1. まとめトップ

たかじん聞こえているか 「殉愛は疑惑のデパートや」 さくらと百田の二人羽織

たかじん最後の愛が書かれた「殉愛」を巡って騒動が起きている。小説内で書かれた「妻・さくら」と、リアルさくらが違い過ぎる。ネットで声をあげた「可愛い奥様」達の検証が始まり、いくつもの矛盾が暴かれた。謎が多過ぎて全容は把握されていない。

更新日: 2018年11月29日

25 お気に入り 1668738 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

yamatocafeさん

★関連まとめ

■下記の順でまとめています

♡「やしきたかじん」とは
♡ たかじん最後の「謎の2年間」を描いたノンフィクション小説「殉愛」が発刊された
♡ 各テレビ局も「殉愛」の宣伝番組を流し、視聴者の涙を誘った
① たかじんとの結婚は「重婚」??
② 過去の結婚は一度じゃなかった
③ さくらってどんな人?
④ 「殉愛」のノンフィクション度は??
⑤ 「殉愛」闘病~死亡~葬儀まで、時を追ってみる
⑥ 無償の愛と程遠い遺産相続騒動
⑦ 売られたケンカは買う!!百田尚樹特性
⑧ ターニングポイントで活躍する「たかじんメモ」の真偽は?
⑨ 追いつめられるさくらグループ

♡♡♡「やしきたかじん」とは

テレビ・ラジオ番組ではタブーを恐れない発言や、切れ味鋭いトークで関西のお茶の間を魅了した。歌手ながら86年に日本放送演芸大賞「ホープ賞」、93年には上方お笑い大賞「審査員特別賞」を受賞。
出演する番組の多くが高視聴率を記録したことから「関西の視聴率男」とまで呼ばれるようになっていった。

当初は歌手としてデビュー。「ゆめいらんかね」「あんた」「やっぱすきやねん」「東京」等が代表曲である。

ダミ声の毒舌トークと機転のきいた巧みな話術により、関西でテレビ司会者としても人気となった。
「たかじんのそこまで言って委員会」「たかじん胸いっぱい」「たかじんNOマネー」といった3本のレギュラー番組を持ち、いずれの番組も高視聴率を誇った。

安倍首相は今年3月3日に行われた「たかじんを忍ぶ会」の筆頭発起人をつとめるなど、生前からたかじんと親しい関係にあった。
安倍首相は『たかじんのそこまで言って委員会』に計10回も出演した。

野党に転落して失意の安倍を訪ね、地元山口県の俵山温泉で、男2人仲良く温泉につかりながら親しげに政治談義を繰り広げた。
この特番は明らかに当時、政治生命の危機にあった安倍の再生、イメージアップのために仕掛けたものだった。

『ゆめいらんかね やしきたかじん伝』(角岡伸彦/小学館)より

テレビ番組を通じて橋下徹大阪市長とも親交を深め、橋下氏の政界進出を後押ししたとされている。
大阪を活気づける民間団体「OSAKAあかるクラブ」キャプテンも務める。

たかじんさんといえば、“北新地の帝王”と呼ばれるほど、関西有数の歓楽街・北新地を愛する男として有名だった。
「番組収録が終われば“たかじんファミリー”みんなで飲みにいく。一晩で100万円以上使うのはザラ。それもハシゴで。

出典http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/221673/

たかじんは「在日」というルーツに強いコンプレックスをもっていた。その裏返しとして「日本人より日本人らしく」ありたい、と思っていたのではないか。

父が在日韓国人であった。

歌手でタレントのやしきたかじんさん(本名家鋪隆仁)が2014年1月3日に死去したことが7日、明らかになった。64歳だった。
2012年1月末に発覚した食道がんで、今春の復帰を目指し闘病していたが、そのまま帰らぬ人となってしまった。

出典http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/221673/

♡♡♡たかじん最後の「謎の2年間」を描いたノンフィクション小説「殉愛」が発刊された

愛を知らなかった男が、本当の愛を知る物語である。 (幻冬舎)

誰も知らなかった、やしきたかじん最後の741日。 2014年1月3日、ひとりの歌手が食道がんで亡くなった。 「関西の視聴率王」やしきたかじん。 ベールに包まれた2年間の闘病生活には、 その看病に人生のすべてを捧げた、かけがえのない女性がいた。 夜ごとに訪れる幻覚と、死の淵を彷徨った合併症の苦しみ。 奇跡の番組復帰の喜びと、直後に知らされた再発の絶望。 そして、今わの際で振り絞るように発した、最後の言葉とは――。 この物語は、愛を知らなかった男が、本当の愛を知る物語である。 『永遠の0』『海賊とよばれた男』の百田尚樹が、 故人の遺志を継いで記す、かつてない純愛ノンフィクション。
(幻冬舎)

この半年間、命を削る思いで執筆した。こんな本はもう二度と書けない!  (百田尚樹氏)

たかじんを偲ぶ会で家鋪未亡人に初めて出会った。
その一週間後、未亡人からのメールで会って話をしたい旨を受け、直接会った。
生前「たかじんが百田のファンであった」こと、「僕の本を出して貰うなら百田に助けてもらう」と言うメモを見せられ、看護記録等のメモを読込み、未亡人と話込み決意した。

関西では知らない人がいないと言われるくらいの超有名人である「やしきたかじんさん」と、その妻「さくらさん」の出会いから別れまでを綴ったドキュメンタリー

イタリア在住のさくらに、たかじんから犬好きが集まるFACEBOOKのサークルからメールが来たのが、この殉愛のきっかけだった

出典殉愛から

二人の出会いは2011年のクリスマスパーティだった。
イタリアから帰国中のさくらをたかじんが呼び、たかじんはさくらに一目ぼれした。

出典殉愛から

たかじんはさくらと出会った5日後にプロポーズした。

出典殉愛から

やしきたかじんが残した1000枚をはるかに超える膨大なメモや、妻の家鋪さくらさん(33)の交際中2年間1日も休まず記した看病日記や証言をもとに執筆したそうです。
また、友人や番組関係者に300時間を超える取材を行い、約半年間かけて書きあげた

★百田氏はさくら未亡人が住むたかじん宅で取材メモを開いた。えっ!

さくらは当時、イタリアでネイルサロンを経営していたが、たかじんの癌を知り、日本に残って看病することを決意する。

出典殉愛から

2人が過ごしたのは741日間。そのほとんどが闘病生活で、肉体関係も愛撫さえないまま同棲を始めて「極秘結婚」し、一度もSEXをしないまま死別。

毎晩さくらさんの足裏オイルマッサージで眠り、新婚初夜もただ抱き合ったまま眠ったという。

彼女は「献身的」な看病を続け、ひとりでみとった。
「アイラブユー」が最期の言葉となったという。

1 2 3 4 5 ... 17 18