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【涙腺崩壊】本当にあった泣ける実話(随時更新)

泣ける話や感動する話を、すべて実話でまとめています。

更新日: 2019年04月07日

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この記事は私がまとめました

shiawase08さん

◆目次◆

1.あたし子供産めん
2.振り切って生きる
3.一番最後のページ
4.俺たちの子供
5.母さんのおにぎり
6.見知らぬおじさん
7.友人の娘の結婚式
8.スケッチブックの雪景色
9.サイン帳
10.おじいちゃんの絵
11.どきどきを越えて
12.ホームラン
13.デカイ荷物
14.後悔の念が見せた夢
15.僕を支えた母の言葉
16.俺宛の手紙
17.2回目のプロポーズ
18.55年の時を超えて
19.内緒のスプーン
20.お絵かき
21.還暦の花束
22.マーメイド
23.意識を失った
24.天国からのメール
25.ピンク色のかまぼこ
26.できちゃった結婚
27.歩んだ日々
28.最高のママ
29.俺名義の通帳
30.大きい花束
31.こんな顔してますよ
32.数え間違えた小銭
33.手遅れになる前に
34.俺のおもちゃ箱
35.オレンジ色のチューリップ
36.豹変した盲導犬
37.大人っていいな
38.妻に誓った
39.野球、ごめんね
40.見知らぬ女性
41.癌専門治療医
42.最強最高の兄
43.3枚のお皿
44.パトカーの先導
45.鳶職の父
46.タクシードライバー
47.花嫁の電話
48.優しい炎の恋
49.堅物課長
50.隣の家族

■1.あたし子供産めん

私は今20です。
今付き合ってる彼氏とは去年の夏、ナンパされて知り合った。
彼氏の見た目はいわゆるチャラ男で、それなりに遊んでる感じ。
絶対好きになんてならないと思ってた。

でも、よく笑うとことか優しいとことか
一緒にいればいるだけ好きになってしまった。
彼氏も、私に「好き」と言ってくれた。

でも、付き合うとか彼氏と彼女という関係にはなれなくて、
雰囲気に流されてエッチしてしまった。

それから何ヶ月か、そんな関係が続いた。
こんなの、人に言えなかった。

でも、私は彼氏が大好きだったし、
そんな関係はつらくて「このままの関係なら、もう会えない」って伝えた。
彼氏は真剣に話を聞いてくれて、それから私たちは付き合うようになった。

付き合って半年経った1ヶ月前、
「子供は女の子がいいね」とか
「結婚して何年経っても一緒にお風呂はいろうね」とか
同じ未来を思い描いてた。
私も彼も子供が好きだし、当たり前のように子供を授かる事ができるってそう思って疑わなかった。

1ヶ月経っても2ヶ月経っても生理がこなかった。
おかしいなって思ったけど、妊娠の可能性は低い。
彼氏は絶対に避妊してくれるから。
とりあえず、妊娠検査薬をつかった。
でも、陽性反応はなかった。

次の日、会社を休んで産婦人科へ行った。
不妊症と言われた。
信じられなかった。
なんで私が?
そればかり考えた。

涙はでなかった。
先生が間違った判断をしてるだけだと思った。
そんなはずはないのに。
やたらに先生にむかついた。
なんでこんな事言うの?って思って
腹立たしかった。

次の検査の予約を無理やりとらさせて、
この日の検査は終わった。

車のエンジンをかけると、
彼氏の大好きなケツメイシの曲が流れた。
その瞬間、涙がものすごい勢いであふれだした。

どうしよう
どうしよう
どうしよう

泣きながら彼氏に電話をかけた。

彼氏も仕事中のはずだ。
出る訳がない。

頭では分かっているのに、何度も何度も電話をかけた。
ひとりぼっちなのが、とにかく不安だった。
昼の1時すぎ。
彼氏から着信があった。

電話のむこうは、お昼休みなのか騒がしかった。
私は泣いていて、なにも言えなかった。
彼氏は「話せるようになるまで待ってるから」って言って泣いてるだけの私の電話を切らずに、ずっと待っててくれた。
でも、それでも話すことが出来なかった。

「ごめんなさい...」
私がこう言ったのが、彼氏にちゃんと伝わったかは分からない。

その日の夜、作業着のまま彼氏がうちにきた。
「すぐ来てやれんでごめんな」
私の頭を撫でながら、彼氏がそう言った。

「あたし、子供産めんて、そうゆう病気なんだって」
彼氏はポカンとしてた。
こいつ何言うてるん?って顔してた。

「何言うてるん?」
「分からん」
「分からん訳ないやろが」

「先生がそう言うた。あたしも信じられんもん」
「...まじかよ」

彼氏はそう言ったままなにも言わんかった。
別れることは覚悟してた。
子供が産めない私は、彼氏と一緒にいたらいけないと思った。
大好きな人だから、幸せになってもらいたいと思った。
でも、離れるのは嫌だった。
ずっとずっとそばにいてほしかった。

「ごめんな」
彼氏を見たら、泣いてた。
彼氏が泣いたとこなんて今まで見たことない。
いつもにこにこしてて、弱音も吐かない彼氏が泣いてた。

「ひとりで病院なんか行かせてごめんな…」
彼氏は私の手を強く握ってた。

「大丈夫だよ、あんたがおらんくてもあたしは大丈夫だから…」
精一杯の強がりだった。
今すぐ抱きしめて欲しいのに、
くだらない意地が邪魔をした。

「別れよう」
私の顔は化粧がぼろぼろに落ちて涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。

「ぶざけんな!勝手に決めんなよ!」
はじめて彼氏が大声で怒鳴った。

「ずっと一緒だって言うたやろ…」

「でもあたしとずっと一緒におっても人並みに幸せになれんのは、
あんただって分かってるやろ…」

悲しそうな顔をしてた。

「俺、ガキなんかいらん。」
嘘だ。ほしいって話何度もしたのに。
女の子がいいねって言ってたのに。

「明日、渡そうと思ってたんだけど」

彼氏は作業着の中から箱を取り出した。

箱を開けると、指輪が入ってた。
彼氏は私の左手の薬指に指輪をはめると、
ちょっと笑って「結婚しよう」って言った。

この日は私たちが付き合って半年になる記念日の1日前。

「ガキいなくたって幸せな家庭は築けるんやて」
彼氏はめちゃくちゃ笑顔だった。

「お前さ、料理うまくないやんか。
俺もそんな得意じゃないけん、ふたりでやればなんとかなるやろ」

「あと、お前は強がりで素直じゃないけん
俺はお前が何考えてるかよう分かる。」

「それとかさ、この前のDVDのさ、
記憶が消えてくって病気あったやん?
もし、お前がそれになっても心配ないで。
俺がお前の忘れたくない事全部覚えとるし」

この日の何日かまえ、
彼氏と頭の中の消しゴムのDVDを見たばっかだったから
なんだか笑ってしまった。

「なんか話ズレとるよ?」
泣きながら笑った私を見て、彼氏は汚い作業着のそでで
私の涙を拭いた。

「やっと笑ったっ」

にこにこしてる彼氏の顔を見たら安心した。

それから、正式に婚約をしました。

大好きな彼はいつもそばにいて私を支えてくれています。
辛い事もあるけど、彼がそばにいてくれるから頑張れます。
一緒に泣いて一緒に笑って、すごく幸せだなぁと思います。

不妊治療、頑張ります。

■2.振り切って生きる

20代半ばで結婚し、妊娠しました。
小さなアパートで暮らしていたので

「子供を育てるならもっと広い所に行かないとね」

という話をしていたのですが、元夫は何か人ごとというか

「うん、そうだね」

とは返事をするけど実感がないというか。
心ここにあらず…と言った感じでおかしいとは思ったのですが、当時は自分のことで手一杯。
そして病院で出産。
実家には兄夫婦と子供がいたので、里帰りはせずアパートに両親と戻りました。

しかし、元夫がいない。

夜になっても帰らない、携帯は当時まだあまり普及しておらず、夫も持っていませんでした。
会社に電話したら
「帰宅した」

という。
夫実家も

「え?だって今日赤ちゃんが家に帰る日でしょ?うちにいるわけないじゃないですか」

という返事。
事件に巻き込まれた?まさか交通事故?と母と父が警察や親戚に電話するのを赤ん坊を抱えて呆然と部屋の真ん中で座ってみていました。

結局、元夫は失踪していました。
貯金が全部引き出されていて、元夫が会社で管理していた新幹線の切符が横領されていたことが発覚しました。
(切符の件は会社側の配慮で私の耳には入らず、後になって夫親から聞かされました。逃走資金だったようです)
初めての出産、初めての夫家出で呆然…とする暇もなく、とにかく子供を育てないと…
ああでもお金がない…どうしたらいいの~~と泣く私と赤ん坊の話を聞いた友人達がカンパを募ってくれ、更に出産経験のある友人や友人姉が手伝ってくれました。
両親や親戚にも何度も助けられました。
本当に感謝しきれません。

失踪届を出した後、夫とは離婚をしたのですが、夫親とは交流があり、援助も受けました。
顔を合わせる度に夫のしたことを謝られましたが、夫親達がしたことでもなく、何より当時の自分は生活に必死で他人を恨む暇もありませんでした。
そしてご夫婦は相次いで亡くなり、元々二人ともあまり体が丈夫ではないときいていたのですが、それでも平均寿命よりはるかに早く、息子である元夫の事で抱えた心労が影響したんだろうと思います。

そして息子が6年生になった日、突然義実家(元夫の妹が婿を取って住んでいる)に元夫が現れました。
今まですまなかった、と妹さんに土下座し

「俺の子供はもう中学生なので、現れても良いと思った」

と。
妹さんも息子を可愛がってくれました。

「お前の子供はまだ6年生だ。自分の子供の年齢もろくに覚えてない、何が「現れても良いと思った」だ。
 父も母もお前のせいで体をこわして死んだ、お前なんか死ねばいい」

と元夫をののしり、追い出そうとしたところ、逆上した元夫に殴り蹴られ、騒ぎを聞きつけた隣家の方に取り押さえられ、その方々にも怪我を負わせ、元夫は警察のご用となりました。
妹さんは入院となりましたが

「言いたいことを全部言ってやった。後は本当に死んでくれたらいい」

その関係で話を聞かれましたが、警察の配慮で接触はなく、

「元夫さんは経済的に困窮しているし、色々追い込まれてる状態です。
 これは形式として聞くのですが、
 貴女は元夫さんと子供の親なり、親戚なり、友人なりとして関わっていくつもりはありますか?」

と聞かれました。私はもちろんNOと答えました。

「それがいいでしょう、いや、私が勝手にそう思っただけですけど」

と言われましたよ。

妹さんからの伝達で、失踪している間は女と一緒だったようです。
その女の家兼店で生活していたが、その女の店に手配が入り、潰れ、女は逮捕された、行くところが無くなり、借金も抱え、実家を頼ったようです。

「俺にはこの家に関して権利がある。過去に色々したとしても、俺には権利がある」

そうです。
「893かぶれで情けないチンピラだった」そうです。

妹さんは弁護士から

「女が出所したらもっと厄介なことになるかもしれません。
 法律でダメだからと、引き下がるような人ばかりじゃないんです」

と説得され、実家を売り引っ越すことになりました。
「お互いの為に」住所は教えず、携帯番号とPCのメールアドレスだけを教え、会う時も接点のない他県で会うようにしよう、と。
兄である元夫のしたことを最も恥じていて、親戚の中でも息子に最も愛情を注いでくれた妹さんでした。
彼女は確かに私の(義理の)妹でした。
馬鹿な男のせいで入院し、思い出深い土地を逃げるように離れなければならない妹のことを思うと悲しかった。

その悲しみと同時にもの凄い憎しみが湧いてきました、もちろん元夫に。
女はどうでも良かったです、私達とは生きる世界の違う人間だったんでしょう。
妹に対する悲しみや、今まで味わってきた惨めさや苦しみが一気に爆発しました。
「殺してやろう。苦しめて殺してやる。誰がひと思いに殺してやるか」と本気で考えました。
元夫が留置されている警察署に包丁5本とロープを持って車で乗り付け、さぁ殺す、絶対殺す、苦しめて殺すぞ、と車を降りようとしたとき、携帯が点滅しているのに気付き見ると、母からのメール。
息子の志望している中学校を見学に行く予定についての返信でした。
「遅くなってごめんね」と書かれているのを見て「両親を犯罪者の親にはできない。いやそもそも、私まで犯罪者になったら息子にどう顔向けするんだ」と我に返りました。
(同時に「あんなクズを殺しても私は犯罪者なのか」ともう一腹立ちしました)

それから一年、元夫のことは考えないように生活し、元夫の現状は何もわかりません。
中学受験に成功した息子の入学式を無事終え、振り返ってみると元夫には酷い目にあわされたけど、それ以外では私の周囲には本当に優しい良い人ばかりだった、なんて恵まれた人生だったんだろうと、しみじみ感じ、元夫のことは完全に振り切って生きていこうと誓った。

■3.一番最後のページ

私は都内でナースをしています。
これは二年ほど前の話です。

ある病院で一人の患者さんを受け持つことになりました。
22歳の女性の患者さんです。
彼女は手遅れの状態で癌が見つかり半年もつか分からない状態でした。

彼女は笑顔がかわいらしい目のくりくりしたタレントさんみたいにかわいい人でした。
末期のがんであと半年もつかわからないことは彼女もしっていました。
けれど絶対に笑顔をたやさない。
人前で涙や弱音を吐かない人でした。そして明るく、とっても優しい人でした。
私と彼女は同い年でした。私は彼女を尊敬しました。

彼女は上智大学の4年生でした。
彼女はよく「卒業して子供たちに英語を教えたい」と言っていました。
彼女は大学でアメリカに1年、留学していたからでしょう。
同じ病院の小児科の子供たちにも好かれてよく英語を教えていました。

彼女にはお母さんがいませんでした。
彼女が小学生のときに家を出て行ってしまったそうです。
それから、お父さんと二人でくらしていました。
彼女はお父さんのことが大好きでした。

彼女はあえて抗がん剤治療はしないで進行をとめる薬を投与していました。
髪は抜けなかったものの、体は日に日に弱っていき、容態は悪くなる一方で彼女は日に日に衰弱していきました。

12月に入りました。
彼女は意識がなくなりもうもたない状態になりました。
彼女のお父さんは「逝かないでくれ、お父さんを一人にしないでくれ」と言っていました。
本当に心が痛みました。
私は最後を立ち合いました。
心肺停止になるとお父さんは彼女の酸素マスクをとり「ありがとう、ありがとう」と何回も繰り返しました。
応急処置はできない状態だったのです。
そのままといういい方はおかしいのですが処置はしませんでした。
お父さんは彼女の頭をなでながら「お父さんの子供でありがとう。」と言いました。

私は泣きました。
ボロボロでてくる涙はとめられませんでした。
お父さんは彼女の病室からみつかった一冊のノートをみせてくれました。
英語の勉強のノートだったのですが、一番最後のページにこう書いてあったのです。

ありがとう
ありがとう
わたしはとっても幸せでした。
お父さん、ごめんなさい。孫の顔みせてあげられなかったね。
わたしは病気になってつらいことはあったけど、決して後悔はしていない。
神様がわたしにくれたミッションだったかもしれないね。
ちょっと、早めのミッション。
男手ひとつで育ててくれてありがとう。
だいすきだよ。

彼女の葬儀にはたくさんのお友達がきていました。

それから2年ほどたっていま、彼女のお父さんは私の病院で入院しています。
おとうさんは癌になってしまいました。

けれどお父さんは私に言ったのです。
「もしかしたら、一人にさせたらいけないと思ってあの子がそうさせてくれたのかもしれない。
だから死ぬのはこわくないんだ。あの子がまっていてくれてるから。」

ときどき、彼女のことを思い出します

■4.俺たちの子供

兄家族が俺たちの家にやって来て長女を押し付けて引っ越していった。
兄も兄嫁も甥っ子だけが生きがいみたいな所があったんだよね

甥っ子は本当に頭が良かったんだ。
勉強は教科書読めば全て頭の中に入ってくる。
スポーツも出来て人気者だったらしい。

長女は甥よりも出来が悪いと判断されて、ほとんど放置されていたらしい
そのとき小学生だったけど、幼稚園生?と思えるぐらい細くて小さかった。

風呂には一か月に一回しか入れてくれなかったみたいで、そりゃ汚かった
お風呂に入れてやったら、一緒に入っていた嫁が泣き出すんだよ
「頭を洗ってあげただけで「ありがとう」って泣くんだよ。暖かいお風呂だねって泣くんだよ」って。
食事を出せば
「おいしいね、暖かいね」って言うんだ。

これはもうダメだって思って、兄貴に言ったら「100万よこせばそいつはやる」って。
嫁さんが「…100万。子供をなんだと思ってる!」と怒った。
俺は怒りを通り越して呆れしか出てこなかった。
こんなのが兄貴だったんだって。

次の日、俺が自分の貯金から100万おろして嫁さんに渡すと
「実は私も」って嫁さんも100万準備していた。

200万兄貴に渡して「これで俺たちの子供だな!」って。
金で子供を買ったみたいでなんだかあの時は何とも言いようのない気持ちだったな。

俺たち、その時まだ22歳だったんだよね。
突然できた子供に近所の人も驚いていたけど、優しい人たちばかりだったから色々助けてもらった

長女が12歳の時に次女が生まれた。
不安もあったけど、長女はたくさん次女をかわいがってくれた。
お陰で次女はお姉ちゃんっ子に育った。

昨日は俺の誕生日だったんだけど
「お父さん、誕生日おめでとう」って手作りの煙草ケースをくれた。
これがまた凝ってるんだわ。
木と革で出来てるんだけど最高に使い心地がいい。
「吸いすぎないように」って書かれてるけど…

引き取った時とは比べ物にならないぐらい明るい子に長女はなった。
友達もたくさんいて、良く家にも遊びに来る。
勉強だって俺に似ないで嫁さんに似たのか良くできる子だ。
そのかわりに次女はアッパラパー(お調子者で今の自分を存分に楽しんでいる人)だけど、友達もいるし元気なら良いや。
そのうち目覚めるでしょう…。

これから二人とも大きくなっていって結婚して家を出ていくのかなと思うとなんだか寂しいなw
久しぶりに兄から年賀状が今頃届いて昔の事を思い出したので書き込み
「東大に受かったよ。息子。幸せな家族です」なんて書いてあるけど
俺たち家族の方が全然幸せで暖かい家庭だわ。

■5.母さんのおにぎり

俺の母親は俺が5歳の時に癌で亡くなった。
それから2年間、父、2歳年上の姉と3人暮らしをしてた。

俺が小学1年生の時のある日曜日、父が俺と姉に向かって「今から2人に会ってほしい人がいるんだ。」って言ってきた。

そんで父が連れてきたのは、父より少し若いくらいの優しそうな顔の女性だった。
俺は子供だったが、父がその女性と再婚するつもりなのがなんとなく分かった。
姉はその人と会ってすぐに楽しそうに話をして打ち解けていたが、俺は人見知りな性格だったので打ち解けることができなかった。

その人が帰った後、3人で夕食をとっているときに父が「父さんあの人と結婚してもいいかな?」って言った。
俺は正直あまりいい気分ではなかったが、姉も喜んでたし、父の幸せの事を考えると何も言えず、俺も喜んでるフリをした。

そして、俺の家族は4人家族になった。
というより4人家族に戻った。

俺は相変わらず新しいお母さんになつくことができなかった。

ある休みの日の前日の夜、父が明日はみんなで動物園に行こうと言った。
俺は動物園なんてほとんど行ったことがなかったから、本当にうれしかった。

翌日の朝、動物園に行けることが嬉しくて、いつもより早起きしたら、父がリビングの薬入れをあさっていたので、どうしたのか聞くと姉が熱を出したらしい。
そこで父は家に残って姉の看病をすることになり、俺とお母さんの2人で動物園に行くことになった。

動物園に着いてからもなんとなく気まずい雰囲気で、言葉数も少なく、心から楽しむことができないでいた。
昼になり、ベンチでお母さんの作ってきた弁当を食べることになった。



俺はおにぎりを一つとって口に運んだ。



そしたらなんか本当の母さんが元気だった頃、家族でピクニックに行ったときに母さんがお弁当に作ってくれたおにぎりを食べたことを思い出した。

水気を吸ってやわらかくなった海苔、ほどよい塩味・・・懐かしい気持ちとともに本当のお母さんを思い出して涙がボロボロ出てきた。

母が戸惑っていたので泣くのをやめようと思っても涙が止まらなかった。
俺はその時初めてその人に母親を感じた。

それから母さんと動物園をまわりながら今まで話せなかった色んなことを話した。
ほんとに楽しかったし、嬉しかった。



そんな母もあれから22年たった今年の2月に病気で亡くなった。



俺はあの時食べたおにぎりの味を忘れない。

2人の母のおかげで今日も俺は元気に生きてる。

■6.見知らぬおじさん

私には妻がいたが、一人娘が1歳と2ヶ月のとき、離婚することになった。

酒癖の悪かった私は、暴力を振るうこともあり、幼い娘に危害が及ぼすことを恐れた妻が、子供を守るために選んだ道だった。

私は自分がしてしまったことを心から悔やんでいる。

そして今は、付き合いといえども酒は一滴も飲まないことにしている。

もちろん、だからといって「よりを戻してくれ」なんて言うつもりはないし、言える立場でもないことは、わかっている。

ただ、元妻と娘は幸せになってほしいと思う、その気持ちに嘘はなかった。

離婚するとき、私は妻と二つの約束をした。

ひとつは年に一度、娘の誕生日だけは会いに来てもいいということ。

もうひとつは、その時に自分が父親であるという事実を娘には明かさないこと。

それは私にとって、とても辛いことではあったが、娘にとってはそれが最良の選択であることも分かっている。

一緒に祝えるだけでも感謝しなければならない。

それ以来、娘の誕生日は、普段着ないスーツを着て、母子に会いに行った。

元妻は私のことを「遠い親戚のおじさん」と紹介した。

娘も冗談なのか、なんなのか、私のことを「見知らぬおじさん」と呼んだ。

娘は人見知りだったが、少しずつ打ち解けていって、三人で近所の公園に遊びに行くこともできた。

周りから見れば仲睦まじい家族に見えていたかも知れない。

それは私にとって何にも変えがたいほどの幸せな時間だった。

これが平凡な日常ならば、どれほど素晴らしいことだろうか。

年に一度の、この日のことを思うだけで、酒を遠ざけることができた。

だが長くは続かなかった。

娘が小学校に上がる年のことだ。

例年通り、私がスーツを着てプレゼントを持って母子のもとを訪れると、

元妻から
「もう会いに来るのは最後にしてほしい」と言われた。

そろそろ色んな事を理解してしまう年頃だからと、それが理由だという。

私にはわかっていた。

新しいことが始まろうとしているのだ。

娘もやがて一緒に誕生日を祝う同級生ができるだろう。

元妻は、再婚を考えているかもしれない。

そんなところに“見知らぬおじさん”がいてはいけない。

私だけが過去の中にいた。

年に一度、家族のような時間を繰り返せば、いつか二人が私を「お父さん」と読んでくれる日が来るかも知れないと、そう本気で信じていた私が愚かだった。

どれほど切実に願っても、一度壊れてしまったものは、元に戻らない。

これが現実かと思い知った。

「あっ、見知らぬおじさんだ!きょうは遊びにいかないの?」

「きょうはね、 おじさん行かなきゃいけないんだ」

「なんだ、ざんねん!」

母子にとって、それが一番の選択なのだ。

「ごめんね。元気でね」

私は力一杯目をつぶり、手を振る幼い娘の姿をまぶたの裏に焼きつけた。

「バイバイ!」

それ以来、母子と会うことはなくなった。

だが、娘の誕生日だけは、どうしても忘れられず、毎年プレゼントだけを贈り続けた。

筆箱や本といった、ささやかな物を、差出人の欄には何も書かずに送った。

それを元妻が娘に渡してくれていたかどうかはわからない。

ただ、娘の誕生日だけが、小さな楽しみになっていたのだ。

それも、中学生になる年にはやめようと決めていた。

娘からすれば、私は知らないおじさん。

こうして、ずっとプレゼントが届いても迷惑だろう。

娘には、新しい未来がある。

私も別の道を歩まなければいけない。

ただ、娘の幸せだけを願い、

英語の辞書を送って、最後にすることにした。


それから、一ヶ月ほど経ったある日、私のアパートに、郵便物が届いた。

差出人の欄には何も書かれていない。

小さな箱を開けて見ると、中から出てきたのは、

水色のネクタイピンとメッセージカードが。

メッセージカードを開くと、

そこには初めて見る可愛らしい文字が並んでいた。

【 いつも、素敵なプレゼントをありがとう。

 私もお返しをしようと思ったのだけど、 誕生日がわからなかったので(汗)、 今日、送ることにしました。

 気に入るかなあ・・・

 見知らぬ子供より 】


私の頭はぐるぐる空回りし、思考が一時停止の状態が続いたが、やがて止めどない涙が溢れて来て、最後は大声を出して泣きだしてしまった。

それは、

壁にかかったカレンダーをみてからだった。


その日は6月の第3日曜日

「父の日」だった・・・

■7.友人の娘の結婚式

この間、友人の娘の結婚式に出席した。

私と友人は高校からの友達で、かれこれ30年以上の付き合いで、その娘の事も知っている。

その子の結婚式という事で電話が来て出席することにした。

しかしその子、本当は友人の娘ではなく、友人が20歳の時に生まれた妹だ。

なぜ妹を娘としていたのかというと、友人が21歳の時に両親が事故で他界

家族は兄妹二人となり、親のいない家族として育てるよりも、片親ではあるが父親のいる家族として育てたほうが妹のためにもなるのではと、彼なりに判断したからである。

当時そのことで友人から相談された時は私はすごく反対した。

確かに妹のことを考えればそれがよいのかもしれないが、お前自身はどうなるのか?

21才やそこらで子供一人、しかも片親として育てる事は幾らなんでも無理がありすぎる。

母親のことを尋ねられたらどう答えるのか?

そもそも戸籍を見られた際気がつく。

祖父の元で育ててもらったほうが良いのではないか?

それに友人自身の将来の結婚などのこともどうするのか?

それらの事を友人に尋ねると、友人は父親母親方の祖父はすでに病気で他界、親戚に預けるのも嫌、それ以前に自身、両親が他界し、つらい時
妹の笑顔に救われた、この子が無事育ってくれるのならば自分の幸せは二の次でも構わない。

そういわれたら私自身何も言い返せず、ただ「つらい道なのかもしれないが、頑張れ」

としか言えなかった。


それから友人は家事と仕事、妹の育児とで一生懸命だった。

私も何か手伝えることはないか?

と時折聞いてはみたものの、酒に付き合い話を聞くぐらいしか出来ることは何もなかった。

私の知る限りその子が友人が父親ではなく兄という事を知っている様子はなく

又友人からそのような話を聞いた事もなかったので、

うまくいっているのであろうと思っていた。


式も順調に新郎の会社の方、友人のスピーチなどすべてが順調に進んでいた。


そして新婦が手紙を読み始めた。

良くある内容の父への手紙である。


「お父さん今まで本当にありがとう」

そう言って娘さんは泣いていた。

泣きじゃくっていた。


しかしそこで事態は変わった。

娘が一向に続きを読まないのである。

そして首を横に振りながら何か訴えてる。


何が起こったのかわからず周りはざわつきだした。


次の瞬間彼女の口から『お兄ちゃん』という言葉が出てきた。


私は口から心臓が飛び出るかと思った。


きっと友人もそうに違いない、なにせ顔色が一瞬にして変わっていた。

彼女はすべて知っていたようである。

何でも高校生の時、書斎を整理している際に偶然友人の日記を見つけ読んだようで

その時自分が娘ではなく妹である事を知ったようである。


彼女は言葉にならないぐらい、

泣きながら友人に感謝の言葉を言っていた。

そしてそれと同時に謝罪もしていた。


自分のせいで兄の人生を狂わせてしまった。

本当にごめんなさいと何度も謝っていた。

友人は

「それは違う。俺の人生はつまらない物じゃない。

お前がこんなに大きく育ってくれた。

それだけで俺には十分だ」

そういっていた。


俺も自分のことではないのにもかかわらず涙が流れていた。

そうして周りから拍手が送られ何事もなかったかのように式は進んでいき、
結婚式は終わった。


私は友人とその後居酒屋へ行き酒を飲みながら話をした。

話をしながら友人は妹のことを思い出しながら涙を流していた。

私はその時友人におつかれさまと言ってやった。

友人は笑いながら、いえいえと言い泣いてた。


友人が今一番楽しみにしているのは孫が生まれることらしい。

■8.スケッチブックの雪景色

「ゆきをとってきて…おねがい、ゆきがみたい…」
あなたはそういって、雪をほしがりましたね。季節外れの雪を。

あれから何年も時が経ちました。
あなたは、ゆっくり休めているでしょうか。
僕に向かって、雪がほしいとせがんではいないでしょうか。

あなたの癌が発覚したのは、ちょうど今頃、梅雨時でしたね。
あなたが一番初めにそのことを報告したのは、両親ではなく恋人の僕。
「私ね、癌が見つかったの。絶対元気になって帰ってくるから、待っててね」
あなたがそう言ったことを、よく覚えています。
あなたがなぜか笑っていたことも。
ここは田舎。大きな病院などあるはずもなく、あなたはここから遠く離れた街の病院に入院した。
僕はできることなら、毎日お見舞いに行きたかったんだよ。
でも…、僕にも大学があった。行きたかったけど、そっちの講義を受けていたんだ。
あなたも、「大学に行きなさい、あなたの夢をかなえて」って、言ってくれたから。
本当に、すぐ直るんだって思ってたんだ。
でも、癌はあなたの身体を確実に蝕んでいて。
ようやく得た休暇を利用して、あなたの元に駆けつけたんです。もうすでにあなたは起き上がることすら苦しいというところまで、悪化していた。
それでもあなたは、僕に大学の話をしてくれとせがんだ。
あなたの笑顔は、変わらずまぶしかった。
そしてあなたは言ったんだ。
「ゆきをとってきて…おねがい、ゆきがみたい…」
僕は困った。こんな真夏の本州に、雪があるはずがない。
でもあなたは、冬は毎週スキーに行くぐらい、雪が大好きだった。
「…今からとってくるよ」
僕がようやくそれだけ言うと、あなたは満足げに笑っていましたね。
僕はあなたのために、スケッチブックを置いていきました。
あなたがさみしくないように…。雪景色の次に好きな絵をたくさん描けるように…

僕に残されていた道は、一つしかありませんでした。
「富士山に登る」っていう道。
そこぐらいしか、真夏に雪が残っているところなんて、考えられなかった。
そこに僕はクーラーを持って行って、ちょっとだけ雪を持って行ったんだ。あなたのために。
山を下りたころには溶けかかっていたけれど、それでも僕はあなたの元に運びました。

だけど、僕が帰った時には、あなたはすでに旅立っていました。

彼女の母から話を聞くと、僕がいなくなった途端、容体が急変したらしい、享年19だった。
最期までそばにいればよかった。
僕が後悔したとき母親は、
「これでよかったんです…」
と答えた。
理由を聞くと、雪が見たいというのはただの口実で、本当は僕に心配をかけたくなかったからだって…
「あの子の彼氏でいてくれて、本当にありがとう」
たくさん、感謝された。
あなたとあなたのお母さんに一番感謝しているのは、僕の方なのに。
ああ、くそっ。間に合っていれば。
悲しくて涙も出なかった。
その時、病院のベットのわきにあるサイドテーブルの上に、置いてあるものを見つけた。
僕が渡したスケッチブックだった。
そこには、一面の銀世界が描かれていた。
あなたが書いた、最後の絵。
その裏に、メッセージが残してあった。
「私がいなくなっても、悲しまないで!私は、雪と一緒にいつもあなたのそばにいるから!!大好きだったよ!ありがとう!!」
今度こそ本当に、涙が零れ落ちた。
あなたは苦しい息の下で、僕のことを気遣ってくれたというのですか。
「…ありがとう」
僕は泣きながら、いつまでも感謝の言葉を呟いていた。

雪を渡すのは、間に合わなかったけれど、あなたはそれでもよかったのですか?
最期の時に一緒にいてあげられなくて、ごめんなさい。
でも、一つだけ言わせてください。
僕も、あなたのことが大好きでした。
いいえ。あなたのことが「大好きです」。今も。
雪を見るといつもあなたを思い出します。
あなたの大好きだったものだから。

■9.サイン帳

ある日

ディズニーランドのインフォメーションに、お父さんが元気なさそうにやってきました。

インフォメーションのスタッフが、

「いかがいたしましたか?」

と聞いたところ、そのお父さんは、「実は今日、子供と一緒に来ました。

子供が、ミッキーちゃんだとか、ミニーちゃんだとかのキャラクターにサインをしてほしいと言っていたので、サイン帳を持ってきたんです。

子供は、キャラクターを見つけては、一人一人にサインを書いてもらっていました。

そして、あと少しでそのサイン帳が全部埋まる、というところで、そのサイン帳を失くしてしまった
んです。

サイン帳、落し物で届けられていないかと思って来て見たんですが、ありませんか?」

と言ったそうです。

そのインフォメーションには、サイン帳は届けられていませんでした。

そこで、そのスタッフは、考えられるいろんなところに電話をしてみました。

ところが、どこにも届けられていなかったんですね。

そこで、そのスタッフは、サイン帳の特徴を詳しく聞いた後、

「いつまでご滞在されますか?」

と聞いたそうです。

その家族は2泊3日で来ていたので、2日後のお昼には帰らなければならなかったそうです。

スタッフはそれを聞いて「それでは、この後、もう少し探してみますので、2日後、お帰りになる前にもう一
度こちらにお寄りいただけますか。
多分、それまでには見つけられると思います」

と言ったそうです。

そして、お父さんが帰られた後、

そのスタッフはさらに、細かな部署に電話をかけて聞いてみたり、自分の足で、駐車場や心当たりの
ある場所に探しに行ったそうです。

ところが、やっぱり、どうしても見つからなかった。

もしかしたら、それを拾った人が、

「すごい! これみんなのサイン、書いてある」

と喜んで持って行っちゃったのかもしれない。

でも、とにかく見つからなかった。

で、そのスタッフの子は、どうしたかって言うと、結局、そのサイン帳と同じサイン帳を自分で買って、

自分の足で、いろんな部署をまわって、

キャラクターのサインを全部書いてもらって当日を迎えたそうです。

当日、お父さんがやってきました。

多分見つからないんだろうなという気持ちで来たんだと思います。

お父さんは、

「どうでしたか?」

と聞きました。

すると、スタッフの子は、

「申し訳ございませんでした。

そのサイン帳は見つけることができませんでした。

でも、お客様、こちらのサイン帳をお持ち帰り下さい。」

と言ったそうです。 

お父さんがビックリして中を見ると、

キャラクターのサインが全部書いてあった。

お父さんは、もちろん大喜びして、

「ありがとうございます!」

と持って帰ったそうです。

・・・で

この話はまだ終わらないんです。

後日

ディズニーランドにそのお父さんからの、一通の手紙が届きました。

先日は「サイン帳」の件、ありがとうございました。

実は、連れて来ていた息子は脳腫瘍で「いつ死んでしまうかわからない」

・・・そんな状態の時でした。

息子は物心ついたときから、テレビを見ては、

「パパ、ディズニーランドに連れて行ってね」

「ディズニーランド行こうね」

と、毎日のように言っていました。

「もしかしたら、約束を果たせないかもしれない。」

・・・そんなときでした。

「どうしても息子をディズニーランドに連れて行ってあげたい。」

と思い

命が、あと数日で終わってしまうかも知れないというときに、

ムリを承知で、息子をディズニーランドに連れて行きました。

その息子が夢にまで見ていた大切な「サイン帳」を落としてしまったのです。

あの、ご用意頂いたサイン帳を息子に渡すと

「パパ、あったんだね! パパありがとう!」

と言って大喜びしました。

そう言いながら息子は数日前に、息を引き取りました。

死ぬ直前まで息子はそのサイン帳をながめては、

「パパ、ディズニーランド楽しかったね!

ありがとう!また、行こうね」

と言いながら、サイン帳を胸に抱えたまま、

永遠の眠りにつきました。

もし、あなたがあの時、

あのサイン帳を用意してくださらなかったら、

息子はこんなにも安らかな眠りにはつけなかったと思います。

私は、

息子は

「ディズニーランドの星」

になったと思っています。

あなたのおかげです。

本当にありがとうございました。

その手紙を読んだスタッフは、

その場で泣き崩れたそうです。

もちろん、その男の子が

死んでしまったという悲しみもあったと思いますが、

「あの時に精一杯のことをしておいて、本当に良かった」

という、安堵の涙だったのではないでしょうか。

■10.おじいちゃんの絵

幼稚園の時、祖父がなんとなく嫌いだった。だって怖いし、家が近くないからなかなか懐かなかった。
で、その幼稚園で「おじいちゃん・おばあちゃんの似顔絵を描こう」ってのがあったのよ。
その一年に一度の大イベント、一年目はおばあちゃんを描いた。だっておじいちゃんを描くのが癪だから。

絵を持って帰るとお母さんは苦笑して「来年はおじいちゃん描いたら」って言われたけど、無視。二年目もおばあちゃん。
だって癪じゃない。でもおじいちゃんが私を見て、さみしそうに笑うのよ。上手だねって。
幼いながらに感じた罪悪感は凄まじかったね。特に二年目。
仕方ないから、来年は、最後の一年はおじいちゃん描こう、って、心に決めたの。
で、描いたの。

そしたらね、しばらく会えないって言われた。祖父が倒れたからって。吃驚した。小さい私は大人たちに何も教えて貰えなくって、怖くて不安だった。
分かったのは、祖父の危機ってことだけ。私が心配しないように隠していたんだろうけど、逆に怖かった。
で、ようやく会えたのは病院。絵は持って行くのを忘れていて、渡せなかった。
私、すっごく心配したんだよって言えた。おじいちゃんは笑ってた。

その事件は衝撃的で、私、祖父が退院しても会えなかった。
会っても会話はしなかった。だって怖いし、癪だし。
おじいちゃんも話しかけてこないからいいかって思ってた。

それから大きくなるにつれて、だんだん、そのことも忘れたこの頃。
ショックも薄まって、おじいちゃんとアイコンタクトすることもできるようになった私、偉いよね。
ふと、何気なしに、その事件後、すっかり無口になった祖父が、親戚と私の会話に入ってきた。

「●●ちゃんはどこにいるんだ?」

それは私の名前だった。目の前にいるのに、そんなおかしなことをいう。皆笑った。皆笑ったけど、私、上手く笑えなかった。
祖父の中で、あの事件、心筋梗塞の事件から時間は一つも動いていなかったんだ。
祖父の中では、いつまでも幼稚園の●●がいて、この、ここにいる、ときどき会う私は、何者かわかんないんだって。

ちょっとづつ大きくなる私の姿でおじいちゃんに話しかけていれば。「●●だよ」って何度も言っていれば。
癪だなんてアホみたいなこと言ってなければ。
何か変わったかもしれないのに、私、馬鹿だ。泣きそうだった。いやもう、トイレで泣いた。

そこで自分が幼稚園の時に描いたおじいちゃんの絵を思い出した。でももう絵は無駄だって、今になって気付いた。
だって今の私が渡しても駄目。幼稚園の時の私が渡すべきだった。祖父は、それを永遠に待ち続けるんだろうなって、それを思ってまた泣いた。
腫れた目で「おじいちゃん、●●だよ」って言ってみたけど、また祖父は笑った。
これがあのときの、あの時私が心配したと告げた時の苦笑いだってことは、すぐに分かった。
分かってないなと思って、笑顔を作りながら涙が溢れ出た。皆の前でついに泣いてしまった。

そしたらね、祖父が「大丈夫、●●ちゃん?」なんていうから、今度はうれし泣きだよ。
もう顔ぐっちゃぐちゃ。一族唯一の娘にあるまじき顔。分かってくれたんだね、ありがとうなんてきったない声で言った。
これを書いている傍らにあの時のぐしゃぐしゃになった似顔絵があります。明日渡そうと思ってます、もう後悔しないようにね。
皆さん、大切なものは後悔しないようにすぐに渡してね。

おじいちゃん、無視してごめん。
本当は大好きだよ。●●って手紙も付けようと思います。

■11.どきどきを越えて

その昔、大学の同級生の女の子にがりがりに痩せた子がいた。
細身の娘が好みだったのでお声掛け。
程なく恋仲に。

あるとき「心臓に大穴が空いていて、苦しい。子供も無理。諦めるなら今のうち。」と告白された。
本人は死ぬ気だったらしい。
迷うことなく、恋人のまま。
出来る手術があるのならと方々の心臓外科を探しまくってなんとか手術にこぎ着けた。

どきどき。


成功した。
うれしかった。
術後も良好。
でも、子供は無理。
受胎しないだろう、と言われた。

当然、親同士は結婚に猛反対。
オレの親は勿論、向こうの両親も。
無視。
無視し続けてもなを、説得も続け、6年掛けてやっと挙式/入籍。

10年後、余程経過が良かったのか、妊娠が発覚。
主治医に相談したら、妊娠できたのなら出産は問題ないだろう「挑戦しましょう。」おまい、オレの女房だぞ、オレの子供だぞ、大丈夫なんだろうなぁ。


どきどき。


無事出産。
3,000g元気な男の子。
あまりに嬉しくて、2寸ほど、宙に浮いていた。

半年後、かみさんに似たような心臓障害発覚。
成長しないだろうってどういう事?「様子を見ながら出来るものなら手術をしましょう。」かみさんの執刀医の紹介で小児心臓外科の先生にお願いする。
十年待った一粒種、殺すなよ。
頼むから。


どきどき。


成功した。
これ以上ないくらい。

あれから15年。
ころころ太ったかみさんが居る。
「うぜえんだよ、親父。」憎まれ口を聞く、ちょっと小振りな男子高校生が居る。
さえないサラリーマンの普通の一家がある。

かみさんにも、せがれにも言わないが、幸せを噛みしめている。

■12.ホームラン

アメリカのとある地方に野球観戦の大好きな、
でも、目の見えない少年がいました。
少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。
アメリカのとある地方に野球観戦の大好きな、
でも、目の見えない少年がいました。
少年は大リーグ屈指のスラッガーである選手にあこがれています。
少年はその選手へファンレターをつづりました。

「ぼくは、めがみえません。でも、毎日あなたのホームランをたのしみにしています。
しゅじゅつをすれば見えるようになるのですが、こわくてたまりません。
あなたのようなつよいこころがほしい。ぼくのヒーローへ。」

少年のことがマスコミの目にとまり、二人の対面が実現することになりました。
カメラのフラッシュの中、ヒーローと少年はこう約束します。
今度の試合でホームランを放てば、少年は勇気をもって手術に臨む、と。
そして、その試合、ヒーローによる最後の打席。2ストライク3ボール。
テレビや新聞を見た多くのファンが、スタジアムで固唾をのんで見守り、
少年自身も、テレビの中継を祈る思いで聞いています。
ピッチャーが投げた最後のボールは、
大きな空振りとともに、キャッチャーミットに突き刺さりました。
全米から大きなためいきが漏れようとしたその時、
スタジアムの実況が、こう伝えました。

「ホームラン! 月にまで届きそうな、大きな大きなホームランです!」

■13.デカイ荷物

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