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伝説の営業マンから箱根駅伝優勝へ! 青学 原晋監督から学ぶ成功メソッド

第94回東京箱根間往復大学駅伝競走復路(3日、神奈川・箱根町芦ノ湖駐車場-東京・大手町109・6キロ)関東の20校とオープン参加の関東学生連合を加えた21チームが参加して行われ、青学大が10時間57分39秒で史上6校目の総合4連覇を飾った。

更新日: 2018年07月20日

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tomato135jpさん

2018年東京箱根間往復大学駅伝 青山学院大 4連覇!

今年は「ハーモニー大作戦」

今回、原晋監督は突出した選手、スター選手がいないため「ひとりでも音程をはずした負ける」と考えました。だから美しいハーモニーを奏でられるよう、一糸乱れぬ完璧な演技をするシンクロナイズドスイミングような選手の活躍を願ったのです。

2017年は「サンキュー大作戦」

「3連覇、3冠、そして監督になって9度目の出場。お世話になったみなさんに“サンキュー”と言いたいんです」と説明。「11月の下旬に、寮の風呂入ってる時、『これだ』と。なかなかよくないですか?」と自画自賛し会場を笑わせた。

2017年1月7日 渋谷ハチ公前から箱根駅伝優勝パレード

一色恭志選手(区間3位)もパレード前に
「普通に考えても渋谷で
パレードってすごいよね笑」とツイート

4区を走った2年・森田歩希選手(区間2位)は
「かなり良い経験でした」

6区を走った2年・小野田勇次選手(区間2位)は
「怒涛の1日でした!」

7区を走った3年・田村和希選手(区間11位)は
「皆さんからの熱いエールのおかげもあり
 前へ進んでいけそうです!最高の4年目にするぞ!」

青学大陸上競技部(長距離ブロック)のツイッターでも、 「渋谷でパレードなんて普通では考えられないことですが、たくさんの人に祝っていただき、感謝の気持ちでいっぱいです!」と喜びの声が書かれていました。

メディアに出る目的のもう一つは、世間から注目されることで、
選手のモチベーションを上げることです。
私だけが目立つのは最初だけ。
それ以降は、選手がヒーローになる番です。

原監督の青学監督就任から箱根駅伝優勝までの軌跡

「生まれ故郷の広島で順調に仕事をしていたし、家を建てて3年しかたっていなかったから悩みました。でも陸上競技をやってきたけど、やり切れていない自分がいたんですね。会社にも鳴り物入りで入ったけど、まったく期待外れの結果しか残せなかった。そういう、人間としての名誉回復を求めるような気持ちもあったと思うんです」

「夫は、何かやりたかったんだと思うんです。自分を変える、何か。だったら私も一緒にやるしかないな、と」

その時、美穂夫人は反対しますが、
内心、本気で止めようとは思っていなかったのだとか。

「反対して反対して、それを押し切ってでも
『やる』と言わせたほうが、
夫としても強い覚悟ができるのでは」
という狙いがあったそう

04年4月、高校の後輩の推薦で青学大監督に就任。しかし・・・

いざ合宿所へ来てみると唖然とした。
門限破りや飲酒は当たり前。朝練習をフリーにしたが、
参加しない者も多かった。

原晋監督の改革

就任11年目ですけど、本当にあっという間でしたね。苦労したのは最初の5年。箱根に初出場するまで。何事も土壌作りが大変ですから。軌道に乗ってしまえばそうでもない。重い球が転がった感じですよ。この数年間は案外ラクでした。

10年間、中国電力でサラリーマン生活を送る。同期が本社で活躍する中、配属されたのは支店の下の山口県徳山市(現・周南市)の営業所。ここで省エネ空調設備「エコアイス」を社内で一番売り上げて評価を上げ、新規事業を立ち上げた。「伝説の営業マン」を自称する。

駅伝とは全く関係のない中国電力の営業で
トップセールスであったこと
そのノウハウをスポーツの指導に応用できて
箱根駅伝でトップに立てたということで、
一つの世界で勝ちパターンを持っていると
他の世界でも勝てる可能性が高いということが証明されました。

管理職の仕事は「管理することじゃない。感じることだ」
 
 たとえば朝食のとき、必ず食堂にいて、部員たちと雑談しながら
 「食堂に漂う雰囲気」を感じ取る。
 違和感があったら原因と対策を考え、トラブルを未然に防ぐ。

2008年 第84回箱根駅伝では学連選抜チームの指揮

学連選抜の監督は
通常、箱根駅伝予選会で落選した大学のうち最上位の大学の監督が務める

合同練習の日は走ることよりも、
選手間のコミュニケーションを図るためのミーティングに
多くの時間を割きました。

選手たちにチームの目標を設定させたり、
チームの愛称を考えさせたりなど、
11大学16名の選手たちの気持ちをまとめるために、
いろいろ工夫をしたつもりです。

最初は選手たちも、私の方針に半信半疑だったと思いますが、
回を重ねるごとにお互いを仲間として認め合い、
「箱根では一丁やってやるか!」という意気込みが伝わってくるようになりました。

原監督の指導とは

監督就任から10年、自分の信念だけは貫き、
 反発する部員には、自分が思い描く
 チームとビジョンを根気強く説明してきた。
 言い続けてきたから、周りがみんな敵でも
 味方になってくれる、支えてくれる人がいた。

まともなことを言い続けると、最終的に仲間は残る

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