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【珍兵器】和紙と蒟蒻が兵器に?米軍を恐怖させた驚異の秘密兵器

ユネスコの無形文化遺産にも登録された和紙。その丈夫な特性は実は兵器にも活かされていました。日本が第二次世界大戦で投入した秘密兵器…それは何と和紙で出来た大陸間兵器!?

更新日: 2014年12月05日

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和紙で兵器になるの?…その前にそもそも和紙とは

和紙は洋紙に比べて格段に繊維が長いため、薄くとも強靭で寿命が比較的長く、また加工の方法により耐水性を持つ優れた紙です。
この特性を活かして紙でありながら雨がっぱにされたりと耐久性の高さは昔から活かされていましたしてきました

飛行船が沢山欲しい!!

第二次世界大戦がはじまる前の話。

そう、時は大航空時代。
空には巨大な飛行船が行き交っていました。

翼をもつ普通の飛行機も既にいましたが、
当時ではまだ性能が低く
たくさんの荷物を長距離運べる飛行船が当時の空の王者でした。

そのため各国で飛行船の研究や量産が盛んに行われます。

そんな中、日本軍も飛行船の利用をする中で
陸軍少佐であった近藤至誠は
「使い捨ての飛行船ができないか」と模索を始めます
アドバルーンの様な小型飛行船を大量に製造できれば様々な高空作戦が可能と考えたのです。

しかし日本軍はその余りに奇想天外な提案に拒否。近藤は独自研究を始めます。

軽くて丈夫、そして使い捨てできる様なもの・・・・それが和紙

遂に最適な素材にたどり着きます。
それが和紙にコンニャク糊を合わせて強化したもの。

コレに水素ガスを注入することで丈夫かつ安価な気球に。
和紙の気球は100kg以上の重さを支え人が乗れるほどでした。

当初はその奇想天外さで一蹴した日本軍でしたが
和紙気球の性能に驚きその将来性を認めて兵器として正式に採用します。
発起人である近藤は研究の途中で病死、その遺志は陸軍登戸研究所によって引き継がれます。
和紙でできた気球は≪ふ号兵器≫という名前が与えられました。気球爆弾とも


気球爆弾は女学生などが手作業で作成し、両国国技館などで膨らますテストをした後に配備されました。

当初、陸軍はこれでソ連への心理戦用のビラを撒いたり、兵士を少数載せた気球を大量に飛ばして無音で敵の後方へ降り立つ空挺作戦を計画していました。

しかしこの気球は水素を閉じ込めた物なので一度飛び立つと延々と飛び続けるか穴をあけて墜落させない限り着陸することが非常に困難でした

一方海軍は…

実はその頃海軍も独自で小型気球兵器を研究していました。

海軍は高層気象台、台長の大石和三郎らが発見していたジェット気流を使って気球に爆弾をつけて爆撃するという、とんでもない計画を思いついたのです。

しかし、実際に研究を進めると普通の気球はコストが高すぎる上に耐久性の問題や量産性で気球爆撃計画は頓挫します。

そして用済みとなったこの計画の資料は陸軍にも提供されます

*日本の陸軍と海軍は仲が悪かったため互いにどんな兵器を作ってるか隠しあってたり知らない事が多々ありました。

陸海の知恵が結集し、秘密兵器が誕生する

海軍から回されたその計画書を見た陸軍はすぐにひらめきます。
ふ号兵器を使えばいいのではないかと…

ここに海軍発案、陸軍が実行を担う≪ふ号作戦≫が発動します。

気球に爆弾をつけてジェット気流に乗せ、遥かなたのアメリカ本土を爆撃する。

夢物語としか言えない一度頓挫した計画でしたが、
和紙で作られ大量生産が可能なふ号兵器はそれを現実のものとしました。

陸軍によって開発されたふ号兵器に自動高度維持装置
(高度が下がると重りの砂を捨てるを繰り返して一定高度を保つ)
と爆弾を取り付けた物です。
風船爆弾と呼ばれますが、当時は気球爆弾と呼ばれていました。

また飛行爆弾の和紙にはコンニャク糊が使われていたため
一時期コンニャクは軍需品指定を受け
巷のおでんなどからコンニャクが消えていたようです。

太平洋戦争時代の創作をする方は是非設定に取り入れてみてください。

偏西風の一種で北半球の高空を北極から見て反時計回りに常に吹いている高速な風です。

ジェット気流に乗った気球は日本を飛び立ってから約50時間で米国に到達します。

第二次大戦前にジェット気流の存在を知っているのは日本だけでした。(発表はされてたが誰も注目しなかった)

B-29等が配備される中でしだいに米軍も
「高空には日本から米国へ吹く強い風がいる」ということに気づき始めます。

何で風船なんかを兵器に? ゼロ戦とか二式大艇とかいるじゃん?

当時の日本の技術では米国本土を爆撃できる飛行機を作れませんでした。
潜水艦から発進した小型機による爆撃も行われましたが…いかんせん爆弾を何個か落とすだけで帰らないといけません。
飛行艇も海上で潜水艦や補給艦から給油を受ければハワイなどまでは飛べましたが、
低速かつ低空を飛ぶ飛行艇ではそれ以上の飛行は米軍に見つかって撃墜されてしまいます。

なので米軍の様にB-25やB-29を大量に飛ばして爆撃するなんてとても不可能。
その点、風船爆弾は大量生産できてしかも日本から飛ばすだけなので日本軍の兵器の中で一番可能性があったのです。

戦果は?

残念ながらほぼゼロです

「原爆の製造施設の送電線を破壊した」とかの話もありますが、アメリカの威信をかけた原爆開発施設は厳重に守られており、送電線が破壊されてもすぐに復旧したようです。

人的被害は1945年5月5日、オレゴン州ブライでピクニックに来ていた民間人6人が発見した風船爆弾を触って爆発したのに巻き込まれたのみです。

また時期的に雪が積もってたりで山火事自体は発生しましたがすぐに自然消火したりで被害はあまり出ませんでした

でも実は…

実害こそありませんでしたが
米軍にとっては突如として現れたおもちゃの様なシンプルなこの兵器に度肝を抜かれました。

米国は独立以来攻める戦争ばかりで本土を攻撃された経験があまりないからです。
そしてこの風船爆弾。高度維持装置がある以外はただの気球…謎の紙で出来た風船が太平洋のかなたから米国に爆弾を届けてくるなんて信じられませんでした。
ジェット気流も知らない米国は
「太平洋のどこかに日本軍の秘密基地があるのでは?」
「日本軍の潜水艦隊が破壊工作を仕掛けに来てるのでは?」
「風船爆弾に乗って日本兵が上陸してくるかもしれない」「細菌兵器を乗せているかもしれない」

と、恐怖に駆られてその解明に全力を挙げます。

何と重りに使われていた砂まで解析し
その成分から「千葉県の砂が使われてる」と特定した米軍は千葉県沖に空母を派遣し飛び立つ風船爆弾をかたっぱしから撃ち落そうとしていた、と言われています。

その特性ゆえに放置する訳にもいかず米軍はふ号兵器迎撃に手を焼くことになり。米軍の戦力を少しだけ低下させる事ができました。

米国は風船爆弾が報道されると
効果を確認した日本軍がより大量の風船爆弾や改良型を飛ばすことを恐れ徹底した報道管制を引きました。

このため、日本軍は風船爆弾の戦果が良くわからず、風船爆弾を阻止しようと米軍の空襲が迫ってきたためわずか一年で攻撃を中断します。

この報道管制は米国民に対しても行われたため、米国民は風船爆弾の存在を全く知りませんでした(その結果ピクニックで謎の物体を発見して爆発させてしまうという悲劇が発生した)

米軍戦闘機によるふ号兵器 迎撃の様子
生産数1万
米国到達数361発

米軍はこの謎の兵器を気持ち悪がり全力で迎撃に当たりましたが
ドイツのV1やV2とは違い紙で出来た風船爆弾は
レーダーでも見つけることが困難で、音もしないためかなりの数が見つからずに到達した可能性があるようです。

そのため実際に米国に着弾した風船爆弾は500~1000発程あるのではないかと言われています。

つまり命中率5~10%
シンプルなのに意外と到達率が高かったのです。


また、世界初の大陸間兵器であり
世界最長の射程で使用された兵器
最長距離を飛翔した兵器
(千葉~オレゴンの7700km)
でもあります。

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某ガジェット研究所に影響されました。
雑学好きなので脈絡なく、色々なものを扱います。
特に科学技術やゲーム、ミリタリーなどが好きです