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名言「カレーは飲み物」デブキャラの先駆け!ウガンダ・トラの魅力

別名「動けるデブのカリスマ」。彼なしでデブタレントというジャンルは芸能界では確立できなかっただろう。

更新日: 2017年11月01日

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●外国人なの?

れっきとした日本人です。

本名、佐藤 信一郎(さとう しんいちろう)。
1952年6月6日 - 2008年5月31日。
『ビジーフォー』元メンバー。
身長175cm、体重120kg。
東京都港区六本木出身。

中学高校を通してバスケ部員。
当時人気絶頂の西城秀樹、田原俊彦を抑えて連覇するなどスポーツ万能ぶりを発揮。
余りのスポーツ万能ぶりにテレビ関係者には逆に煙たがられた。

●芸名の由来

イディ・アミン・ダダ・オウメIdi Amin Dada Oumee。
1925年- 2003年8月16日はウガンダの軍人、大統領。元帥、法学博士[2]の肩書も持つ。身長193cmの巨漢で、東アフリカのボクシングヘビー級チャンピオンや1975年にはアフリカ統一機構議長になったこともある。

芸名は、容姿が似ていたウガンダのイディ・アミン元大統領に由来するが、それ以外にウガンダ共和国との接点はない。

●タレント活動までの主な経緯

若い頃のグッチ裕三さん、モト冬樹さん。
ビジーフォーと言えば二人だと思ってました。

浜口庫之助が経営する地元のゴーゴークラブで、高校在学中からダンサーとして働く。卒業後は、父もサポートメンバーを務めた事がある和田弘とマヒナスターズ(ハワイアンムード歌謡に留まらず、当時はカンツォーネやシャンソン等もレパートリーにあった)の、ボーヤ兼ドラマーとして下積み修行。

1971年、R&B仲間の高田裕三・宮本典子らと、日本のソウル・ファンクの草分け『スリーチアーズ・アンド・コングラッツレイションズ』に加わり、米軍キャンプや都内一流ディスコの生バンドとして腕を磨いた。

●タレントとしての活動

『グッドモーニング』では『てん・ぱい・ぽん・ちん体操』の模範演技を披露し、マイケル・ジャクソンのムーンウォークや『スリラー』のゾンビダンスも完全コピーして見せる。

1983年末「同じような曲ばかり演奏させられる生活に飽きた」との理由で、リーダー島田と共にビジーフォーを脱退。音楽活動を休止してピン芸人になり、『グッドモーニング』 (テレビ朝日系)、『鬼龍院花子の生涯』、『スーパーポリス』(TBS系)、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)などに出演。

●私生活では

元祖でぶやにもでてましたね。

『居酒屋ウガンダの店』(後に『焼き鳥うがちゃん』)を営み、厨房・接客にも励んでいた。
一般客として来店した女性と意気投合し、15歳差を押して1994年に結婚。
その後、ウガンダの妻の妹が、ラッシャー板前と結婚。義理の兄となる。 同時期『ウガンダ・トラ』に改名した。

●突然の死

元ビジーフォーのメンバーで、元祖デブキャラタレントとして親しまれたウガンダ・トラさん(本名=佐藤信一郎)が2008年5月31日午前5時30分、東京都内の病院で亡くなった。享年55歳。

Vシネマのロケ先に向かう同年5月10日の朝、「足元がふらつく」と訴えて緊急入院し、復帰叶わず5月31日に死去、55歳没。
死期を悟っていたのか一方的に離婚して店も畳んだ。
デブキャラの後輩である石塚英彦(ホンジャマカ)は、突然の悲報に泣き崩れていた。

戒名は『念誉太芸居士』(ねんよたいげいこじ)。

●カレー忌

命日は芸能人仲間の間で「カレー忌」と名づけられており、毎年ウガンダ本人と親交のあった芸能人が集まりカレーやコーラを飲食しながら故人を偲ぶことが恒例となっている。

●伝説の名言

カレーライスは飲み物

幼少時代から噛んだことがない。若い頃は3秒で飲み干すこともざらだった。『オレたちひょうきん族』の『ひょうきんベストテン』で、バックのセットの一部としてカレーライスを食べる配役をしていたところ、余りに食べるスピードが早く、思わずインタビューされてしまった時の一言から来ている。

カレーは別腹

『ラジかるッ』の『彦摩呂のまんぷく道場』にて発した。

オカワリって言ったら、下品かなぁ

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