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今さら聞けない!?「南京大虐殺って?」

産経新聞がまた「なかった」キャンペーンを懲りずにはじめたようなので。ちゃんとした「専門の歴史学者」たちの研究に基づいた信頼できるものを紹介します。

更新日: 2019年03月25日

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hiraoyogiさん

歴史学事典にはどう書かれてる?

平凡社 『日本史大事典 第5巻』

「南京大虐殺」(執筆者・江口圭一)


日中戦争で南京占領に際し日本軍によって中国軍民に加えられた大規模な残虐行為。一九三七年(昭和十二)八月、日中戦争は華北から華中に拡大、日本軍は上海で中国軍の激しい抗戦に直面し、大きな損害を被った。

十一月上旬ようやく中国軍を退却させると、中支那方面軍(軍司令官松井石根大将)は、指揮下の上海派遣軍(軍司令官朝香宮鳩彦王中将)と第一〇軍(軍司令官柳川平助中将)を、与えられていた任務を逸脱して国民政府の首都南京に向かって急進撃させた。

上海戦で疲労し、凱旋の期待を裏切られた日本軍兵士は自暴自棄となり、補給がともなわず現地徴発に頼ったこと、中国侮蔑感情や戦友の仇を討つという郷党意識にとらわれていたことなども加わって、南京への進撃途上ですでに掠奪・強姦・虐殺・放火などの非行が常態化する状況となった。

十二月十三日、南京占領に際しては、十七日の入場式に備え、徹底的な掃討を行い、投降兵・捕虜を長江沿岸などで大量に処刑し、多数の一般市民をその巻き添えにし、略奪・強姦・放火を重ねた。さらに十二月二十二日、佐々木到一少将が城内粛清委員長に就任、中国兵の狩出しと処刑を続け、三十八年二月初めに及んだ。

犠牲者数については中国側の公式見解は三十万人とするが、戦闘行為による戦死者を除き、上海から南京へ進撃途中から三十八年二月初めまでの期間をとれば、十数万人から二〇万人前後に達するとみられる。

この事件は「シカゴ・デイリー・ニューズ」(一九三七年十二月十五日付)、「ニューヨーク・タイムズ」(一九三七年十二月十八日付)などによって報道され、国際的非難を浴びたが、日本では厳重な報道管制を受け、日本国民は敗戦後の東京裁判によってようやくその事実を知らされた。同判決の結果、松井大将が大虐殺の責任者として死刑に処され、南京での裁判で第六師団長であった谷寿夫中将らが処刑された。

弘文堂『歴史学事典 第7巻』

「南京事件」(執筆者・笠原十九司)


日中戦争初期、当時の中国の首都南京を日本軍が攻略・占領した際に中国軍民にたいしておこなった虐殺、強姦、掠奪、放火、拉致、連行などの戦時国際法と国際人道法に反した大規模な残虐行為の総体。南京大虐殺事件、略称として南京事件という。単に南京大虐殺ともいう。


一九三七年(昭和十二)年十二月一日の大本営の下令によって正式に開始された南京攻略戦は、もともと参謀本部の作戦計画にはなかった。激戦三ヶ月におよび、甚大な損害を出した上海派遣軍を独断専行で南京に進撃させてのは、中支那方面軍司令官の松井石根大将と、参謀本部から出向して同軍の参謀副長となった拡大派の武藤章大佐らであった。

上海派遣軍は、疲弊して軍紀も弛緩していたうえに、休養も与えられず、補給体制も不十分なままに、難行軍を強いられたため、中国軍民に対するむきだしの敵愾心と破壊欲を増長させ、虐殺、強姦、掠奪、放火などの残虐行為を重ねながら南京に進撃していった。


十二月四日前後に中支那方面軍は、中国軍の南京防衛陣地(南京特別市行政区に重なる)に突入、南京の県城・農村地域から日本軍の残虐行為は開始された。南京城区には四〇万~五〇万人(南京攻略戦以前の人口は一〇〇万人以上)、近郊の六つの県には一〇〇万人前後(同じく一五〇万人以上)の市民が残留していたが、日本軍はこれらの膨大な中国民衆を巻き込んで、南京防衛軍に対する徹底した包囲殲滅(皆殺し)作戦を実施した。

同作戦は、戦時国際法に反して、自ら武装解除した投降兵・敗残兵あるいは武装解除された捕虜までもすべて殺害することになった。一般民衆も敵対行動、不審行動をする「敵国民」と判断された場合は殺害された。日本軍は、十二月十三日南京城を占領した後、十七日の南京入城式に備え、徹底した残敵掃蕩戦を展開、長江沿岸などで捕虜および投降兵の大量処刑を行なった。武器を捨て、軍服を脱ぎ捨てても、中国兵であった者、中国兵と思われた者はすべて殺害したので、多くの市民、難民が巻き添えにされて犠牲になった。

さらに日本軍には戦勝の「慰労」として一〇日間前後の「休養」が与えられ、総勢七万人以上の日本軍が南京城内に進駐、勝利者、征服者の「特権」として、強姦、掠奪、暴行、殺戮、放火などの不法行為を行ない、南京事件は頂点に達した。その後、第十六師団が駐屯して軍事占領を続け、三十八年三月二十八日に中華民国維新政府が成立するまで、日本軍の残虐行為は続いた。


極東国際軍事裁判(東京裁判)では、南京事件による中国軍民の死者を二十万以上とし、不作為の責任を問われた松井石根が死刑となった。中国国民政府国防部戦犯軍事法廷(南京軍事裁判)では、犠牲者三十万以上とし、四人の将官が死刑となった。

一九七〇年代から八〇年代末にわたり、歴史事実か「虚構」「まぼろし」かをめぐっていわゆる「南京大虐殺論争」が展開され、家永教科書裁判の争点にもなったが、いずれも否定論が敗れた。犠牲者数の確定は困難であるが、現段階の日本側の研究では、十数万から二〇万人の中国軍民が犠牲になったと推定する説が有力である。

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この文章は↓のサイトの主催者によるものです。

南京事件-日中戦争 小さな資料集
http://yu77799.g1.xrea.com/

否定論に対する反論集としてオススメはこちらです

様々な論点について書かれていますので、南京事件に関して疑問に思ったことがあれば、チェックしてみてください。

専門の歴史学者の本を紹介します

秦郁彦さんの中公新書も紹介しようと思ったのですが、秦さんは近年評判をどんどん落としているだけでなく、それなりにまともだと思われた南京事件に関する中公新書もいろいろと問題が指摘されているようです。

“men of military age”を「便衣兵」と訳す秦郁彦氏に朝日を批判する資格なんかないと思う - 誰かの妄想・はてな版
http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20150301/1425136132

今回の産経新聞の「証言」について

南京事件に関してネット上でとても有名な方のブログ

おまけ:2008年にネット上であった論争のまとめ

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