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【あの人は今】風船おじさん 「ファンタジー号」に乗って飛び立った

「どこへ行くんだ」という三輪教授に「アメリカですよ」との言葉を返し、重りの焼酎の瓶を地上に落とし周囲の制止を振り切って、アメリカネバダ州サンド・マウンテンをめざして出発

更新日: 2016年07月30日

inevergiveupさん

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鈴木 嘉和(すずき よしかず、1940年 - 1992年11月消息不明)は、風船おじさんとして知られたピアノ調律師。自称冒険者。

1992年11月23日、当時52歳でヘリウム入りの風船を多数つけたゴンドラ「ファンタジー号」の試験飛行を琵琶湖畔で行う。

この日の名目はあくまで200メートルあるいは300メートルの上昇実験ということだった[4][15]。しかし、120メートルまで上昇して一旦は地上に降りたものの、16時20分頃、「行ってきます」と言ってファンタジー号を係留していたロープを外した。「どこへ行くんだ」という三輪教授に「アメリカですよ」との言葉を返し、重りの焼酎の瓶を地上に落とし周囲の制止を振り切って、アメリカネバダ州サンド・マウンテンをめざして出発した[15]。

翌日は携帯電話で「朝焼けがきれいだよ」と連絡が取れたものの[24]、2日後にSOS信号が発信され海上保安庁の捜索機が宮城県金華山沖の東約800m海上で飛行中のファンタジー号を確認した。しかし捜索機に向かって手を振ったり座り込んだりして、SOS信号を止めた。ファンタジー号の高度は2,500メートルで、高いときには4,000メートルに達した。約3時間の監視ののち雲間に消えたため、捜索機は追跡を打ち切った。

鈴木の計算では、ファンタジー号は、高度1万メートルに達すれば、ジェット気流に乗って、40時間でアメリカに到着するはずだったが[8]、以後の消息は不明である。当時の気象大学校の教頭である池田学は『朝日新聞』の取材に対し、「生存は難しいだろう」と答えている[25]。ファンタジー号のビニール風船の素材が塩化ビニールならば、1日に約10%の割合でガスが抜け、 海に着水している可能性が指摘されている[26]。

残された妻は会社の共同経営者であり、家が抵当に入っていることもあり[20]、借金は残された妻が払い続けている(2006年時点)[21]。1999年の取材によれば、2年に1度の捜索願を家族が更新しており、鈴木は戸籍上は生きていることになっているという。ただその時点で失踪宣告の手続きをしようかと思うようになったとも語っている[20]。

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