない」という言葉を胸に刻んで

登場人物

永田一雄
本作の主人公、38歳。人生をやり直していく内に、自分が知らなかった様々な事を知る事になる。
永田忠雄
一雄の父親。瀬戸内海近辺の病院で入院している。金融業を営んでいたが、今は長女の夫の伸之に任せている。ひょんな事から、38歳の姿で一雄の前に現れる。愛称は「チュウさん」。記憶も38歳までしかない。
永田美代子
一雄の妻。一雄に離婚を申し出る。
永田広樹
一雄の息子。中学受験に失敗し、そのせいでイジメにあって引きこもりになる。
智子
一雄の妹。地元に残って忠雄の面倒を見ている。
伸之
智子の夫。忠雄に代わって会社をきりもりしている。
橋本義明
5年前に自身が運転する車で交通事故を起こして死亡した。健太の義父。生きていれば、一雄と同い年。
橋本健太
5年前に義明が運転する車に乗り、交通事故で死んでしまった。母親に逢いたがっている。

車で数分も走れば神奈川県に入る。東京の西の外れ。ニュータウンと呼ぶほどには規模の大きくない
 住宅街だ。駅から我が家までは、急な坂を上って徒歩15分。昼間の仕事でかろうじて残った
 体力と気力は、たいがいこの坂で力尽きる。

この一節で、素晴らしく簡潔に主人公の環境が伝わってくる。
38歳。上京して結婚。ひとりの子供。

予測もしないリストラ。子供の頃から折り合いの悪い田舎の父親は末期癌。
こどもは中学受験に失敗し、地元の中学に通うもいじめられ、不登校になり、
あげくには家庭内暴力。そして妻はテレクラで数え切れないほどの男と肌をあわせる。

死んじゃってもいいかなぁ、もう・・・・。

死のう、と決めるほどの気力もなく、駅前のベンチに座り込んだ一雄の前に
一台のワゴンが停まる。
ワインカラーのオデッセイだ。

「遅かったね。早く乗ってよ。ずっと待ってたんだから。」

そしてワゴンは光に包まれて闇の中へ滑り出す。

過去へ。

たちかえらねばいけない場面へ。

やりのこした事があるはずの場面へ。

そして目の前には一雄を「カズ」と呼ぶチュウさんが現れる。一雄と同い年の父親、忠雄である。
オデッセイを運転するのは、「橋本さん」
5年前、一雄も目にとめた新聞記事の中の人物。「間抜けで哀れな父親」だった。

子連れの女性と再婚し、息子の義理の父親になった橋本さんは、息子となんとかうまく
やっていこうと一念発起して車の免許をとる。
その息子の健介くんを乗せて初めてのドライブで景色に気をとられ、対向車線の
トラックと衝突。父親と息子は即死だった。

そして、その後、こうやってワゴン車を運転しながら、死に関わり合いのある人たちを
乗せては、過去へ舞い戻り・・舞い戻っては・・・。

もうすでに死んでしまった橋本さんと健介くん。
そしてまもなく死期を迎える忠雄と一雄。
そしてその一雄と息子の広樹。

この3つの親子の物語が切なく、入り交じりながら絡み合う。
時代を越え、父の昔の姿であるチュウさんとの会話。

「こどもがかわいくない親なんているもんか」

そんなセリフがどこか遠くの方から耳の奥でこだまする。

「あぁ、もしもあの時こうしていれば・・・」
という場面にオデッセイは走る。
しかし、結局同じ場面に立ち戻っても結果は同じ・・・。

そんな胸の痛い哀しみ。

方言まるだしのチュウさんと健介くんの無邪気な絡み。
未来がわかっていながら子供の心をつかみきれない一雄。

そして健介を成仏させてやりたいと願う橋本さん。

切ないファンタジーをファンタジーらしくさせているのは、その
対局にあるリアリズムだ。

少しずつやり直せる事を確信する一雄。
本当に少しずつなのだ。

そして、一雄は「サイテーでサイアクの現実」に戻っていく。
それでも愛する者と生きる事を選択したのだ。

生きることはつらい。生き続ける事はもっとつらい。
読み終えて3時か3時半くらいだったろうか・・・。
ギンギンに目がさえてしまって眠れなかった。

方言まじりのチュウさんの声が耳にこびりつく。

 「橋本さんよ。教えてくれぇな。カズの生き死には誰が決めるんな。神さんか。仏さんか。」
 「どげなことでもしますけん、カズを死なさんといてつかぁさい。
  ワシの大事な息子なんですわ、カズは・・・」

優しくて少し痛い、父と息子の話だった。
 大人なら誰でもひとつふたつ思い当たる、ちいさな後悔。そのちいさな後悔が少しずつ蓄積されて、いつの間にか大きく道を違ってしまうのかもしれない。そのときは、自分なりに最善を尽くしたつもりだったのに…。この小説は、そんな後悔を一つずつ“やり直して”いく物語である。
人生は自分次第でいつでも変えられる-。使い古された言葉だが、そう思える作品だった。

 永田一雄は、死んでもいいかなと思っていた。死にたい、ではなく死んでもいい。これは、同じように聞こえて全く違う意味の言葉だ。積極的に人生を終わらせてしまいたい訳ではないのだが、この先の人生に対する希望は一切ない。これからの自分に良い未来が待ち受けているはずがない、という絶望に似た状態。ともすれば、「死にたい」と願うよりもネガティブな考え方かもしれない。
 妻は外泊ばかりで家に寄り付かなくなり、中学生の一人息子は不登校状態で、家庭内暴力はひどくなる一方。もう死んでもいいと考えていた折、一台のワゴン車に導かれる。その運転席と助手席には、五年前に交通事故死した父子が座っていた。主人公の永田一雄と、病院で危篤状態にある父親の忠雄。一雄と、息子の広樹。そして不思議なワゴンを運転する、橋本義明と息子の健太。この物語は、三組の父と息子それぞれの後悔を描いている。

 ワゴンに乗って夜のドライブを続け、やがて朝がくると一雄は「たいせつな場所」へ行くことになる。たいせつ、とは人生の分岐点の事で、つまりは後悔の残る過去の記憶である。家族がバラバラになってしまったあとだから分かるウィークポイントを「やり直す」ことになるのだ。本編中でも引き合いに出されているが、映画「バックトゥーザフューチャー」の設定に似ている。しかし決定的に違うのは、あくまで“タイムスリップ”ではなく“やり直し”というところにある。やり直しの世界は現実とは少し別のもので、たとえやり直しの世界で何らかのアクションを起こしたり、人と関わりを持ったとしても、それは現実の世界に反映されることはなく、人の記憶にも残らないらしい。
 いくらやり直しても、現実の世界で家族が幸福に転じる訳ではない。では、なぜやり直さなければならないのか。
 それはきっと、一雄本人だけのためなのだ。「あの時こうしていれば」という後悔を、実際に実行してみる。少しの行動で今を変えることが出来たかもしれないという、いわば確認作業である。一雄は合計三回、やり直しの世界へ行くことになる。後悔とは生きている限りどんどん増えて蓄積されていくものだが、逆に言えばそれは、未来を変えることの出来る分岐点は生きている限り何度でもあるということなのだ。「たいせつな場所」へ行くことは、一雄にそのことを教えたのではないかと思う。

 やり直しの世界では何故か、一雄と同い歳である三十八歳の父親と出会う。父親の忠雄は自分の事を「チュウさん」と呼ばせ、一雄を朋輩だと言う。不仲になる前の、幼い自分しか知らない父との対面。一雄にとって、現実の父親と三十八歳の「チュウさん」のイメージは微妙に異なり、同一人物とは思い難かった。
 当たり前の事だが、親と子の年齢差は永遠に縮まらない。子は常に下から見上げる格好になるので気付きにくいが、親もまた子供との付き合い方に悩んだり迷ったりしながら少しずつ、「親」として形成されていくものなのかもしれない。同い歳の親とは、まだ自分の知る親になる過程の状態であり、その分印象がかけ離れて感じるのだろう。
「どんなに仲の悪い親子でも、同い歳で出会えたら、絶対に友だちになれるのにね」
責任感や上下関係を排除して、人間同士として親と子が向き合えたとしたら、きっと分かりあえないはずはない…ということだろうか。どんな確執があったとしても、心の底から嫌いあっている親子などいないのだから―。

大嫌いになるはずの父親であるチュウさんとの交流、そして五年前に死んでしまった橋本親子のお互いを思いやる気持ちにふれて、やがて一雄は生きる意欲を取り戻していく。ワゴンを降りて帰った現実の世界では、家族は最悪の状態のままであった。それでも一雄は、今度は“やり直し”ではなく、今この瞬間から未来を“変える”べく、新しい一歩を踏み出し始める。
 都合良くまとまり過ぎておらず、しかしながら希望ある将来を予感させることが出来る。丁度良いバランスの結末だと感じた。

 ただ一つ言うとすれば、健太が成仏する、しないのシーンは、よく分からなかった。父親は自分の事を忘れて成仏することが息子の幸せだと信じているが、息子は父と離れたくないと思っている。健太が意図的に父の元へ戻ると決めたのか、父と一緒に居たいという思いが未練となって成仏できなかったのか。そこは判然としないし、ずっと健太が成仏して生まれ変わることだけを願っていた様子の父が、戻ってきた息子をあっさりと受け入れてしまうのもなんだか腑に落ちない。親子の愛情は感じたし、そこは感動的なのだが、「うーん…コレでいいのかなぁ」と釈然としないものが残ってしまった。

 程度の違いはあれ、どんな人でも感動出来る作品だと感じた。文体も読みやすく、親子というテーマも取っ付きやすい。もし両親が読んだらどんな感想を持つのだろう?と、少し想像した

物語のラストは、上記文章(2つのネタバレ)にあるように
主人公は過去のやり直しではなく、家族は最悪の状態のままであった現実世界で生きていくことを選び、今の未来を少しでも変えようと新しい1歩を歩み出します

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