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核爆発以外で多大な犠牲が出た爆発事故5選

砲撃、爆撃でも核爆発でもない爆発事故で多大な犠牲が出た物を年代順にまとめています。

更新日: 2014年12月31日

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ishistoneさん

ペンテコステの大爆発(1578年・ハンガリー)

ブダ城の倉庫に落雷、保管していた粉類が粉塵爆発し、おおよそ2,000人が死亡。

死者は約2000人。ブダ城とはハンガリーの首都ブダペストに現在も残る城の事です。

出典dlift.jp

現在のブダ城周辺

13世紀のハンガリー王ベーラ4世の命により、モンゴル軍に対抗するために防衛しやすいこの丘に砦を築いたのがはじまりです。

築かれた当初のブダ城は木造で、モンゴル軍に破壊されたのだとか。

15世紀後半には、マーチャーシュ1世の命でルネサンス様式に改築。しかし1578年に爆発事故の為、消失してしまったのです。この時の王宮の部屋数はなんと203室あったといわれ、王国の権威を知る事が出来ます。

現在残るブダ城は爆発後新たに築かれたものだそうです。

ブレシアの聖ナザロ教会爆発事故(1769年・イタリア)

イタリアのヴェネツィア近郊の都市ブレシアにある聖ナザロ教会に落雷、通廊に保管されていた80トンの火薬に引火して爆発、都市の1/6が破壊され、3,000人の死者を出す大事故となった。この事故がきっかけでローマカトリック教会は各教会の尖塔に避雷針を立てることを許可することとなる。

死者は約3000人。なぜ教会に多量の火薬があったのかは下で説明しています。

神の加護があるので教会に火薬を置けば安全だと思っていたら、教会の尖塔に雷が落ちて爆発した

当時の聖職者達は神の加護があれば、神の怒りである雷などの災厄は回避できる筈で、回避できないのは敬虔さが足りないからだと主張し、雷が鳴り始めたら塔の鐘を鳴らすのが最善の方法であると考えていました(なお、当時のヨーロッパで背の高い建築物といったら大抵が教会のピナクルだった為、最も雷が落ちやすく、鐘係が落雷で命を落とすという事例が多く見られた)。

この事故に限らず、教会での落雷は当時少なからず存在したようです。しかしこの事故で避雷針を許可したというのは、それだけ被害が甚大だったということでしょう。

ロドス島騎士の宮殿爆発事故(1856年・ギリシャ)

ギリシャのロドス島において騎士団長の居城とされた宮殿に落雷、地下火薬庫が爆発し4,000人が死亡した。

死者は約4000人。当時ロドス島(ロードス島)はオスマン帝国領だったそうです。

もとはビザンティン帝国領下にあった7世紀に、都市の軍事拠点として建造されたものである。建物はその後改修を受け、1309年以降は聖ヨハネ騎士団の団長の邸宅と、騎士団領の行政府を兼ねることになった。1522年にオスマン帝国が島を占拠した後は、監獄に転用された。しかし、1856年に火薬庫の爆発事故で崩壊してしまい、現存しているのは1937年にイタリア人によって再建されたものである。

騎士の宮殿の由来はロドス騎士団(現聖ヨハネ騎士団)の騎士団長の居城であったためだそうです。しかしその歴史ある建物も爆発事故で吹き飛び、現存する建物は後に再建された物です。

ハリファックス大爆発(1917年・カナダ)

カナダのハリファックス港で船同士が衝突。そのうち1隻はピクリン酸を主とする2,600tの爆発物を積んでいた。衝突の際に火災が起き、爆薬を積んだまま火のついた船は埠頭へと流れ着いてそこで爆発した。1,600名が死亡し、ハリファックス中心街の大部分が壊滅した。

死者約1600人。世界最大級の爆発事故だそうです。ハリファックスを急いで出た、ノルウェー船籍の貨物船イモと急いで入港しようとしたフランス船籍のモンブランの衝突が原因です。イモはハリファックスで積み荷を下ろしたのか空船で、爆発した積み荷はモンブランの物だそうです。

爆発後の様子。当時のハリファックス市の人口は約50000人で死傷者は11000人。1/5以上が死傷した模様です。

①爆発の原因はハリファックス港内での2隻の貨物船の衝突であった。
②衝突の原因は、パイロットの警告を無視した船長が独断で、タグボートの追い越しを指示したためであった。
③船長は集結に遅れたあせりと、軍の輸送船はいかなるところでも最優先に航行できるものと思い込んでいたと考えられる。
④モンブラン号の乗組員ばかりか船長までも、救命艇で脱出して無人船となってしまった。

モンブランの船員、船長は爆発の危険を市民に伝えず逃げた模様です。その結果、イモや消火しようとした巡洋艦ハイフライヤーの乗組員、消防隊、救助隊、見物人らが間近で爆発を受ける事となりました。

その夜寒波が襲来し大雪が降って、破壊された家の下敷きになった人々が凍死した。爆発の後、18メートルの高さの津波が襲った。その後数日間に更におよそ四百人が死亡した。

被害をもたらしたのは爆発だけではなかったようです。市民を助ける消防隊、救助隊も爆発で壊滅し近隣の町から救助からの救助を待つことになりました。

戦艦陸奥爆沈事件(1944年・日本)

戦艦陸奥爆沈は戦時中の事ですが、爆撃、砲撃によるものでは無いためこのまとめに加えています。

広島湾沖柱島泊地で、戦艦陸奥の錨地変更のための作業を行おうとしていたところ、突然に煙を噴きあげて爆発を起こし、一瞬にして沈没した。陸奥の乗員1,121名が死亡した。

死者1121人。帝国海軍を代表する軍艦の1つであった戦艦陸奥。その爆発原因は未だ謎とされています。

爆発の原因として

1.三式弾の自然発火
2.スパイによる破壊工作
3.乗員の放火・自殺
4.爆雷の爆発

などが取り上げられた。

爆発原因については諸説あるもののいまだ解明に至っていません。

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