何よりまず、この話題について、2015年を基準に「20~30年前」を語ることは、文章書きとして卑怯だ(「知的誠実さが完全に欠落している」とも言う)と私は思う。南アの状況は、「20年前」(1995年)と「30年前」(1985年)とでは違うからだ。

(あるいはこの筆者は、モスクワについて「20~30年前」をひとくくりに扱い、「基本的な食品を入手するのも至難の業」などと書くのだろうか。ベルリンについて「住民が絶対に超えられない一線がある」などと書くのだろうか。そうであるなら一貫性だけはあることになるが、それと記述の妥当性とは別の話だ。)

本「まとめ」の少しあとのほうで参照している対談だが、南アに何度か取材に行って、一度は治安当局の銃撃で負傷しているジャーナリストの佐々木かをりさんと、現在はAJF(アフリカ・ジャパン・フォーラム)で代表理事をしておられる津山直子さんの2006年の対談で、下記のURLにある部分をぜひお読みいただきたい。ネルソン・マンデラが1990年に釈放され、94年に全人種による総選挙が行なわれてアパルトヘイトが撤廃されるまでの間にどれほどのことがあったのか。
http://www.ewoman.co.jp/winwin/75/2/1

こういう事実があるときに、「20~30年前」(1985~95年)という雑なくくり方をして「昔はよかった」的な懐古主義で人種隔離時代のことを「誰にとってもよい政策だった」などと書くことは、思想や信念以前の問題である。

しかもこのコラム、書き出しが「イスラム国」(を自称する武装勢力)のことだ。ひどすぎる。この文章のしていることは、「日本人か、そうでないか」だけを基準に人を分け、あの事象もこの事象も一緒にした偏見の煽動と言ってよいレベルだと私は思う。 "「イスラム国」のような連中がいるから「日本人以外」は隔離しろ" というのは、「乗降客の多い駅でナイフを振り回して人々を殺傷するような日本人がいるから、日本人は隔離しろ」とか、「売買春を行う日本人がいるから、日本人は出入り禁止にしろ」というのと質的に同じ暴論である。

そして残念ながら、この種の暴論はずっと前からいわば「制度化 institutionalise」されている。日本にとって「テロリスト」は「外患」で、「外からやってくるテロリストを食い止めなければならない」という理念はほぼ「空気」化している。だが、日本国内でこの数十年間に生じた「テロ」(現代のわれわれが考える「テロ」)は、極左(爆弾事件など)であれ、極右(政治家刺殺、報道機関攻撃など)であれ、あるいはカルト(オウム真理教)であれ、「外からやってきたテロリスト」によるものではない。そして政治的な思想のある「テロ」などより、「むしゃくしゃしてやった」、「人を殺してみたかった」といった無差別殺人(その多くは犯行形態から「通り魔」と呼ばれる)の方が、現実に、多くの人命を奪っている。そのことは、日本を拠点とする「海外」(という大雑把な言い方が私は大嫌いだが用語として使う)のジャーナリストらがたびたび指摘している。

前へ 次へ

この情報が含まれているまとめはこちら

2月11日付産経新聞掲載の曽野綾子氏の発言が「日本にもアパルトヘイトを」論として英語圏に伝わっている

2月11日といえば、世界的には「ネルソン・マンデラが釈放された日」で、今年2015年は25周年(四半世紀)の節目の年です。そのタイミングで「日本の大手新聞のひとつ」が掲載した「名誉白人」的な人種隔離推奨の文章は、ロイターやWSJなど大手報道で世界に知れ渡っています。orz

このまとめを見る