1. まとめトップ

日本人人質事件で捕らわれた後藤さんとその家族の人生がいろんな意味ですごい

人質事件のニュースで色々な話がでてくる中で、後藤さんの人となりが伝わってきます。後藤さんのこれまでの活動や個人のことまで、事件の本質に関わることやゴシップ的内容までひとまとめにしてみました。随時更新いたします。

更新日: 2015年03月10日

Shiyanさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
2 お気に入り 39153 view
お気に入り追加

10月22日にトルコに向かい、23日にトルコのコーディネーターに電話をかけ、24日に国境の町で接触し、25日に国境を越えてイスラム国の首都であるラッカに向かっている。帰国予定は10月29日だった。29日に帰国ということは、28日にイスタンブールから飛行機に乗らなくてはいけない。

【告知:information】 イスラム国 vs シリア・クルド人+米国有志連合。世界のメディアが国境の田舎町の動静を注視。戦いで生まれる新たなシリア難民18万人はどうする? www3.nhk.or.jp/nhkworld/engli…

後藤健二による湯川遥菜救出の行動がきわめて短期の計画だったということだ。25日に国境を越えてシリアに潜入し、27日には再び国境を超えてトルコに戻っていなくてはいけない。2泊3日の行程。つまり、後藤健二は何も事前に情報のないままイスラム国(ラッカ)に入ったのではなくて、イスラム国側のコーディネーターの手引きに従い、イスラム国側との打ち合わせに従って、本人の主観からすれば、湯川遥菜の身柄を引き取りに行ったのだ。現地で時間をかけて捜索するのではなく、調整した約束どおりに素早く身柄を引き取って戻ってくる予定だったのだ。

確かにテレ朝の仕事も入っていて日程がタイトなところを見ると、湯川さんの救助はかなり細かな日程が決まっていてまるで迎えに行くだけかのようにもとれるものですね。

テレビ報道でのトルコのコーディネーターの証言だと、27日になっても帰らなかった場合、家族を含めた5件の連絡先に電話を入れてくれと後藤健二に頼まれ、本人の携帯電話を直に渡されたと言っていた。

2014年11月1日頃に「シリアに同行したガイドに裏切られ、武装グループに拘束された」とトルコの知人に電話連絡があった。

2015年1月20日になり、イスラーム国が日本国民と日本政府に向けたビデオにYと共に人質として登場し、ジハードのジョンとして知られるISISメンバーの男性が「72時間以内に2億ドルの身代金の支払いがないと両人質を殺害する」と述べた。

I am Kenji.

この行動の意味がわからん。何の助けにもならんやん“@nikkeiphoto: 拘束されている後藤健二さんの早期解放を求め、ヨルダン大使館前では「I am KENJI」のプラカードなどを手にした人たちが集まりました。小高カメラマン撮影 pic.twitter.com/QlG6nVKYqL

湯川遥菜さんとの関係

一般には、後藤健二と湯川遥菜の接点について、昨年の7月末、湯川遥菜がトルコ経由でシリアに二度目の潜入をし、反アサドの自由シリア軍に拘束され、アジトで尋問を受けていたとき、英語が堪能な後藤健二が湯川遥菜を救ってやったのが最初の接触だという理解になっている。

本人のBlogで検証するかぎり、昨年の湯川遥菜の中東渡航には全て後藤健二が同行しているのである。証拠を挙げよう。昨年4月下旬、湯川遥菜はシリアに一回目の潜入をしている。無論、外務省から渡航禁止令が出ている状況でだ。湯川遥菜にとって紛争地入りの初体験だった。帰国後の報告に、「僕が入国して数日後、ジャーナリストの後藤健二さんが入国し、お会した」とある。このときが、Blogで確認できる湯川遥菜と後藤健二との最初の接触である。

昨年4月のシリアでも、昨年6月のイラクでも、昨年7月のシリアでも、湯川遥菜は常に後藤健二と一緒だったのだ。湯川遥菜は英語ができない。だから、現地で活動するためには事情をよく知る通訳が必要で、シリアでも、イラクでも、後藤健二が湯川遥菜のガイドとなって世話をしていたのだ。英語のできない湯川遥菜には、後藤健二のサポートなしに現地活動は不可能だった。7月の自由シリア軍でのエピソードは、二人の初対面ではないし、後藤健二のあの証言が真実かどうかは疑わしい。

後藤健二による湯川遥菜の救出行動は、単独の冒険的なものではなく、日本政府が何らか背後についていて、政府関係者と入念に相談した上で、言わば日本政府のエージェントとして動いたものだと思われる。10月下旬と言えば、湯川遥菜が捕まって2ヶ月半の時点であり、人質の解放について条件が纏まってよい頃合いでもある。ここで私の仮説を述べれば、後藤健二は、その「秘密機関」における湯川遥菜の上司なのではないか。湯川遥菜はあのとおり素人である。プータローの湯川遥菜が、一体誰から資金を得て、何やら任務のようなものを受けて、インドやレバノンやシリアやイラクに頻繁に渡航していたのか。それは未だ謎のままだ。

背景には真の目的があるのでは

これは安倍晋三とJ-NSAがJ-CIAの海外拠点を創設し、機関工作員を養成するプロジェクトの一端を示すものではないか

後藤健二が熟練の戦場ジャーナリストで、確かな取材をしていた仕事師であることは事実だが、ジャーナリストで同時にCIAの要員という人間はいくらでもいる。学者でも記者でもいる。スノーデンも平素の身分はDell社の社員で、東京で日本法人に勤務していた。

NHKが後藤健二にイスラム国への潜入取材を依頼していて、同時に、そのミッションに湯川遥菜の救出もしくは安否確認が含まれていた。この事実を証言したのは「政府関係者」である。

一回目の結婚

後藤健二さんには過去離婚経験があり、その時の前妻との間に男の子が授かっています。

一人目が女の子とある記事や男の子とある記事があります。どちらにしても、前妻さんとも子どもさんがいるのは間違いないようです。

前妻との離婚原因は、後藤健二さんが危険なイラクへ取材に行くということに対し、夫婦で喧嘩になったことが原因だと言います。

すでに男の子がいらっしゃった状況で、やはり後藤健二さんは家族とジャーナリストの仕事を天秤にかけた時、自分の使命だと言い切るジャーナリストとしての人生を選んだと言います。

そのため子供に不安な思いや心配を掛けたくないということから、前妻は離婚に乗り出します。

しかし、親権は意外にも後藤健二さんが獲得をしたんです。

離婚後、後藤健二さんが親権を受けているので、現在は再婚した後藤健二さんの奥さんと共に暮らしていると言います。

二回目の結婚

ジャーナリストとしての仕事が多忙になっていくにつれて、お子さんをご自身で面倒を見るのは難しいと判断をし、再婚を考えていた頃、現在の奥さんと仕事で出会ったそうです。

その時、お互い難民問題に対しての仕事をしていることで、理解や協力心以上の感情が芽生えたそうです。

後藤健二さんは再婚の際に、実の母親に奥さんを紹介していなかったんです。

その理由として、再婚に関して後藤健二さんと母親の石堂順子さんとの間で、揉め事があったそうです。

意見が合わないなか、後藤健二さんは再婚に踏み切ってしまい、それ以降、実の母親と再婚した奥さんとの間に確執が生まれたそうです。

後藤健二さんの妻は、フリーランスジャーナリストを支援する英国の団体を通じて29日、初めて声明を出した。妻は「私はこれが夫にとって最後のチャンスになることを恐れている。彼の解放を確実にし、ヨルダン人パイロットの命を守るには、あと数時間しかない。ヨルダンと日本の政府には、2人の命がかかっていることを理解してほしい」と訴えた。

今回初めて奥様が声明を出されました。

私は幼少のころ、ヨルダンに住んでいて12歳のときまでアンマンの学校に通っていた。ヨルダンの人たちに対してとてもよい思い出と愛着がある。ヨルダンと日本の人たちの思いやりに感謝しています」と述べた

1 2 3 4





Shiyanさん

このまとめに参加する



  • 話題の動画をまとめよう