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ノーベル賞辞退!?孤高の天才の名言集

ノーベル文学賞を辞退したサルトルの心に刺さる言葉

更新日: 2017年06月10日

yousuke521さん

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今年も大いに日本に感動を与えたノーベル賞

ノーベル賞が世界一を認められた名誉ある賞であることは多くが認める

しかし、これまでにノーベル賞を辞退した人も・・・

そこには様々な理由が

これまでにノーベル賞の受賞を辞退したのは、ジャン=ポール・サルトル(1964年文学賞辞退)、レ・ドゥク・ト(1973年平和賞辞退)、ゲルハルト・ドーマク(1939年医学・生理学賞辞退)の3人であるが、ドーマクは本人の意思ではなく、ナチスの圧力で強制的に辞退させられただけなので、戦後の1947年に賞を受け取っているため、最終的に受け取らなかったのは前者2名である。

ジャン・ポールサルトル

ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル(フランス語: Jean-Paul Charles Aymard Sartre, 1905年6月21日 - 1980年4月15日)は、フランスの哲学者、小説家、劇作家。内縁の妻はシモーヌ・ド・ボーヴォワール。強度の斜視があり、1973年に右目を失明。

実存主義、そして自由の哲学の父であるジャン=ポール・サルトルが、ノーベル文学賞を拒否したのが1964年10月22日

サルトルは、『La Nausée 嘔吐』などの作品ですでに知られていましたが、ちょうどこの年は自伝的作品である『Les Mots 言葉』を出版した年でもあります。

サルトルがノーベル賞を拒否したことにより、フランスの知識階級の間では、議論が巻き起こりました。賛成派反対派が意見を出し、反対派の中には「やつは燕尾服の着方を知らないから拒否したんだ」と揶揄した人もいます。

サルトル自身は、スウェーデンのノーベル財団に手紙を出し、次のようにのべています。

「わたしには、このノーベル賞を拒否する2つの理由があります。1つは、個人的な理由です。わたしがこの賞を拒否したのは思いつきではありません。わたしは公式に表彰されることは全て拒否してきました。例えば1945年、終戦直後にレジョン・ド・ヌール賞受賞できると言われたときも、拒否しています。その時、政府の中にはたくさんの政治家の友人もいました。また、わたしの友人たちが薦めてくれたコレージュ・ド・フランスに入ることも望みはしませんでした。わたしにとっては、ジャン・ポール・サルトルと署名することと、ノーベル賞受賞者ジャン・ポール・サルトルと署名することは、同じ意味ではないのです。

2つ目に、わたしの客観的な理由として、現在のカルチャーの戦線における可能な闘いというものは、二つのカルチャーの平和的共存、つまり東と西のカルチャーの共存ということであります。わたしは、東西が互いに抱き合うということを求めているわけではありません。しかし、この二つのカルチャーの衝突というものは、必ず闘いという形になるとは思いますが、それは人間同士のそしてカルチャー間の闘いであるべきであって、制度というものがそこに入るべきではないと思っています。したがって、わたしは文化機関が配布する賞というものを受賞することを望みません。」

フランス国内向けの説明には、以下のようなものがありました。

「わたしはノーベル文学賞を拒否しました。なぜならば、わたしは自分が死ぬ前に人が“サルトル”を神聖化することを望まないからです。いかなる芸術家も、いかなる作家も、そしていかなる人も、生きている間に神聖化されるだけの価値のある人はいません。なぜならば、人は全てを変えてしまうだけの自由と力をいつも持っているからです。

ですから、ノーベル文学賞というものがわたしを名誉の絶頂に押し上げてしまうとしたら、わたしは現在完成しているものを終わらせることができませんし、またわたしは自分の自由というものを行使することもできませんし、行為をおこすということもできなくなりますし、コミットメントをすることもできなくなります。このノーベル文学賞の後では、すべてがつまらぬものになってしまいます。なぜならば、すべてが回顧的な価値を認めるだけのものになってしまうからです。

想像してごらんなさい。栄誉を得て、そしてその後転落していく作家と、栄誉はないが常に今一歩前進していく作家と、この2つの作家のうち、どちらが本当に栄誉に値するのでしょうか。常に、今一歩前進して自分の可能性の頂点に向かっていく人と、頂点に到達することなく神聖視されてしまった人、どちらでしょうか。わたしは、この2つのうちの1つになることはできていたでしょう。しかし、わたしがどんな可能性があるかは誰もいうことはできなかったはずです。人というものは、その人がなしえたものがその人であるのです。わたしは、行為することができる間は、絶対にノーベル賞を受け取ることはないでしょう。」

サルトルが追い求めたもの

「目的はすべての手段を正当化する」という傾向になりがちな今の社会において、サルトルのような行為は青臭い滑稽にも見えるかもしれませんが、彼のように自分の原理原則に従って賢明に生きようとしている姿は、尊敬に値すると思います。

サルトルとボーヴォワール

シモーヌ・リュシ=エルネスティーヌ=マリ=ベルトラン・ド・ボーヴォワール(Simone Lucie-Ernestine-Marie-Bertrand de Beauvoir, 1908年1月9日 - 1986年4月14日)はフランスの作家、哲学者。サルトルの事実上の妻。サルトルの実存主義に加担するとともに、フェミニズムの立場から女性の解放を求めて闘った。サルトルと「契約結婚」を結ぶ。当初は2年の契約だったが、二人の関係はサルトルの死まで50年間続いた。

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yousuke521さん

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