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【黄金時代を影で支えた男】 元巨人・村田善則選手のファンや同僚に愛されたプロ野球人生

元巨人・村田善則選手は、あの松井秀喜選手と同期で入団し、常に控え捕手としてチームを支える存在でした。その姿勢はファンに、そして同僚に高く評価されました。黄金時代を支えた正捕手は、村田真一選手や阿部選手ですが、彼らが懸命にプレー出来たのも、ベンチに控える村田善則選手がいたからに他なりません。

更新日: 2015年10月28日

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sakurankaさん

1.村田善則(以下、村田(善))ってどんな選手だったの?

1-1.村田(善)選手の通算成績など

生年月日:1974年4月24日生
身 長 :176cm
体 重 :79kg
投 打 :右投右打
入 団 :1992年ドラフト5位

経歴など
経歴  :佐世保実業高等学校-巨人(1993〜2008年)
初出場 :1995年10月3日
     対広島東洋カープ26回戦(広島市民球場)
初打席 :同上、6回表に山内泰幸から三振を喫する
初先発 :1997年9月4日、対阪神タイガース25回戦(東京ドーム)
初安打 :同上、5回裏に湯舟敏郎から左前安打
初打点 :1997年9月10日
     対横浜ベイスターズ24回戦(東京ドーム)
初本塁打:1999年8月7日
     対広島東洋カープ20回戦(東京ドーム)
初盗塁 :2003年5月21日
     対ヤクルトスワローズ9回戦(福岡ドーム)
背番号 :92(1993〜1995年)ー56(1996〜1998年)ー
     12(1999~2006年)ー40(2007~2008年)

1-2.選手としての特徴

当初は村田真一を追い落とす2番手捕手として期待され、2001年以降は阿部慎之助に続く控え捕手としてチームを支えた。

阿部には及ばないものの、元来は打撃も期待されていた。

1-3.その他

プロ入りから2001年までは村田真一がいたため「村田善」と表記されていた。村田真一が引退してからは「村田」表記となったが、2008年には村田透が入団したため再び「村田善」表記に戻った。

2.学生時代~プロ入り

佐世保実業高等学校から東洋大学へ進学。
村田(善)選手は、佐実出身の数少ないプロ野球選手となりました。
2014年現在、その他の比較的有名なプロ野球選手としては、川島慶三選手(ヤクルトスワローズ)がいます。

佐世保実業高時代は、4番主将としてチームを率い、1992年の甲子園大会に出場。

同年のドラフト5位で巨人に入団。

3.1993~2000年(松井秀喜選手と同期入団、そして村田真一捕手の控えとしての活躍)

同期入団選手として松井秀喜選手(ドラフト1位)がおり、またドラフト下位ということであまり注目される存在ではありませんでした。

また、松井選手以外に、後にリリーフとして活躍する西山一宇投手(ドラフト3位)、木村龍治投手(ドラフト4位)がいました。

結果的にこの年の巨人は、高レベルの選手を多数獲得することができました。

1995年に一軍に初昇格。1996年はフレッシュオールスターゲーム出場。

1999年に一軍定着を果たすと、2000年は工藤公康とバッテリーを組み、自己最多の76試合に出場。

日本シリーズ第1戦では先発マスクをかぶった。守備での評価を上げ、将来の正捕手候補として期待された。

1999年6月8日の対中日戦で左腕対策として2番・左翼手でスタメン起用されたことがある(その年の初スタメンでもあった)。結果は2打数1安打(途中交代)。

★コメント★
結果的にこの期間は村田真一選手の影に隠れる存在として、多くは活躍できませんでした。
ただ、1999~2000年の間には40試合以上に出場し、ホームランを放つなど活躍しました。
村田(真)選手が高齢であることも考慮し、村田(善)選手がスターティングラインナップに名を連ねる日も近いと思われていました。

4.2001~2005年(阿部慎之助選手への正捕手交代と、"正"控え捕手としての活躍)

2001年より鳴り物入りで入団した阿部慎之助選手の正捕手育成方針により、村田(善)選手はまたもや控え捕手に甘んじることとなりました。

前正捕手であった村田(真)選手が引退したため、出場機会は増加しました。

ここから村田(善)選手は、"正"控え捕手としての地位を確立し、阿部選手の休養日のスターター出場や終盤の守備固めとして活躍しました。

2001年に阿部慎之助がレギュラーを取ると、以降2番手捕手として阿部をカバー。

工藤との相性が良いため、工藤の先発時はスタメンで起用されることも多かった。

★コメント★
目立った活躍はなかったものの、ベンチメンバーには必ず名前が入っているほど、控え捕手としての地位を確立しました。
ただ、まだ拙いリードの阿部選手を、そして巨人の00年代を支える脇役としての存在は頼もしくもありました。

5.2006~2008年(若手の台頭、そして引退へ…)

選手としての円熟期を迎えるも、若手捕手の台頭により控え捕手としての地位も危うくなってきます。

徐々に出場機会の失われていく村田(善)選手でしたが、巨人一筋で控えに甘んじるも腐ることのないその姿勢は、ファンにそして同僚にも愛される存在でした。

そして2008年10月11日。最後の打席に向かう村田(善)選手に、誰もが惜しみない拍手を送りました。

2006年は星孝典や加藤健などの起用が多く、出場機会が減った。

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