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不老不死は時間の問題!?実現したらどうなるのか?

不老不死になれる研究は進んでいます。不老不死になったらどうなるのか検証した物語を紹介。

更新日: 2018年08月11日

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この記事は私がまとめました

meigen100さん

漫画「ドラゴンボール」では不老不死を叶えようとしていました。

サイヤ人の生き残りたちの会話を傍受し、銀河系で伝説とされていたナメック星のドラゴンボールが実在することを知ったフリーザは、不老不死の肉体を手に入れるべく数十人の部下を率いてナメック星に向かい、多くのナメック星人を虐殺してドラゴンボールを強奪していく。

本当に、実現しようとしている人たちがいます。

実は長生きどころか、不老不死を実現しかねない若返りの薬が開発中なのです。ハーバード大学のデビッド・シンクレア教授はマウスにある物質を投与することで細胞の活性化に成功しました。この効果を人間に当てはめると、60歳から20歳に若返ったのと同等だということです。この技術が実現すると、これまで正常とされてきた世代交代が成り立たなくなります。貧富の差が拡大することもあるでしょう。夢があるという半面、手放しで歓迎というわけにはいきません。

若返える薬が開発されている

ロシアの研究家ドミトリー・イスコフ氏(31)は、不老不死の研究をスタート。予定では、2045年までに人類から「死」という概念が一切消えることになり、いわゆる不老不死の状態を得る。さて、その方法であるが突拍子も無いもので、SFの世界の話のようなものだ、平たく言えば人間の『脳』をバックアップ、そして機械に転送するということだ。

具体的なスケジュールでは、2025年にロボットに人間の脳を転送することが可能に。 2035年にはアバターによる脳が作成、人格が注入。 2045年にはついに人類から死がなくなるということだ。つまり今から30年後には『死』という概念が消える。

人間の『脳』をバックアップして、ロボットに継承する

「歳をとるにつれて体に蓄積されていくダメージを、薬や治療で修復すれば、人は老化せず、病気も食い止められる。老化や病気の原因は、突き詰めれば、細胞の細かい損傷です。つまり、傷ついた細胞を修復し続けることができれば、人は永遠に生き続けられるのです。そのために必要な薬と技術は、今後20年ほどで完成する可能性が高い」

細胞を修復させる。

不老不死の薬が出来たら、介護や高齢出産が解決できることも・・・

「女性の高齢出産が増えていますが、不老の薬が実現すれば、70歳、80歳になっても出産できる。女性は生きている限り子どもが持てるようになるでしょう。外見も若いまま維持でき、しわやしみもできない。子どもたちに介護を頼む必要もなくなります」(同前)

しかし、良いことばかりではありません。

「ひとりだけ不死というのは、地獄の責め苦に類する経験でしょう。家族も友人も恋人もみんな死んで、たった一人で取り残される。自分の過去の経験を共有した人間が一人もいなくなるんです。かつてどんな冒険をしたのか、どんな激しい恋をしたのか、どんな栄光に浴したのか、どんな卑劣なことをしたのか。何を語っても、いずれ、誰も頷いてくれず、誰も思い出の共同署名人になってくれないときが来る。

そのとき、『私はほんとうに存在したのか?』という自問に、自分自身さえ答えられなくなるでしょう。自分が誰であるかを誰も知らず、本人もわからないまま不死であることを願う人がいるでしょうか」

実際に不老不死になったらどうなるのか検証した物語もあります。

私は浪人中だ。

大学受験に失敗して、何となく予備校に通いながら勉強をしている。

彼女もいないし、趣味もないので、

予備校時間の以外は自宅で過ごすことが多い。


いざ自宅で勉強しようとすると、

つい漫画を読んでしまい、あっという間に時間が過ぎていく。


ダメだと思いつつも、夢のような世界に浸れるのでやめられない。

漫画では「願いごとを何でも3つ叶えてくれる」なんて話もあるが、

本当に叶えてくれるなら叶えて欲しい。


「じゃあ、叶えようか?」


突然、部屋の中から声が聞こえてきた。

あたりを見渡すと誰もいない。


「ここだよ。ここ」


部屋の天井を見上げると、野球ボール1つ分ぐらいの大きさなのに、

タンクトップと短パン姿のマッチョなおじさんが浮いていた。

明らかに怪しかった。

「誰ですか?」

「かみさまだよ。か・み・さ・ま」

「本当に?うさんくさい」

「よくみなさい。わっかがついているだろ」

「あまりにもベタ過ぎじゃ・・・」

「信用しないんならいいよ。帰るから」

「いや、ちょと待って。もう少し話そうよ」

「そうか。少しだけいようかな。お前のために来たんだし」

「そうなの?」

「だって、お前は悩んでいるだろう?」

「悩んでいるというか悩んでいないというか・・・」

「どっちなんだ?もう帰るぞ」

「いや、悩んでいます。悩んでいます。むちゃくちゃ悩んでいます」

「そうなのか?」

「本当です。何もかもうまくいなくて・・・」

「それは大変だな。だからやってきたんだけど」

「ありがとうございます。ちなみに本当に叶えてくれるんですか?」

「本当だよ。何でも叶えられるよ、ボクなら」

「本当ですか?じゃあ、ボクの望みを叶えてくださいよ」

「どうしようかな~さっき疑われたし・・・」

「そこをなんとか」

「3つだけ叶えてあげよう」

「そんなにいいんですか?ありがとうございます!」

「じゃあ、1つめは何だ?」

お願いしておきながら自分の願いをすぐに言えなかった。

やりたいことがないからだ。

これまで私は何も目標もなく生きてきた。


そして、充実しているまわりの人を羨むだけで、

何もしようともしなかった。

そんな自分が情けないと思いつつも、

今まで読んだ漫画を思い出しながら、

神様に願いを伝えることにした。


「不老不死になりたいです」

「なんか子供みたいな願いだな。その他はないのか?」

「すみません!今は思いつきません。残り2つは後でも良いでしょうか」

「わかった!そうしよう。では、まず1つ目の願いを叶えよう」

神様は目を閉じて念じているようだった。

「はい、終わり。お前の願いを叶えた」

「えっ!もう叶ったのですか?」

「そうだよ」

「でも、全然わからないのですが・・・」

「ともかく、忙しいので帰るから」

「えっ。そんな」

神様はいなくなってしまった。

正直、ボクは信じられなかった。

いつもどおりの生活に戻り、受験勉強をしていた。


いつしか大学へ合格することに夢中となり、

神様への願い事を忘れていた。

勉強の末、何とか第3志望の大学に入れることに。


浪人しても第一志望の学校に入れない。

自分の人生を象徴しているようだった。

神様のへ願いが叶ったと思ったのは30歳になった時だった。


大学では文学部で英語を専攻し、卒業後、

社員数500人程度の中堅の専門商社に就職した。


海外出張に行ったときのこと。

出張先のアフリカで恐ろしい感染症が流行していた。

致死率は88%。


現地で一緒に働いていた同僚が感染して亡くなっていた。

私も病院で検査を受け、感染はしていたが、幸いにも助かった。

運が良いとしかいいようがない。

その頃、よくまわりに言われていたことがあった。


「おまえ、若いな」


そのように指摘する同級生達は私よりも老けていた。

白髪が増えていたり、髪が薄くて頭皮が見える人もいた。

年齢を重ねると、見た目にその人の生き様が出てくる。


「もしかすると・・・」


自分の部屋でビールを片手にテレビを見ながら、

不老不死について考えていると、突然、神様が私の目の前に現れた。


「久しぶりだな。お前、信じていなかっただろう」

「えっ」

「本当にお前は不老不死になったんだよ」

「信じられませんが・・・」

「たいていお前と同じような願いをするやつがいるが信じない」

「私と同じ人がいたのですね」

「考えることはみんな一緒だ。そういえば、あと2つの願いはどうする?」

本当に願いが叶うと思っていなかったので、

真剣に考えようと思い始めていた。


「すみません!もう少しだけ待ってくれませんか?」

「わかった。何かあったら呼んでくれ」

「呼ぶっていってもどうすればいいのですか」

「必要な時に来るから心配するな」

「わかりました」


あっという間に神様はいなくなった。

ずっと生きられることがわかると、

少しだけ心の余裕が生まれたような気がした。


いつも仕事をしていると「忙しい」というのが口癖だった。


しかし、今の私には時間がたくさんある。

もう時間を気にしなくてもいい。

「時は金なり」ということわざもあるが、

一番大切なのは「お金」だ。


もっとお金を稼ごうと思った。

凡人の私がまわりの人より稼ぐためには努力するしかない。

1日20時間ぐらい働くことにした。


正月以外は1日も休まなかった。

すると少しずつ仕事のコツがわかり、

目に見える形で結果が出てきた。

65歳になる頃。

ほとんど同期は定年退職をしていたが、

私は社長になっていた。


その頃、あまりにも見た目が若いので、

不思議に思う人も出てきた。

しかし、昔に美魔女ブームもあったことから、

それほど問題にはならなかった。

むしろ「どうしたら若くいられるのですか?」と聞かれたくらいだ。


会社の同期は定年退職後、

病気を患い、どんどん亡くなっていった。

働きすぎて体を壊したときにも感じたが、

「何をするにしても健康が一番大切だ」と思った。


たとえ若くても、死ぬことはなくても、病気にはなる。


ずっと社長を続けた。

しかし、100歳になっても会社にいると嫌がる役員も出てくる。

たたでさえポストが少ないのに、私がいると出世できない。


そこで100歳を機に会社を辞めることにした。

約80年間、同じ仕事を続けることにより

「継続は力になること」を学んだ。

石の上にも3年と言うが、3年よりも5年、

5年よりも10年続けたほうが自分のタメになる。


仕事を80年続けることで、ようやく天職だと思った。


結局、今取り組んでいる仕事が天職かどうかなんて、

あとから振り返ってみないとわからない。

まずは目の前の仕事に一生懸命取り組むこと。


誰にでもできるような仕事であっても、

真剣に取り組み、経験を積み重ねることで大きな違いが生まれる。


退社後、転職しようと考えたが、求人は65歳までばかり。

仕方がないので、とりあえず仕事を休むことにした。

仕事ばかりしていて運動不足だったので、

スポーツに挑戦することに。

テレビで活躍している日本のプロテニス選手を知り、

テニスを始めた。

仕事を通じて学んだことだが、

まず、優秀な人を真似て、学ぶことが大切。

専属のコーチを雇い、毎日テニスの練習をした。

すると、年齢別のテニス大会で勝てるようになった。


それだけでは満足できなかった。

テニスの四大国際大会の一つである、

ウィンブルドン選手権で優勝することを目指した。

まわりの誰もが「無謀だ」「お前にはできない」と言った。

私は聞く耳を持たなかった。

そのような人は自分ができないから、諦めて欲しいのだと思った。


自分の人生は自分で決めるもの。


本格的にテニスを学ぶためにアメリカへテニス留学をすることに。

全寮制のテニススクールに通い、一流のコーチ陣に鍛えてもらった。

それから20年後。


ついにウィンブルドン選手権で優勝することに。

優勝するまでとても長かった。

初めて挑戦したときには1回戦負けだった。

次の年は2回戦まで。


何度も何度もくじけそうになった。

それでも諦めなかった。


会社の経営を通じ、

成功するまで挑戦し続ければ良いことを知っていたからだ。

試合に負ける度にバスケットボールの神様

「マイケルジョーダン」の言葉を思い出した。


「9000回以上シュートを外し、

300試合に敗れ、

決勝シュートを任されて26回も外した。

人生で何度も何度も失敗してきた。

だから私は成功した」


このとき、私は120歳だった。

120歳になると「大還暦」というらしい。

ギネスの世界記録保持者は122歳らしいが、

3年後、記録を塗り替えることになった。

肉体的な限界はないものの、

他にもやりたいことがあるため、

あっさりとテニスは引退した。


しかし、時が経つにつれ、

どうしても優勝した時の達成感や感動が忘れられなかった。


同じスポーツで同じ感動を得るのは難しいと考え、

水泳にも挑戦した。

また、テニスと同じように

その道のプロから学びながら練習する。


テニスで体を鍛えていたので、

水泳をマスターするのに時間がかからなかった。


どんな経験も無駄になることはなく、

一生懸命努力した経験は他の分野でも役立つことが多い。


10年もすると、世界選手権で

バラフライ、自由形、平泳ぎの3種目で優勝。

夏のオリンピックでは同じ3種目で金メダル。


それから新しいスポーツに挑戦することが楽しくなり、

陸上、柔道、フェンシングなど挑戦して金メダルを獲得した。

金メダルを獲得した数はギネス記録にもなった。

でも、どうしても陸上の短距離走は勝てなかった。


100メートルを10秒きることはできないし、

ジャマイカの選手にはどうしても勝てなかった。

肉体的な限界があるのかもしれない。


努力できることが才能だと思っていたが、

このとき「努力の限界」を知った。

しかし、1つ言える事は、努力しなければチャンスはつかめない。

あとは自分の活躍できる場所を見極めることが大切だ。


色々なスポーツにチャレンジをしているうちに、

すでに私は200歳となっていた。

あらゆるスポーツを通じて、極めるコツをつかんだ気がした。


「1万時間以上練習すること」


これぐらい練習すれば世界でも戦えるようになる。

天才について研究した学者も同じようなことを言っていた。

スポーツにかぎったことではないのかもしれない。

私は「もっと有名になりたい」と思った。

もうお金には興味がなかった。

スポーツで稼いだ優勝賞金やスポンサー契約により、

お金を使い切れないほど稼いでいた。


とても安易だが、カラオケが好きだったので、

歌手を目指すことにした。

目標は紅白出場。


自分では作詞・作曲ができないため、

有名プロデューサーに依頼することに。

自分のできないことは人に任せたほうが良い。


自分の人生をテーマとした曲がよいと思い、曲名は「ありのままに」


これまでスポーツで培った人脈を活用して、

積極的に自分からメディアに登場してCDを売り込むことにした。


もともと私は歌が好きなだけで、それほど歌唱力はない。

そのため、面白半分にCDを購入してくれた人はいたが、

なかなかヒットはしなかった。

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