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イスイス団(ISIS、ISIL、イスラム国)だけではなく、ヌスラ戦線も…人質拘束を(少しは)整理する

(2015年2月作成)日本語圏では「シリアで人質」といえば「ISISの犯行」と短絡されているようですが大きな事実誤認です。JaN(ヌスラ戦線)をお忘れではないですか。【お断り】こんなの、「わかりやすくまとめる」ことなど不可能なので、「読みづらい」と思ったら 自 分 で や っ て く だ さ い。

更新日: 2016年03月18日

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この記事は私がまとめました

nofrillsさん

誤った情報が出回っています。

「シリアでイタリア人女性が解放されたことがある」というツイートが流れてきたのですが、彼女たちを拘束していたのはイスイス団ではありません。微妙なことがらなので確定はされていませんが、アル・ヌスラ戦線(アルカイダ)です。 telegraph.co.uk/news/worldnews…

「イスイス団」=「イスラム国」を自称する勢力。本稿では「ISIS」と表記。

私が見たのは、「ISISに拘束されていたイタリア人女性が身代金を支払って解放されていたのだから、日本人のお二人にも可能性があった」という内容だったと思います。しかし彼女たちはISISに拘束されていたのではありません。

安倍政権批判はすべきだと私も思います。でも、不正確な情報(いわゆる「デマ」)を流さないでください。イタリア人女性2人を拘束していたのは、イスイス団(ISIS、ISIL、イスラム国)ではありません。アル・ヌスラ戦線(JaN)です。 telegraph.co.uk/news/worldnews…

まさか、ISISとJaNの区別もしてない人が、語っちゃったりは、してないですよね。

シリア内戦について、基本的なことの整理

出典kwout.com

http://en.wikipedia.org/wiki/Syrian_Civil_War
より。

「シリア内戦」は、大きく分けて「アサド政権軍」と「反アサド政権諸勢力」、「イスラム主義武装勢力」、および「クルド人武装勢力」の4者が当事者。

とりあえず認識しておかないとニュースが読めないのは:
- アサド政権軍は国の軍隊・民兵組織とヒズボラ。
- 反政権武装勢力はFSA(自由シリア軍)とイスラミック・フロント(イスラム戦線)。
- イスラム主義武装勢力はアル=ヌスラ戦線(アルカイダ系)とISIS。
- クルドはYPG……というところでしょう。

2012年1月23日に結成が宣言されたアル=ヌスラ戦線(あるいは「ヌスラ戦線」。略称はJaN)は、この写真のような旗を使っています。書かれているのはイスラーム教の信仰告白で、特にこの集団だけのメッセージではありません。そのことは前に書きました。
http://matome.naver.jp/odai/2140997367854146401

「アルカイダ」と関係はあるにせよ、彼らの主目的はシリア国内でアサド政権を転覆しシャリーア法の国を作ることで、「西洋」への攻撃はあんまり考えていないと言われています。
http://en.wikipedia.org/wiki/Al-Nusra_Front

▼JaN(アル=ヌスラ戦線)と人質の拘束

JaNは、2014年8月にゴラン高原で国連PKO要員のフィジー軍の兵士45人を拉致。しかしその後、「宗教的指導者に相談したところ、解放せよといわれた」とのことで、9月9日にフィジー軍の兵士自身に「もうすぐ解放されることになった」と語らせるビデオを撮影、その後、全員が無傷で解放されました。

どういう交渉があったのかは、私にはわかりませんが、あまり報道されていないと思います。

http://www.theguardian.com/world/2014/sep/11/jabhat-al-nusra-releases-hostages-fijian-syria

米国人フリージャーナリストのピーター・セオ・カーティスさん(現在はテオ・パドノスと改名)は、2012年9月にJaNにさらわれ、2014年8月に解放されました。アラビア語に堪能でイスラームを学んでいた彼は、シリアの紛争の宗教的側面について取材しようとしていたときに、深刻な事態に巻き込まれたそうです。

Padnos met three young Syrian men, who told him they had been with the Free Syrian Army, and offered to bring him along for a trip into Syria. He went with them and, because he was expecting to be back in a few days, did not tell anyone, not even his roommate, about his plans. These men were his first captors. Affiliates of al-Qaeda, they demanded a ransom, though he was able to escape under the cover of night.

2012年9月、トルコにいたピーター・テオ・カーティスさん(テオ・パドノスさん)はまずFSAの者だと自称する3人の若いシリア人と会い、彼らの手引きでシリア入りをすることになります。ほんの数日で戻るつもりだったので、予定については誰にも言っていなかったそうです。しかしこの3人の若者が実はFSAではなくアルカイダ関連の人たちで(これが本当かどうか、実は私にはわかりません。混乱に乗じたギャングや犯罪集団の活動がかなりすごかったようですから)、身代金を要求。しかし最終的にテオさんは夜闇に乗じて脱出に成功。

Padnos persuaded a passing bus driver to drop him off at a Free Syrian Army headquarters, but officers there did little to help: He was thrown in a cell and then transferred "to a group of Islamists," who ended up being part of Jabhat al-Nusra, another faction in the bloody Syrian civil war.

脱出したテオさんは通りすがりのバスに乗り、運転手に「最初のFSAの司令部で下ろしてほしい」と頼んで、実際にFSAの司令部に行ったようですが、そこの人たちに独房に入れられ、それから「イスラミストの集団」のところに移送されたといいます。この人たちが、最終的にJaNに加わったようです。

※シリア内戦では少人数の集団がたくさん存在していて、それらが大きな組織に忠誠を誓うなどして統合されていったという経緯があります。

The militants held him in the Aleppo Children's Hospital, which had been repurposed as a prison. He was harassed by the guards, and denied basic human needs, like using the bathroom. They beat him, interrogated him, shocked him with a cattle prod. Though he was harshly mistreated, Padnos realized there were no immediate plans to kill him.

武装勢力は、当時すでに拘置施設として使われるようになっていたアレッポ小児病院にテオさんを放り込みました。ここで彼は看守から嫌がらせを受け、トイレを使うといった人として基本的なことでさえ許可されないという目にあい、殴打され尋問され、家畜用の鞭で打たれるなどします。このようにひどい虐待にあったものの、すぐに殺すつもりはないということにテオさんは気づいたそうです。

One guard slowly stopped beating him and brought him apples, a rare pleasantry. The others, however, were convinced Padnos was affiliated with the CIA and continued to torture him.

In January 2013, the guards began urging Padnos to convert to Islam. Soon after, he was given a cellmate: the American journalist Matthew Schrier. Schrier converted to Islam, but his treatment did not improve in captivity.

やがて1人の看守が彼を殴るのをやめるようになり、りんごを差し入れてくれたりしたといいます。しかしほかの人々はテオさんがCIAの手先だと信じきっており、暴力はやまなかったそうです。

拘束から3~4ヵ月後の2013年1月、看守たちはテオさんにイスラームへの改宗を迫るようになり、そのすぐ後で米国人ジャーナリスト(写真家)のマシュー・シュリアーさんが同じ房に入れられました。マシューさんはイスラームに改宗しましたが、待遇は変わらなかったそうです。

その後、あちこち転々とさせられた2人でしたが、2013年7月にマシュー・シュリアーさんは小さな窓から脱出に成功、アメリカに無事帰国しました。

しかしテオさんは脱出できず、その後デリゾールに移送されました。そこでは看守は前ほど厳しくなかったものの、拘束されている人々はおおっぴらに交流することは許されず、ひそひそとささやきあって意思疎通したそうです。

JaNはアサド政権と戦っているだけでなく、ほかのイスラム主義武装勢力とも戦うようになり、その過程をテオさんはファーストハンドで目撃。

2014年5月には、JaNはISISとの戦いに負けつつあると知り、6月には看守からテレビを見る許可を得たところ、ISISのロゴ(と呼ばれているもの)に覆われた地図が画面に映し出されていたそうです。このころ、この施設に拘束されていた人々は全員別のところに連れて行かれ、テオさんだけが残されました。

そして解放直前の2014年7月、テオさんは直接、JaN最高幹部のひとり、アブー・マリヤ・アル=カータニ(Abu Mariya al-Qahtani)から接触されます。アル=カータニは「JaNの現金の出入りを管理し、どの建物を爆破するか、どの検問所を攻撃するかを決定し、どの囚人を処刑しどの囚人を解放するかも決定していた」とテオさんは語っているそうです。

JaNはISISに(というかISISに寝返ったデリゾールの地元の武装勢力に)包囲されていたものの、アル=カータニは自分の生命のことはあんまり気にしていないようだったといいます。彼はテオさんに、「ISISは最悪。あいつらを見てると非常に悲しくなる」と語ったそうです。

(デリゾールというのはこのマップで四角で囲われてるあたりです。)

アル=カータニとテオさんはデリゾールを後にし、ISISがデリゾール県一帯を掌握してJaNを敵と認定、「戦闘員は見かけたらその場で射殺」と宣言します。

JaNのメンバーがテオさんが拘束されている場所に来たときに、彼らはジェイムズ・フォーリーさんの斬首の映像を携帯電話に入れていて、テオさんに見たいかと尋ねたそうです。「ISISが人々に何をするか、わかるだろ。もしお前がそんなことになったらどうする。そうなりたいか」と聞いたそうです。

(IRAが2001年9月11日のWTC攻撃を見てドン引きしたという話を思い出します。)

Americans are commodities for terrorist organizations: They can be killed for the public-shock factor, like Foley. They can be traded for prisoners, like Bowe Bergdahl. However, as these groups have learned, they cannot be easily ransomed. Unlike a number of European governments, the United States does not pay ransoms and families of hostages are pressured not to pay as well.

テロ組織にとって、アメリカ人は使いがいのある存在です。公衆にショックを与えるために殺してもよし(フォーリーのように)、捕虜交換に利用してもよし(アフガニスタンで拘束されていたバーグダル軍曹のように)。しかし、アメリカ人を拘束して身代金をとるのは容易ではありません。欧州の複数の国の政府とは異なり、米国は身代金は支払わないし、人質にされた人の家族も身代金は出さないようにとプレッシャーをかけられます。

テオさんは最終的には、FBIのエージェントと米国人ビジネスマンの支援で解放。これにはカタールの諜報当局者の支援もあったそうです。

最後のほうはひどい状況にも「ほとんど慣れかけていた」というテオさんは、2014年8月に脱走を試みたものの、連れ戻され、カータニやその部下と一緒にされました。そして8月24日にカータニが「国連」と書かれたトラックに彼を連れて行ったそうです。これが解放。別れの言葉は、「われわれについて悪いことをマスコミでしゃべらないように」。これに対しテオさんは「本当にあったことだけしゃべりますよ」と答えたそうです。

以上、The Atlanticの記事より。

ちなみに、このアブー・マリア・アル=カータニという人は、ISISに強く反対しているということで、この人があまりに強くISISを嫌っており、それ以外の話をしないとかいうことで、ダルーアに移動したJaNにひびが入ったくらいだそうです。2014年11月のミドル・イースト・アイ。
http://www.middleeasteye.net/in-depth/features/changes-jabhat-al-nusra-indicate-changes-entire-battlefield-1875666927

JaNについて、こんなふうな話だけしてると、また「せつない」などと浮かされる人が出てくるかもしれないけれど、それは私の意図ではありません。逆です。

JaNもこの写真のように、民間人(一般市民)がいる場所を攻撃しています。多くは自爆です。

そして捕虜の処刑(国際人道法違反)もやっています。

JaNはまた、隣国レバノンでも国境地帯で国軍兵士を拉致するなどしています。すでに解放された人(写真。赤ちゃんを抱きしめて泣いています)もいれば、まだ拘束されている人もいます。それぞれ、捕虜・人質交換などが背景にあることでしょう。

なお、JaNは「シリア国内のこと」をやっているはずで、レバノンに入り込むにしてもヒズボラが標的だとかいうのならまだわかるのですが、武力の対象がレバノン国軍や警察というのは……。

JaNとレバノンのことについては、1月のデイリー・スター(レバノンの英語メディア)の記事が簡潔でわかりやすかったです。2014年8月に、アーサルで戦闘があり、レバノン軍兵士と警官25人がさらわれ、一部は解放、一部は以前として拘束。かなり大勢が亡くなってもいます。
http://www.dailystar.com.lb/News/Lebanon-News/2015/Jan-09/283511-nusra-plans-to-end-arsal-hostage-crisis-report.ashx

そして、本「まとめ」冒頭にある「イタリア人女性2人」。ヴァネッサさんとグレタさんという名前の20代はじめの支援活動者で、アレッポ近郊で2014年7月に行方不明になっていました。

最初は誰にさらわれたのかは不明で、最終的にJaNに引き渡され、2015年1月半ばに(おそらく巨額の身代金と引き換えに)解放されたときはアレッポ近くの非都市部に拘束されていたそうです。

The last time the women were seen publicly was in a chilling video that was posted on YouTube in early January, in which they warned that they were in “big danger” of being executed.

The two were seen wearing the black hijab. “The government and its militaries are responsible for our lives,” one said in English, appearing to read from a statement.

解放前に彼女たちが最後に姿を見せたのは、1月はじめにYouTubeにアップされたビデオの中。そこで黒いヒジャブを着用した2人は「処刑される危険が大きい」と訴え、「イタリア政府とイタリア軍が私たちの命運を握っている」と英語で、すでに用意された文面を読むように述べていたといいます。

Nusra Front and the militant Islamic State group have held groups of Westerners hostage in Syria, which has descended into a splintered and prolonged civil war.

Islamic State beheaded several male hostages including aid workers and journalists in 2014. Nusra Front released other hostages last year, including a group of Greek Orthodox nuns in March and a U.S. writer in August.

イタリア人女性2人が解放されたときのロイター記事(2015年1月15日)の最後に、JaNとISISが西洋人を人質にしてきたことが上記のように簡潔にまとめられています。まとめというか、最後に書き添えた部分なので雑ですが、2014年にISISが男性支援活動者やジャーナリストを何人も斬首し、JaNはギリシャ正教の女性聖職者のグループやアメリカ人記者を解放したと書かれていることは、注目してもよいのかもしれません。

▼ISISに拘束されていて、解放された人も、確かにいる。ただし……

イスイス団(ISIS、ISIL、イスラム国)拘束下から解放された人も過去にいます。しかしそれはイスイス団の「処刑ビデオばらまき大会」が始まる何ヶ月も前のことでした。(2014年3月、前年9月から拘束のスペインのジャーナリスト2人解放 theguardian.com/world/2014/mar…

Two Spanish journalists kidnapped in northern Syria last September have been freed by their captors, ending a six-month ordeal in the hands of an extremist Islamist group that continues to hold more than 40 other western hostages.

2014年3月のガーディアン記事。「昨年9月。シリア北部で誘拐されたスペインのジャーナリスト2人が解放された。彼らは6ヶ月に渡り、今なお40人以上の西洋人の人質を拘束し続けているイスラミストの過激主義の集団(ISISのこと)に拘束されていた」

Javier Espinosa, a veteran correspondent for the Spanish daily El Mundo, and Ricardo García Vilanova, a freelance photographer working with him, were handed over to Turkish authorities on Saturday night near the Syrian town of Tal Abiyad, not far from where they were seized 194 days ago.

The pair had been held in the nearby city of Raqaa, which fell to the Islamic State of Iraq and the Levant (Isis) last May

「解放されたのは、スペインの日刊紙エル・ムンドのベテラン記者であるハビエル・エスピノザさんと、彼と同行して仕事をしているフリーランス・フォトグラファーのリカルド・ガルシア・ビラノバさん。2人は土曜の夜、シリアのタル・アブヤドの町近くでトルコの当局者に引き渡された。194日前に拉致された場所からそう遠くない地点だ。2人は近くの町、ラッカに身柄を拘束されていた。ラッカは昨年5月にISISの手に落ちた」

ラッカに関しては、このロゴを使っている反アサド政権でなおかつ反ISIS(宗教過激派)の民主化運動の人たちのサイトとTwitterがあるので、チェックしてください。

http://www.raqqa-sl.com/en/
@Raqqa_Sl

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