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moruzibu21さん

インターネットにいち早く注目していた元ソニー社長の出井伸之氏

出井 伸之(いでい のぶゆき)氏

1995年社長兼COOに就任後、会長兼グループCEOなど10年にわたり歴任、2005年から2007年まで最高顧問。

公職としては内閣に設置されたIT戦略会議にて議長を務め、日本銀行参与や日本経済団体連合会副会長としても活動した。

また、ゼネラルモーターズ、ネスレ等の社外取締役を歴任。

出井は社長就任前からインターネットの可能性に注目しており、それをAVIT機器とつなげる重要性を説き

「モノづくりからネットワーク」を掲げました。

出井氏について言うと、社長時代の最初の5年間の功績は素晴らしいと思います。「デジタル時代に対応する企業として出直そう」と明確なビジョンを打ち出したことで、社員に安心感を与えました。

「リ・ジェネレーション」(第二創業)「デジタル・ドリーム・キッズ」というスローガンを打ち出した。

ジャーナリストの立石泰則氏

「デジタル技術で夢を与え続ける企業」を打ち出し、映画や音楽、ゲーム部門の拡大に取り組み、イヌ型ロボット「AIBO」やパソコン「VAIO」など話題性のある商品を世に送り出した。

「アイボ」の開発を主導したソニー元上席常務の土井利忠氏は、出井氏は「アイボ」に猛反対したと発言。

出井氏は、それまでソニーが失敗続きだった鬼門のPC事業に改めて参入。新たにVAIOブランドを立ち上げ、その斬新なスタイルとソニーのお家芸である「世界初」「世界最小」を体現したプレミアムモデルとして世界市場を席巻した。

1997年度のビジネスウィーク誌が選ぶ「世界のトップビジネスマン」に選定された。

ソニーの財務的な負担になっていた、当時の米ソニー・ピクチャーズエンタテインメント(SPE)のトップ2人をクビにしたこと。これは出井さんの功績だよ。

当時、米SPEで彼らが放漫経営をしていて、ソニーの負債を増やす要因となっていた。

ソニー・ミュージックエンタテインメント社長やソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)会長などを歴任した丸山茂雄氏

米SPEの経営はその米国人2人に任せっきりで、盛田さんと大賀さんも2人を気に入っていたから、それまでは改善できなかった。

その2人を出井さんが切った。これは、出井さんが10年くらいソニーを経営して、みんなから評価された功績じゃないかな。

ソニー・ミュージックエンタテインメント社長やソニー・コンピュータエンタテインメント(現ソニー・インタラクティブエンタテインメント)会長などを歴任した丸山茂雄氏

しかし、規模拡大によりモノ作りがおとろえる結果に。

ソニーグループ金融各社の設立年


ソニー生命保険 1979年

ソニー損害保険 1998年

ソニー銀行 2001年

「企業として伸びるためには金融機関が絶対必要だ。これは資金調達のためだけではない。企業の信用やバランスを保つ大切な存在となる」という盛田の強い意思から発している。

「どうしてサムスングループにはサムスン電子のようなグロバール金融会社が育たないのか」――。李健熙会長は最近、こう繰り返し不満をあらわにしている。
JBpress・サムスングループ李健熙会長、就任から25年「すべてを変えろ」(2012.12.03付記事)より。

ソニーには本体のほかに金融部門がある。ソニーフィナンシャルホールディングス(ソニーFH)といい、ソニー本体が60%出資し、連結決算の対象だ。「ソニー生命保険」「ソニー銀行」「ソニー損保」の3社をそれぞれ出資100%で傘下に持つ。

いずれも業績は好調で、本体の赤字を補填、とまではいかないが、かなりカバーしているのが実態だ。

「ソフトバンクの孫正義社長の誘いに乗って衛星放送事業やIT事業に過度にはまり、エレクトロニクス事業の技術者を数百人単位でプロバイダー事業のSo-netに転籍させた。このことがソニーのエレクトロニクス事業の活力を失わせていく原点になった」

出井氏を、14人抜きの抜擢人事で社長に指名した大賀氏。

出井社長は、“モノ作り”からコンテンツ、さらには欧米流の事業部制を基礎とした複合企業へと舵を切った。

そうした体制づくりによって、ソニーは金融やコンテンツ事業などを手げける大企業への道を歩むことになる。

金融やコンテンツなどは、モノ作りとは同一線上の事業ではない。つまり、異なるカルチャーで運営されるべき分野だ。当然、異なった文化を持った人材に経営を委ねることになる。

1つの組織の中に様々な文化を持った人材が混在し、それを全体として上手くコントロールすることは、口で言うほど容易なことではない。

出井氏が敷いた国際企業としての拡大路線がメインとして踏襲され、モノ作りの重要性に対する認識は次第に希薄化していったようだ。それはこの時期、有能な技術者が何人もソニーを去った事実からも理解できる。

それは、ソニーという企業がモノ作り以外の分野から多くの収益を上げている状況を考えると、当然の帰結と言わざるを得ない。

2012年には、連結で2301億円の営業利益のうち、6割以上をしめる1458億円は金融部門が稼ぎ出
したものだ。残りの稼ぎ頭も、映画478億円、音楽372億円とコンテンツ系のビジネスからの利益が目立つ。

設立趣意書で「自由闊達として愉快なる理想工場の建設」と謳い、技術者の力に信頼を置いてきたソニー。

※画像はイメージです。

転換点は1995年4月、出井伸之氏が社長になったとき。過剰投資で悪化していた財務体質を改善するため、独立採算のカンパニー制を導入した。社内ではP/L(損益計算書)が幅を利かせた。

「自分が若手社員のころは、会社の利益より、顧客が求めていることは何か、を追求することが徹底されていた。その結果が、利益につながるんだと教えられていた。

技術者として長年ソニーに勤めた乗松伸幸氏

大賀さんが社長を退いてからは順番が逆になり、まずサムスン電子に勝つためにはとか、利益率を上げるためには、のような話が多くなった

技術者として長年ソニーに勤めた乗松伸幸氏

 ところがカンパニー制を採用した頃から、部門ごとに財務諸表をつくり、定量的に事業をリサーチする効率重視の経営へと移行した。

 ここで必要なのは、技術力ではなくビジネスモデルの巧みさであるが、中途半端にビジネスモデルに走りながらも、「技術のソニー」というこだわりも捨てられなかったので、本来の自社の強みを失ってしまった。

 経営と執行の分離と言えば聞こえはいいが、これは本来トップマネジメントが負うべき責任をミドルマネジメントに押し付けた形になった。リスクを怖がるミドルも冒険ができなくなったため、現場の製品力は低下していった。

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