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世界のジャーナリストから喝采を浴びた日本の武道家、アフガンのサムライ・田中光四郎

日本のランボーと呼ばれる男がいた!1985年AK-47、ロケット砲を手にアフガニスタンのゲリラと旧ソ連軍と戦う、世界の多くのジャーナリストが”アフガンのサムライ"と報道。#伝説の武道家#武道家のエピソード#大山倍達#現代のサムライ#有名な武術家#映画のような話#実話#ロシアの日本人

更新日: 2014年12月07日

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kiyonori15さん

▼シルベスター・スターローン主演「ランボー怒りのアフガン」そのモデルとなったといわれる日本人武道家・田中光四郎。

「戦渦のアフガニスタンでソ連軍と戦った空手家がいるそうだが、これが本当の武道家だよ」と生前の極真空手創始者・大山倍達にそう言わしめた人物。

あのシルベスタ・スタローンの大ヒット作「ランボー怒りのアフガン」は、田中光四朗がモデル!?

▼冷戦下ソ連のアフガン侵攻に義憤に燃えた日本のサムライが死地に乗り込む!

カラシニコフAK-47、RPG- 7ロケット砲を手にアフガニスタンにおいて旧ソ連軍、親ソ政府軍と戦う。

1979年、アフガニスタンに旧ソビエト連邦軍が侵攻。全土で抵抗運動が巻き起こり、ゲリラを組織した兵士たちは、ムジャヒディンと呼ばれた。田中光四郎は彼らを助けるためにアフガンへ向かい、武術を教えながら、ゲリラとともに圧倒的な武力を持つソ連軍を相手に戦った。

戦場で白い空手着姿で武道を教えている氏の姿は世界のジャーナリストの注目を集め、”アフガンのサムライ”と畏敬を込めて報道されている。

私は人生五十までと思ってました。あと五年で何ができるかって考えたんです。自分が言ってきた事、してきた事、稽古してきた事が間違いなかったかどうか。腹を切るのは何百回も稽古しておりますけど、いざ本当に死ぬと決意したとき死ねるかと……。弾が飛んでくるその弾に向かって走っていけるか。自分の存在確認と言いましょうか、それをしたかったのです。

プロレスラー前田日明との対談において

▼武道家・田中光四郎

幼少時より武道に親しみ、柔道・剣道に始まり、空手(和道流・極真会館)、中国武術形意拳等を学びそれら武道体験をベースとして、当て身・逆・投げ・絞め技などを総合した体術を編み出す。

1991年、初代不二流体術宗家である故・古賀不二人先生より二代目を譲られ、以後、実戦武術としての意気を失わない古武道としての不二流の普及発展に力を注ぎ、ミャンマーやタイ、ヨーロッパ各国へも指導に赴いている。

平成3年11月23日第二代宗家・田中光四郎に宗家を託し名誉顧問となる。平成9年11月23日永眠。
田中光四郎は平成19年5月15日第三代宗家・大嶋竜太郎に宗家を託し名誉顧問となる。
平成19年11月23日、宗家継承式典を福岡県護国神社にておこなう。
平成20年・第二代宗家・田中光四郎は新流派を立ち上げる。平成24年5月、除籍。

▼武道人生の集大成として日子流護身術を創始する!

数十年、休む事無く自らの武術を研鑽し、鍛錬の日々を続けて来た田中光四郎は、自らの武術に日子流と名付けた。故郷である福岡県田川市にある英彦山(ひこさん)にちなみ、日本古来の文化である日本魂(やまとだましい)と武道の、心と技を後世に伝え残すこと。その願いが込められた名称である。 武術の本質は護身である。最後まで自分の身を守り通すことは、敵を倒すことと同義である。そして、攻撃こそ最大の防御という言葉もまた真実である。

サムライが身に着ける最後の武器・小太刀!!その技はアフガンでの死線をくぐった経験と武道家としての集大成。

▼現在の田中光四郎

日本自由アフガニスタン協会専務理事、国際難民救済委員会事務局長、民族団体「大地社」常任顧問、不二流体術第二代宗家として現在も活躍中。

▼田中光四郎の著書やDVD

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