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史上最悪の産業事故 ボパール化学工場 有毒ガス漏れ事故 70万人が被害

ボパール化学工場事故(ボパールかがくこうじょうじこ)は1984年に発生した世界最悪の化学工場事故である。

更新日: 2014年12月24日

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ボパール化学工場事故(ボパールかがくこうじょうじこ)は1984年に発生した世界最悪の化学工場事故である。

1984年10月18日~22日 製造装置の蒸留塔で高温の運転が行われた。そのため、留出のMIC中に含まれる製造時の溶媒のクロロホルムは規定をはるかに超えていた。
23日 製造装置は運転を停止した。規格外れの留出品が貯蔵タンクに入っていた。
12月2日 貯蔵タンクのベント系配管の洗浄作業が行われた。この時仕切り板を入れて水洗すべきを仕切り板を入れなかった。
この後に貯蔵タンクに水が混入したと思われる。
23:00 貯蔵タンクの圧力が上昇した。
23:30 MICガスの漏洩を感知した。
3日00:45 MICの流出量が増加し、タンク付近にMICガスが充満した。
02:30 プラントマネージャーが工場に到着し、警察に連絡した。
03:30 MICガスが工場外へ拡散を始めた。

1984年の12月の夜中に、インド、ボパールの化学工場から猛毒のMICが漏洩した。漏洩した毒性のMICガスは風に乗って市街地に拡がり、3,000人以上(最大14,410人)の死者と35万人もの被災者を出した。多くの人が長期間後遺症に苦しんだ。

インド中央部に近いボパールにある化学会社の貯蔵タンクから、夜中、農薬の中間原料である猛毒のイソシアン酸メチル(MIC)が漏洩した。漏洩したMICガスは折からの北西風に乗って、市内に拡散し、地上を覆った。深夜で予告もない毒性のMICガスの拡散に何らの対応を取れず、多くの市民が避難もできず、被害を受けた。

1984年12月2日 - 12月3日にかけての深夜、イソシアン酸メチルの入ったタンクの中に水が流入し、発熱反応が起きた。それによりタンク内の温度は200℃にまで上昇し、一気に圧力が上昇、約40tのイソシアン酸メチル (MIC) が流出し、有毒ガスが工場周辺の町に流れ出した。この有毒ガスは肺を冒す猛毒である。有毒ガスは北西の風に乗り、ボパールの都市へと流れていった。

工場の近隣市街がスラムという人口密集地域であったこと、また事件当夜の大気に逆転層が生じて有毒ガスは拡散せず滞留したため、夜明けまでに2000人以上が死亡、15万から30万人が被害を受けた。その後数箇月で新たに1500人以上が死亡するなど被害は拡大し続け、最終的にはさまざまな要因で1万5000人 - 2万5000人が死亡したとされる。

政府が主導する意思を持たなかったため、何トンもの毒性廃棄物が手付かずのまま放置されている工場の清浄化は行き詰まった。環境問題研究家たちは、この廃棄物は市の中心部の汚染源となる可能性があり、生じる汚染は何十年にも渡ってゆっくりと広がり、神経系、肝臓、腎臓に障害を与えるおそれがある、と警告している。調査により、事故以来がんなどへの罹患率が高まっていることが示されている。活動家たちはダウ社に汚染物質の除去を求め、インド政府に対し同社からより多くの資金を供与させる命令を出すように要求している。

作業上のミスにより、MIC貯蔵タンクに水が入り込み、MICと水との発熱反応を起こし、溶解した製造時の溶媒のクロロホルムが水の存在下で熱分解して塩素イオンを生成して、ステンレスタンクを腐食し鉄を溶出させ、その鉄の触媒作用でMICのトリマー化反応(発熱)を起こして、タンク内温度と圧力を上昇させた。その結果タンクの安全弁が作動して、毒性のMICガスがタンク外へ放散した。蒸留温度が高い運転で生産された規格外留出品中のクロロホルムが、水の存在下で熱により分解して塩化水素を発生させ、それがステンレスから鉄を溶出させる原因になったといわれている。

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