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天才の鳥類画家・小林重三。芸術と学術の融合の世界!

鳥類画家という言葉をご存知でしょうか?戦前戦後にかけ、繊細で美しく、かつ学術的にもすぐれた鳥の絵を描き続けた天才の鳥類画家・小林重三(こばやししげかず)という人物がいます。彼が手がけた瑞々しく緻密な鳥類画とその功績をご紹介します。

更新日: 2015年01月27日

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mao705さん

公園などでよく見るドバト。
その水彩スケッチのなんとみずみずしく美しいことでしょう。

ビデオ撮影やカラー写真撮影がまだ難しい時代に、生き生きと鳥たちを描きつつけた画家がいます。

芸術性と学術性が融合した奇跡の鳥類画家、小林重三(こばやし・しげかず)を紹介します。

『第一次満蒙学術調査研究団報告 熱河省産鳥類』より
水彩、紙 1934年

小林重三(こばやししげかず)(1887-1975)は大正から昭和の戦前・戦後にかけ、専門書をはじめ教科書、図鑑、カレンダー、一般書などに様々な動物や鳥の絵を描いた、日本の博物画におけるパイオニアの一人

鳥の表現はとても難しく、小林はなかなか思うように描けずにいましたが、やがて対象の特徴やふわりとした羽などを巧みにとらえ、まるで生命が吹き込まれたかのように生きいきとした鳥を描き、非凡な才能を開花させていきました。

小林重三(しげかず)の生まれと名前について

1887(明治20)年 3月3日、福岡県企救郡(いまの福岡県北九州市)で小林三敬(こばやしさんけい)と志津(しづ)の次男として生まれる。父は陸軍省の二等軍医。小林家は尾張藩の氏族で、代々藩の意思をつとめた。重三(しげかず)の名は父の名前から一字もらったのと、3月3日生まれであったことによる。

出典『博物画の鬼才 小林重三の世界 -鳥学と歩んだ画家-』 町田市立博物館図録 P101 年譜 (国松俊英)より

各地の博物館等で展覧会も行われている。

以下、町田市立博物館の展覧会のチラシに掲載されている鳥類画。

『日本鳥類大図鑑』より
水彩、紙 1938年~41年ころ (国立科学博物館)

『日本鳥類大図鑑』より
水彩、紙 1938年~41年ころ (国立科学博物館)

『第一次満蒙学術調査研究団報告 熱河省産鳥類』より
水彩、紙 1934年 (国立科学博物館)

『第一次満蒙学術調査研究団報告 熱河省産鳥類』より
水彩、紙 1934年 (国立科学博物館)

水彩のスケッチも数多く残されている。

町田市立博物館へ鳥類画家の小林重三の展覧会見に行った。絵は当然めちゃよく、さらにフルカラーで紙質よく装丁凝ってて100ページ以上で激安1500円の図版が最高。これ上野の美術館で買うと3500円だ。町田市ふとっぱら。写真は表紙と裏表紙。 pic.twitter.com/8svCfQpHZl

図版裏表紙の折り返し下端には小さくモズの正面顔。プリティ。 pic.twitter.com/XZ3MImoTMS

日本野鳥の会の会報『野鳥』でも紹介される

今月の日本野鳥の会報「野鳥」より、大正昭和の鳥類画家・小林重三の絵。渋い。町田市立博物館で3月まで展覧会なので見に行こう。 pic.twitter.com/bx7AKB1Qqm

日本の三大鳥類図鑑の図版を手掛けた、鳥類画の大家

小林重三(しげかず)については「大正昭和の戦前、戦後と六十年にわたって、ひたすら鳥の絵を描き続けた男。日本の三大図鑑といわれる、黒田長禮『鳥類原色大図説』、山階芳麿『日本の鳥類と其生態』、清棲幸保『日本鳥類大図鑑』、そのどれもに鳥類画を描き、その絵は今も鳥を愛する人々を魅きつけてやまない。

国松俊英『鳥を描き続けた男 鳥類画家小林重三』(昌文社、1996年)口絵

「日本の鳥類と其の生態 第3巻」(未刊)のために描いた図

苦しい生活・重なる家庭の不幸と、それに反して輝きを増していく鳥類画

鳥類画の仕事を続けるものの、5人の子供をかかえ生活は苦しかった。しかし、小林の絵は徐々に評価を高め、1920年代半ば以降、小林の作品が掲載される書籍・雑誌の数は増えていく。

出典『博物画の鬼才 小林重三の世界 -鳥学と歩んだ画家-』 町田市立博物館図録 P19 より

1927(昭和2)年に妻・末野が結核で、翌年に三男・美三(よしかず)が腹膜炎で死去するなど不幸が続く。家の中は混乱するが、小林は家の中のことはほとんど気にかけなかった。一方で小林の描く作品はどんどん輝きを増していく。

出典『博物画の鬼才 小林重三の世界 -鳥学と歩んだ画家-』 町田市立博物館図録 P19 より

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