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佐藤健がドラマで演じる秋山徳蔵とは?「天皇の料理番」と呼ばれた理由

佐藤健がドラマで演じる秋山篤蔵のモデル、秋山徳蔵の生涯と「天皇の料理番」と言われた理由。「仏蘭西料理全書」とドラマの舞台になるゆかりの地「築地精養軒」「東洋軒」を紹介。

更新日: 2015年06月28日

goemonsanさん

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ドラマ「天皇の料理番」で佐藤健が秋山徳蔵を演じる

原作 - 杉森久英『天皇の料理番』
脚本 - 森下佳子
演出 - 平川雄一朗、岡本伸吾

キャスト
秋山 篤蔵 - 佐藤健
高浜 俊子 - 黒木華
宇佐美 鎌市 - 小林薫
松井 新太郎 - 桐谷健太
山上 辰吉 - 柄本佑
秋山 周太郎 - 鈴木亮平
田辺 祐吉 - 伊藤英明
桐塚 尚吾 - 武田鉄矢
茅野 - 芦名星
森田 梅 - 高岡早紀

俳優佐藤健(25)がTBSテレビ60周年特別企画の連続ドラマで、料理人役に初挑戦する。来年4月スタートの日曜劇場「天皇の料理番」で、大正~昭和期に宮内省(宮内庁)の大膳課主廚長(しゅちゅうちょう)を務めた秋山徳蔵氏がモデル。

「天皇の料理番」の"料理"は、政治や外交に深く関わるもので、その内容が交渉を左右し、国の姿勢や国力を示すものともなるが、篤蔵の真心が込められた料理は、日本という国のステイタスを高めていく。

秋山徳蔵さんモデルの天皇の料理番(ドラマ)楽しみ

◇天皇の料理番を呼ばれた秋山徳蔵とは?

生年明治21(1888)年8月30日
没年昭和49(1974)年7月14日
出生地福井県

明治二十一年(一八八八年)福井県生まれ。幼いころ、禅寺に修行に出された。若い頃から料理を志して、修業につぐ修業を重ねた。

1904(明治37)年、秋山16歳の時、宿望がかなって故郷・福井県武生から上京、東京・日比谷の華族会館(元鹿鳴館)で3年間修行することになる。

華族会館(元鹿鳴館)で3年の修行後に築地精養軒

築地精養軒での修行後、東京倶楽部を経て、当時精養軒と並んで東京で五指に入るとされた洋食店の名店「東洋軒」三田本店で、三代目料理長・小笠原平左衛門氏の後任として、四代目料理長に就任する。

「東洋軒」三田本店で、秋山徳蔵は四代目料理長を務める

21歳で渡欧、腕を磨く

オテル・リッツは1898年、スイスのホテル経営者セザール・リッツと料理人のオーギュスト・エスコフィエの協力のもと設立された。

レストランは、影響力のあるミシュラン・ガイド2009年番で、2つ星を獲得している。

秋山さんは、まだ日本人がヨーロッパへの渡航も難しいころ、パリのホテルの調理場で「東洋人」、すなわち肌の色の違う人種として周囲の目にさらされ、「バカ」にされながら「料理」の修行を続けていた

26歳で帰国、宮内庁の責任者に

そして大正三年、ようやく宮内庁に洋食部が設けられることになり、その総責任者としてフランスにいる秋山の名が挙がり、秋山はその要請を受け、帰国すると初代宮内庁大膳職主厨長に就任した。

初代料理長となる秋山徳蔵。この時から「天皇の料理番」に

晩餐会まで残された時間は1年、宮中の料理人は和食が専門の者ばかり、秋山の仕事は西洋料理の基本を教える事から始まりました。

大正天皇,昭和天皇の食事をはじめ宮中の料理を統括した。

56歳で終戦、GHQに料理を振るう

昭和20年、終戦。秋山は料理で昭和天皇と皇族を守ろうと、GHQの幹部を花見や鴨撃ちに招待、腕をふるいます。後年、老境に達した天皇が和食を好むようになると、フレンチ一筋だった秋山も新たに天ぷらや寿司の修行を開始。

秋山徳蔵は昭和天皇を守ろうとする

 日本を代表する大コック長だが、気軽に魚河岸にも出向く気取りのなさは、「料理ひとすじ」などの随筆集にもよくうかがえる

1972年(昭和47年)、84歳で現役を引退[16]。1973年(昭和48年)に勲三等瑞宝章を受章[17]。翌年没した。

□仏蘭西(ふらんす)料理全書

1923年には、現在でも西洋料理を学ぶ人のバイブルとされている「仏蘭西(ふらんす)料理全書」を刊行するなど、近代日本の西洋料理発展の礎を築いた。

□ゆかりの洋食店

秋山徳蔵の修行の地・築地「精養軒」

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