1. まとめトップ

【閲覧注意】ジョーンズタウン(人民寺院)での集団自殺を振り返る

1978年、ガイアナ共和国で起こった900人以上が死亡した集団自殺。中心となった「ジム・ジョーンズ」とはどのような男なのか。

更新日: 2015年01月27日

32 お気に入り 677148 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

murasaki01cさん

1978年11月18日、米国の宗教団体「Peoples Temple」の信者が教祖ジム・ジョーンズの指示によって、ガイアナのジョーンズタウンで集団自殺を遂げた。シアン化合物入りの飲料水を飲んで自殺した913人中、子供は276人もいた。

ジム・ジョーンズとはどのような人物か

本名「ジェームス・ウォーレン “ジム” ジョーンズ」(James Warren “Jim” Jones)

1931年、アメリカ・インディアナ州でジム・ジョーンズは生まれました。父は筋金入りの人種差別主義者で、白人至上主義をとなえるクー・クラックス・クランのメンバーでした。

通称「KKK」
アメリカの秘密結社であり、白人至上主義団体。

その父はジム・ジョーンズが幼い頃に家庭を捨てました。母は父と全く逆に黒人など貧しい人を支援するボランティア活動家。母の願いは息子が立派な宗教家になることだったと言います。

彼が生まれた町はいわゆる聖書地帯で、しかもファンダメンタリスト(聖書を文字通りに信じる宗派)が多い地域だった。不遇な彼は信心にのめり込み、常に聖書を携えるようになった。そして、宣教師の娘、マーセリン・ボールドウィンと結婚したのを機に聖職者の道を歩み始める。

人民寺院の設立

1957年、訪問販売で資金をつくったジムは、自らを教祖とする宗教を掲げる。看板には「人民寺院」という名が書かれた。当時インディアナポリスは、すさまじい勢いで住民が白人から黒人へと入れ替わりつつある真っ最中であった。

ジム・ジョーンズは猿の訪問販売などで生計を立てていた。

恵まれない若者や黒人に住居や食事、仕事を与え、身寄りのない高齢者のために福祉施設を建設しました。こうした活動を積み重ねたジム・ジョーンズは社会福祉活動家としてメディアに取り上げられるようになり時代のヒーローとなりました。

人種差別や貧富の格差で大きく揺れるアメリカで、ジム・ジョーンズの名は広まっていった。

ジム・ジョーンズは信者拡大のために心霊療法を行っていました。奇跡に感動した人々からの献金は多い時には1回で800万円ほど集まったと言います。

心霊療法により経済的にも潤うように

しかしそのあまりの派手な資金集めは、じきに周囲の疑惑を呼んだ。市の役人達は、ジムが心霊療法士として過剰な宣伝をしていることに目をつけ、監視をはじめる。

狂気の芽生え

1962年のキューバ危機以降、ジョーンズは核戦争を異常なまでに畏怖するようになった。

キューバ危機が彼の暴走の引き金となる。

ある日、ジムは突如、信者たちにこう告げた。
「神のお告げが訪れた!世界のほぼすべてを焼き尽くす核の大殺戮がやってこようとしている。ただし、我々のような正しき魂をもつ者たちのために、世界に2箇所だけ安全な避難所が残されている。それは、カリフォルニア州ユキアと、ブラジルのベロ・ホリゾンテである!」

暴走の始まり

キューバ危機で核戦争の脅威を感じたことや、既存のキリスト教会などから攻撃を受けたため(これには妄想が含まれる)、ジムは本拠地をカリフォルニア州ユキアに移し、忠実な信者達140人を連れてユキアへ移動した。

ある時、創世記のカインとアベルの一節を朗読していたジョーンズは突然、聖書を投げ棄てて、聴衆に向って訴えかけた。
「もしもアダムとイブが最初の人類で、カインとアベルしか子供がいなかったとしたら、ノドの地の住人たちはいったい何処から来たというのだ? あなたたちはそこに黙って座って、こんな出鱈目を読んでいていいのか? 私はでっち上げの神など信じない。空の上に天国などありはしない。我々が暮らしているこの世こそ、唯一の地獄なのだ」

宗教家とは思えない発言を口にするジム・ジョーンズ。
この頃より、すでに彼の暴走は始まっていた。

1970年にはサンフランシスコへ移動し、礼拝には何千人という聴衆がつめかけた。ジムはひたすら天罰を説き、病を治し、かつてしたと同じように貧しい者へ食事と宿泊所を提供し、安いビジネス用の労働力を得た。ただし規模は以前よりずっと大きかった。

成功が続き、拡大していく集団規模。

成功を続ける「ジム・ジョーンズ」

彼を批判するマスコミには脅迫状を送る、無言電話をかける等の攻撃をしかけた。彼が最も恐れたのはマスコミに情報を流す脱会者だった。その電話を盗聴し、脅迫するネタを掴むためにゴミ漁りまでした。

成功の一方で、被害妄想の意識が膨らんでいった。

1977年ごろ、ようやくジムの搾取と腐敗、救世主妄想に嫌気がさして脱退する信者が出はじめた。そしてこれら元信者から洩れた証言で告発記事が発表され、マスコミや市民は一転してジムを非難しはじめる。が、その攻撃が本格化する前に、聡いジムはガイアナへ移動した。

「ジョーンズタウン」の建設

1973年には入信者は2500人にまで増加していた。ガイアナへ移るために巨額の費用が費やされた。その額は100万ドルを超えていたという。

1 2