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山口県???って言われるけど、やまぐちは本当は凄いんよ~

意外と知られていない山口県。しかし、総理大臣が多く出ていたり、意外な有名人の出身地だったりします。そんな山口県の見どころ、おいしいグルメ、今はやりのご当地アイドルや方言などなど山口の魅力を紹介します。

更新日: 2018年05月19日

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SON777さん

総理大臣が8人もでている!

山口県からは、これまで、初代総理大臣の伊藤博文をはじめ全国最多の8人の総理大臣が出ています。また、総理大臣の通算の在任期間が全国最長の県です。

初代総理大臣です。憲法制定や内閣制度創設などを行いました。明治18年に44歳(最年少)で総理大臣となったのを最初に、通 算4度総理大臣に就任しました。 (光市出身)

大村益次郎おおむら ますじろう亡き後、近代軍隊の基礎確立に尽力しました。総理大臣には2度就任し、日清・日露戦争を乗り切りました。(萩市出身)

明治の終わりから大正の初めにかけて3度総理大臣に就任し、通算在任期間7年10か月の記録をもっています。 (萩市出身)

大正5年に総理大臣に就任、第一次世界大戦後の難局の処理に当たりました。 (山口市出身)

昭和2年に総理大臣に就任、普通選挙による最初の総選挙を実施しました。 (萩市出身

外交、内政に優れた手腕を発揮しました。昭和30年代に総理大臣になり、26か国を訪問し、積極的な首脳外交を展開しました。 (田布施町出身)

岸信介の弟で、初めての兄弟首相です。連続在任期間7年8か月の記録をもっています。日本で唯一のノーベル平和賞受賞者であり、沖縄返還の立役者です。 (田布施町出身)

出典ameblo.jp

岸元総理を祖父に、佐藤元総理を大伯父に持ち、平成18年に戦後最年少で、戦後生まれとしては初めての総理大臣に就任。若さあふれる行動力で「美しい国 日本」の創造に力を注ぎました。 (長門市出身)

観光名所も沢山

岩国城は、毛利氏から3万石を与えられた岩国藩初代藩主・吉川広家が1608年に築きましたが、幕府の一国一城令により、完成後わずか7年で取り壊されました。現在の岩国城は、1962年(昭和37年)に再建されたもので全国でもまれな桃山風南蛮なんばん造りの山城です。

国土地理院が定める正式名では屋代島(やしろじま)と称するが、周防国の大島であったことから単独で周防大島(または単に「大島」)と呼ばれることが多いほか、周防大島諸島に含まれる周辺の小島とあわせて呼ぶこともある。古くから瀬戸内海海上交通の要衝とされ、万葉集にもこの島を詠んだ歌がある。
最近はサイクリングコースとして人気。

柳井市は、古くから瀬戸内海交易の主要な港町として発展してきました。また、江戸時代には岩国藩のお納戸なんどと呼ばれ、商都としてたいへん賑にぎわっていました。今でも古市ふるいち・金屋かなや地区には往時をしのばせる貴重な街並みが残っています。東西約270mにわたって続く、白壁の美しい家並みは、妻入つまいり型式で本瓦葺ほんがわらぶき、入母屋いりもや型の屋根をもち、漆喰塗しっくいぬ りの大壁造の2階建商家が連なっています。

出典onpara.jp

学問の神様としてあがめられている菅原道真すがわらのみちざねをまつった神社で、京都の北野天満宮、福岡の太宰府だざいふ天満宮と共に日本三天神と呼ばれています。道真は九州へ向かう途中で防府に立ち寄り、すっかりこの地が気に入り自分が死んだら魂となって帰ってくると約束しました。九州で道真が亡くなった翌年(904年)に日本で最初の天満宮として創建されました。

境内けいだいは梅の名所として花見客で賑にぎわう他、牛替神事うしかえしんじ(2月)、御誕辰祭ごたんしんさい(8月)、花神子社参式はなみこしゃさんしき(10月)、御神幸祭ごじんこうさい(11月)など、一年中、お祭りで賑わっています。特に、11月の第四土曜日に行われる勇壮な御神幸祭は裸坊祭はだかぼうまつりともいわれ、西日本きっての荒祭りとして知られています。

大内氏前期全盛の頃、25代大内義弘よしひろは現在の香山こうざん公園に、香積寺こうしゃくじを建立しましたが、応永6年(1399年)の足利義満あしかがよしみつとの戦いで戦死しました。26代となった義弘の弟・盛見もりはる(もりみという説もある)は兄の菩提ぼだいをとむらうため、この寺に五重塔の建設を進めましたが、そのさなかに戦死しました。五重塔はその後も建設が進められ、嘉吉2年(1442年)頃完成しました。

その後毛利輝元もうりてるもとが萩に来たとき、香積寺を萩に移し、跡地に仁保にほから瑠璃光寺を移築しました。これが今日の姿です。  
  全国に現存する五重塔のうちで10番目に古く、美しさは日本三名塔の一番に数えられています。

この寺が常栄寺と改められたのは、幕末に毛利隆元たかもとの菩提寺ともなった時からです。  
  庭園は、今から500年前、妙喜寺の時代に、大内政弘まさひろが別 荘として、雪舟せっしゅうに作らせたものと伝えられ、現在国の史跡名勝に指定されています。

昭和54年8月に「貴婦人きふじん」の愛称で知られるC57型機が山口線に復活して以来、全国SLファンの夢を乗せ、現在まで新山口駅~津和野つわの駅間(約63km)を走りつづけています。
 この「SLやまぐち号」は、昔懐かしいレトロ客車(1号車から展望車風、欧風、昭和風、大正風、明治風の5つの客車)を連結し、毎年3月から11月までの土・日曜日、祝日を中心に1日1往復運行しています。運転日によっては、重連じゅうれん(機関車を二両連結して列車をひくこと)運行日もあり、沿線にはその姿をとらえようと多くのSLファンのカメラが並びます。

ときわ公園は江戸時代に完成した灌漑湖かんがいこである常盤ときわ湖を中心に広がる、緑と花と野外彫刻に彩られた総合レジャーランドです。広さ188haの広大な園内には桜3千本、菖蒲しょうぶ、菊などの花が四季折々の風情を醸かもし出しています。

秋吉台あきよしだいは、3億年、この一帯が海だったと言われる日本一広大なカルスト(石灰岩の)台地です。大部分が自然公園として国定公園に指定(1955年)され、その中の一部は特別 天然記念物に指定(1964年)されています。そのエリアは、山口県中央部のやや西寄り、東西17キロ、南北8キロに及びます。

秋芳洞は東洋一といわれている鍾乳洞しょうにゅうどうで、山口県を代表する、観光スポットの1つです。何億年という歳月をかけて形成された自然の造形物の大きさ、美しさは、ただただ驚かされるばかりです。総延長は約10キロメートルといわれていますが、観光用に公開されているのは約1.5キロほど。天井の高さは平均30メートルもあります。

萩は、1604年毛利輝元てるもとが指月しづき 山麓に萩城を築き、松本川と橋本川の2つの川にはさまれたデルタ地帯に城下町をつくって以来、1863年に山口に藩庁が移されるまでの260年間、防長二国 の藩都として栄えました。城跡、武家屋敷、土塀などが当時をしのばせ、夏みかんの白い花や、その甘酸っぱい香りが情調を高め、その町並みには今なお城下町の風情が色濃く残っています。

別名「海上アルプス」と呼ばれる青海島おおみじまは、長門市の海上に浮かぶ周囲40Kmの島です。北側は、16Kmにわたって日本海の荒波に浸食された断崖絶壁だんがいぜっぺきが続き、海上には数多くの洞門、石柱、岩礁 がんしょう などが雄大にそびえ立っています。 その姿は絶景で、北長門海岸国定公園の代表的存在となっています。

青海島観光は、観光遊覧船により90分で島内を一周するコースや、陸から海上アルプスを眺めながら自然研究遊歩道を散策するコースがあります。また、島内には、オートキャンプ場やくじら資料館などのほかに、鯛たいの養殖観覧施設や海上レストランがあり多くの観光客で賑にぎわっています。
 なお、長門市仙崎せんざき・青海島間には、本県初の海上架橋である青海大橋(全長260m)があり、車で行くことができます。

本州とは海士ヶ瀬戸で隔てられていたが、2000年に1780mの角島大橋が竣工。離島へ架けられた一般道路橋としては群を抜く長さである(沖縄県の古宇利大橋に次ぎ全国第2位)。

海峡ゆめタワーは、関門海峡を見守る位置に、世界と西日本を結ぶアジアの交流拠点として、1996年(平成8年)7月に建設された「海峡メッセ下関(山口県国際総合センター)」のシンボルタワーとして誕生したものです。地上153mの高さを誇り、関門海峡の新しいランドマークとなったこのタワーの頂上部(地上143m)にある展望室は、世界初の総ガラス張り球形の展望室で、360度の雄大なパノラマが広がり、眼下には関門海峡、巌流島、九州連山など美しい風景が広がっています。

関門海峡に浮かぶ小島で、正式には船ふな島といいます。1612年に、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した島として有名で、敗れた小次郎の号をとって、巌流島と呼ばれるようになりました。

「防長4湯」

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