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Ryosuke0422さん

残酷な天使 メアリー・ベル

「殺人はそれほど悪いことではないわ。誰でもいつかは死ぬんだもの」

メアリー・ベル事件は1968年5月から7月にかけてイギリスで発生した殺人事件。11歳(初犯は10歳)の少女が3歳と4歳の男児を殺害した。マリー・ベル事件とも言われる。

1968年5月、4歳の男児が薬物中毒死しているのが発見され、事故死として処理された。少女はこれに反発し、保育所を荒らし警察に対し挑発的なメモを残した。7月31日3歳の男児の絞殺死体が発見され、少女が疑われた。警察の尋問を受けた少女が犯人しか知り得ないことを語ったことから逮捕された。

ジェームズ・バルジャー事件

当時10歳の少年ジョン・ヴェナブレス(1982年12月8日生まれ)とロバート・トンプソン(1982年8月23日生まれ)の2人

1993年2月12日、ジョン・ヴェナブレスとロバート・トンプソンの2人は学校を無断欠席した。その日2人はストランド・ショッピングセンターを訪れ、食肉店の外で母親を待っていた被害者を誘いショッピングセンターの外に連れ出した。母親が買い物も終わって店の外に出た時には、被害者は既に連れ去られており、母親はすぐさま警備員に相談した。

ジョン・ヴェナブレスとロバート・トンプソンの2人は被害者を連れて2マイル半(約4km)歩いた。2人は人気(ひとけ)のない水路で被害者の頭部と顔面に激しい暴行を加え、頭を地面に叩きつけた。後に名乗り出た目撃者は、1人の少年が幼児の胸部を蹴っていたと証言した。

被害者を連れて2人が歩いている所は合計38人に目撃され、その内の何人かは被害者が負傷している事に気づいていた。だがその他の目撃者は被害者が少年らと嬉しそうに歩き、時折笑っていたと証言し、少年2人が後に被害者に暴力をふるうとは思わなかったと述べている。目撃者のうち何人かは2人に声を掛けたが、2人はこれから怪我をした弟を警察に連れて行くところだと言った。最終的に2人は瀕死の被害者をマージーサイド州ウォルトンの線路上に放置した。

被害者の口には乾電池が詰め込まれ、顔には青いペンキが塗られた。更に加害少年2人は重さ22ポンド(約10kg)の鉄の棒で殴る蹴るの暴行を加えた。遺体を線路に直角に横たわるように放置したのは、事故死と偽装するためだった。これらのことは後の裁判で明らかになった。

北九州監禁殺人事件(きたきゅうしゅうかんきんさつじんじけん)

人の弱みにつけこんで監禁をして金を巻き上げ、拷問と虐待によってマインドコントロール下に置き、お互いの不満をぶつけさせることにより相互不信を起こして逆らえなくし、被害者同士で虐待をさせることで相互不信を一層深くさせ、自分の手は汚さずに用済みとなった人間を殺害して死体処理を行わせた(裁判では6人の殺害と1人の傷害致死)。犯罪史上稀に見る凶悪犯罪とされ[1]、第一審で検察側は「鬼畜の所業」と被告人男女を厳しく非難した。2011年12月、最高裁判所によって主犯Xの死刑と共犯Yの無期懲役が確定した。

非常な残虐性・悪質性にもかかわらず、事件に報道規制がかけられたとされ、事件の知名度は高くない。

人物像

病的な嘘吐きで自意識が強く目立ちたがり屋。饒舌でいくつもの顔を持ち、エリートを演じる傾向がある。礼儀正しく愛想が良いが、猜疑心・嫉妬心が強い(アフェクションレスキャラクターの傾向) 。異常なまでに執念深く嗜虐的。神経質で臆病な面もあるが虚勢を張る。

セオドア・ロバート・バンディ

バンディは、1974年から1978年にかけて、全米でおびただしい数の若い女性を殺害した。被害者の正確な総数はわかっていないが、彼は10年間にわたる否認を続けた後、30人を超える殺人を犯したと自白している。彼は原型的なアメリカのシリアルキラーとして考察される。実際、「シリアルキラー(serial killer、serial=連続の、順列の)」という表現は彼を表すために考え出されている。

バンディは反社会性パーソナリティ障害であったと考えられている。残忍な殺人犯という一般的な評価に反し、しばしば知的でハンサムで愛嬌がある青年であったとも評される

キラー・クラウン[殺人ピエロ]

アメリカ合衆国生まれの連続殺人者。子供たちを楽しませるため、パーティなどでピエロに扮することが多かったことからキラー・クラウン(殺人道化、殺人ピエロ)の異名を持つ。

少年時代はボーイスカウトに入っていたことがあり、資産家の名士でチャリティー活動にも熱心な模範的市民だと思われていたが、アルバイト料の支払いなどの名目で呼び寄せた少年に性的暴行を加えたうえで殺害し、その遺体を自宅地下および近くの川に遺棄していた。自身のホモセクシュアリティを隠すために殺害したとされている。1972年から1978年のあいだ、少年を含む33名を殺害したことが明らかになっている。彼の犯行はアメリカ社会を震撼させた。

刑務所で彼の描いたピエロの絵画は連続殺人者犯マニアには大変な人気があり、展示会が開かれたり、高値で取引されている。著名人では俳優のジョニー・デップが購入して所有している。

ジム・ジョーンズ

アメリカ出身のキリスト教系のカルト教団、人民寺院の教祖。自ら共産主義を信奉する救世主を標榜し、サンフランシスコからガイアナの密林の奥地へ教団を移動、しかしその独裁体制や強制労働などに対する批判が高まるにつれて過激化し、最後は900名を超える信者を集団自殺殺戮に導いて世界に衝撃を与えた。

ジョーンズは日曜日になると母親や兄弟と共に教会に通い、優秀な成績で高校卒業の後、1949年に結婚。インディアナ大学在学中、メソジスト教会で牧師として働き、猿を売り歩いて生計を立てた。後に核戦争への危惧から南米に核シェルターを建設、移住した。

1955年にインディアナポリスで人民寺院(People's Temple)を結成。その後、1963年にカリフォルニア州サンフランシスコに移る。晩年は強迫観念が強くなり、1974年、追われるように南米ガイアナの密林奥地に本拠地を移し、自らの名をとってジョーンズタウンと名付け、自分の妻と養子(黒人と朝鮮人)、信者らと共に入植。

信者たちに強制労働が行われているとの噂が立ち、1978年11月18日アメリカ下院議員レオ・ライアンら5人がジョーンズタウンに調査に訪れた。調査を終え帰る途上、人民寺院の信者の一隊が議員一行を襲撃して殺害。この直後ジョーンズは信者らに死を命じる。大きな鍋に入ったシアン化合物入りの飲料水を摂取する事により、ジョーンズの妻子を含め大多数の信者が集団自殺を遂げた。ジョーンズ自身もこめかみに銃弾を受け死亡した(但し、自殺か他殺かは不明)。死者914人を数えた。

佐世保女子高生殺害事件

佐世保女子高生殺害事件(させぼじょしこうせいさつがいじけん)は、2014年7月26日に長崎県佐世保市で発生した殺人事件である。

被害者は佐世保市の公立高校に通う女子生徒であった。遺体が発見されたマンションに住む、同級生の女子生徒が緊急逮捕された[1][2]。逮捕容疑は、被害者を自宅マンションにて後頭部を鈍器のようなもので数回殴り、ひも状のもので首を絞めて殺害した疑い。県警によると遺体は首と左手首が切断されていた。

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