1. まとめトップ

2.26事件から81年...日本で起きたあのクーデターはなんだったのか

今から81年前、一部の陸軍の勢力により首相官邸などの政府の中枢が次々と襲われた「2.26事件」。その背景には大恐慌・農村の窮乏など暗いニュースが飛び交う時代背景がありました。その後日本は第二次世界大戦へ突入していきます。わかりやすく解説します。

更新日: 2017年02月22日

41 お気に入り 413078 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

jenny-oさん

2.26事件って何?

若き軍隊のリーダーたちが首相官邸、大臣宅など政権の中心を次々に襲撃!

1936年2月26日未明、陸軍の青年将校らは、約1400名で首相官邸、警察庁などを占拠し、高橋是清(たかはし これきよ)、斉藤実(さいとう まこと)らを暗殺

当時の首相であった岡田啓介は一命をとりとめましたが、4人の閣僚が殺害、1人が重症を負いました。

「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて起こしたクーデター未遂事件である。

国民によるテロとも言えます。

何が目的だった?

「君側の奸」を排除して天皇中心の新たな政治体制を構築しようとしました。

「君側の奸」とは、「天皇のそばで悪い政治をしているやつら」

「君側の奸」は「くんそくのかん」と読みます

臨時内閣が発足して決起を認める陸軍大臣告示が出された。

この陸軍大臣告示は本当に告示(正式な文書)だったのか?権威を持たない単なる伝言だったのか?など、多くの議論があります。

昭和天皇の反応は?

「自身で軍隊を率いてでも鎮圧する」

「朕(ちん)の軍隊が命令なく自由行動を起こしたことは反乱軍と認める、反乱軍である以上速やかに討伐すべきである

「朕」は天皇の一人称。

上記の陸軍大臣告示によって自分たちの行動が認められたと思っていた青年将校たちはびっくりしたと言われています。

軍と政府は、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意

天皇に背くもの、すなわち「逆賊」としたのです。

天皇により彼らは反乱部隊として数日のうちに鎮圧されるのでした。

天皇による新たな政治を願い反乱を起こした青年将校たちですが、その思いは天皇には届きませんでした。

行動を起こした青年将校のほとんどは処刑

一審制、非公開、弁護人なしという特異な裁判にかけられ、次々に処刑されていきました...

太平洋戦争の原因の一つとも...

最大の影響は「軍にとって都合のわるいことをするとテロでやられる(軍にはそうしたテロを積極的にとりしまる意思がない)」という恐怖感を政治家に植えつけたこと。

確かに何かやると、すぐに殺されるというのはたまったものではありません...

この事件のあと、彼の属していた陸軍の統制派が力をつけていきます。

この事件の後、陸軍の皇道派は壊滅し、東条英機ら統制派の政治的発言力がますます強くなった。

事件を起こしたのは陸軍内の皇道派と言われる人たちで、同じく陸軍内の別派閥統制派が今後幅を効かせていくようになります。(後述)

なぜそんなことが起こったのか?社会背景は?

1929年10月24日にニューヨーク証券取引所で株価が大暴落したことを端緒として世界的な規模で各国の経済に波及した金融恐慌

例えば青森県では14歳の娘が5年契約450円で売られても、親の手元には150円しか入らなかった。

農村は困窮していました。

青年将校の中には窮乏する農村の出身者もいたようです。

1 2

関連まとめ